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1人部署になっても守ってきた。今や圧倒的な実績を誇るサービスを支える事業部長の「プライドが生まれた瞬間と転機」

こんにちは!TWOSTONE&Sons(以下 TSS)広報の森川です!
TSSの展開するエンジニアプラットフォーム事業の一つに、エンジニアに特化した転職支援サービス「TechStars Agent」があります。TechStarsの事業は約8年の歴史があるのですが、これまで転職をご支援したエンジニアの方々の入社後の3か月以内離職率は、なんとわずか0.45%!
「この圧倒的なマッチング精度を誇るサービスの裏側を知りたい!」と思い、サービスと組織を支えてきたTechStars事業部長の田中健太さんにインタビューを実施!

今日に至るまでの道のりは、決して平坦ではなかったようです...…是非ご一読ください。


目次
・エンジニアからエージェントへ。「紆余曲折」あった道のり
・見えてきた兆し、光、そして自称ポンコツ事業部長の誕生
・守った組織がつくった実績、片や自信の持てない自分
・本部長が加わった変化、今の目標


・エンジニアからエージェントへ。「紆余曲折」あった道のり

ー田中さんの経歴を教えてください!

僕は立命館大学を卒業後、ワークスアプリケーションズグループのレジェンド・アプリケーションズ(現:株式会社ラキール)に総合職で新卒入社し、5カ月ほどの研修後Javaのエンジニアとしてキャリアをスタートしました。
大手カラオケチェーンで使用するシステムの開発などを担当し、2年半ほど勤めていました。エンジニアの仕事は楽しかったですね。ものをつくることがシンプルに楽しいし、クライアントと話したり現場で感謝されてやりがいもあり、転職後も繋がっているエンジニアもいるほどです。

でも正直なところ、就職活動の時も漠然とIT業界を目指していて、総合職入社という点からも、決してエンジニアになりたくてなったわけではないんです。
だからこそ、他のエンジニアと比べて専門領域に対する興味の深さが足りないと思いました。世の中のエンジニアは家でも勉強するくらい熱心だけど、僕は当時全く勉強できておらず、お酒を飲んだり趣味のトレーニングに明け暮れていましたね。

このままいってもダラダラしてしまうだけだと気づいた時に、体育会系出身だったのもあり、自然とセールス職への転職を志していました。

TSSを知ったきっかけは、リファラルです。
レジェンド・アプリケーションズの同期が先にTSS(当時:Branding Engineer)に転職しており、紹介してもらいました。
現場の様々な人と話をする中で、当時のTechStarsのマネージャーが同い年かつとても優秀で、一緒に働いてみたいと思い2018年7月頃に入社し、当時5名ほどのメンバーで構成されていたTechStarsへの配属になりました。


ー入社してからの、田中さんがTechStarsで歩んできた道のりを教えてください。

TechStarsは当時立ち上げて3年目、決して好調な部署とはいえず赤字続きで、質を追及する今とは全く違い、当時はとにかく数をこなすやり方でした。僕が入社した時も特に研修はなく、OJT式で場数を踏んで感覚を掴んでいった感じです。

それでも、入社して半年後に単月での全社MVP表彰をもらうことができ、成果が出せたことにほっとしました。その後は徐々に環境にも慣れてきて、新卒採用の面接官や、リーダーのようなポジションも任せてもらうようになりました。
そんな最中、2020年にコロナが発生してしまって……
TSSのメイン事業であるMidworksは影響をほとんど受けなかったのですが、人材紹介であるTechStarsは売上が鳴かず飛ばずな状態となり、事業部維持が困難である点から、経営判断としてメンバーを別部署に異動させるという一時的な事業縮小が発生しました。それにより、3月から当時のマネージャーと僕だけになり、さらにマネージャーが退職してついに気づけば1人部署となってしまいました。僕にも異動の話が来ましたが「1人で部署を維持させてください!」と代表に頼み込み、熱意を認めてもらった形でした。
そこからは他のサービスと連携したり工夫して、とにかく事業部を維持することに必死でした。上手くいかない日々が続く中、ふと辞めようかという選択肢も頭をよぎりました。

そんな時、TechStarsの顧問として週に1回入っていただいた大恩人の存在が支えとなりました。
この方は、事業本部長の佐地さんの記事にも登場している、鈴木康弘さんです。
僕はやっさんと呼んでいて、代表の高原さんと僕がやっさんが経営するバーにお伺いし懇願して、顧問になっていただいた信頼できる方です。

休憩所で煙草を吸いながら相談したんですが、ここからが面白くて。
やっさんから突然「お前はバイクを買え。」とアドバイスをもらいまして(笑)
そして、僕も深く考えず「わかりました。」と素直に聞いてその1週間後にはバイクを買いました(笑)
予想だにしないアドバイスをもらい、それをそのまま実行してみたんですが、結果的には気分転換になりました。気持ちが落ちている僕への大恩人なりの励ましだったんだと思っています。
ちなみにそのバイクは今も愛用しています(笑)

そして、自分が抜けてしまったら事業がなくなる可能性や自分のキャリアの中途半端さを冷静に捉えられるようになり「もうすこし頑張ろう」と前向きな気持ちになれました。


・見えてきた兆し、光、そして自称ポンコツ事業部長誕生

ーそこからどのような経緯で事業部長になったのでしょうか?

僕には、先ほど話した大恩人に加え、師匠、そしてボス(と呼んでいる事業本部長 佐地さん)の存在があるんです。
危機的状況を乗り越えた後、僕が事業部長になるまでには、師匠との出会いが影響しています。

1人部署になって1年弱になる頃、徐々に転職市場の実態も見えてきて、経営陣も「TechStarsもいよいよ攻めに転じよう!」と、異動していたメンバーを戻し始めました。
そのタイミングで、「師匠」と呼んでいる僕の前任のマネージャーが入社しました。
前任のマネージャーが戦略を立ててくれて、その戦略で様々な変化が起こりました。まず、TechStarsに「クライアントオーナー制」という体制が構築されました。1社の企業に対して1人のメンバー(エージェント)が担当につき、様々な求職者を紹介する制度です。(ちなみに、現在は戦略上「キャンディデイトオーナー制」という、“1人の求職者に対して1人担当がつき、様々な企業を紹介する”真逆の体制になっています。)

そして、年間売上が明確な計画の元でインセンティブ制度も導入されました。
インセンティブを受け取ることで、“人材紹介の仕事を頑張ると対価がこんなにもらえるんだ”と驚くと同時に、「エージェントとしての本当のやりがい」が見えたんです。

お金をもらえること自体が嬉しいのではなくて、この目に見える対価の分、自分だけでなくクライアントや求職者、三方良しをたくさん実現できているんだと思えるようになって。対価をもらうことは、“誰かを幸せにできている証”という実感と本当のやりがいへの気づきとなり、僕にとっての大きな転機でした。

師匠と呼ぶ前任マネージャーが変えてくれたこの制度と環境は、入社してからずっと走り続けた僕にとって初めて見えた【キャリアの兆し・光】だったんです。
そう感じていた時、前任のマネージャーが退職することになりまして……師匠の元々の夢を叶えるチャンスが巡ってきたという事情があり、僕は応援したいと思いました。
でも、前任マネージャーがいなくなると同時にこのようやく見えた兆し・光がなくなってしまうような気がして……僕個人としても、そして組織としてもこの光を守りたい。そう強く思い、前任マネージャーが退職することを僕に告げた際、その場で自ら「僕が引き継いで事業部長になります」と宣言していました。そして代表にも直談判していました。

師匠との出会いで見えた兆しがあったからこそ、こんな僕でも組織を守るという覚悟と共に、会社に対して事業部長になることを宣言できたのかなと思います。元来プレイヤー気質でマネジメントはやりたくないタイプだったし、誰かに任せることもできたのですが、どこかに他人任せにできない自分がいて嫌だった。今思うと、このときが僕の「仕事におけるプライド」が生まれた瞬間だったんじゃないでしょうか。

そうして、自称“ポンコツ事業部長”の誕生です。


ーそこから今の実績をつくるまでのアクションが知りたいです。

2つあります。
1つ目は、サービスとしてエンジニア向けにこだわり続けること。
そこに事業としての勝ち筋があると思ったので、エンジニア職種のみに集中していました。これにより、サービスがWeb記事などに取り上げられるようになり、認知が上がっていることに手ごたえを感じました。

2つ目は、とにかく「常に組織と制度を守る」アクションをとること。
事業部長就任とはいっても、当初は会議体の進め方一つでも周りに指摘されたり怒られたりするぐらい色々なことができていなかったです。僕が事業部長としてポンコツだと思っているのはこういった背景です。

そんな事業部長でも、組織と制度を守らなければ色々変わってしまいます。
もし利益がなくなれば制度は途絶えてしまい、その中で働くメンバーのやりがいが少なくなっていき、組織が崩れていく可能性があったため、メンバーの利益維持を第一に考えてメンバーの意見も聞きながら行動していました。
恐らく組織で働く上ではもうすこし全体最適を考えるべきで、上に立つ者のあり方としては決して正解であったとは言えないのですが、でも僕はそういう考えでした。

そんな中でメンバーたちがとにかく頑張ってくれた結果、引き継いでからの9期は売上目標を達成し実績をつくることができました。


・守った組織がつくった実績、片や自信の持てない自分

ーついに売上目標を達成され、10期以降もさらに成長していきましたよね。

9期は売上目標を大幅に上回る結果を残し、続く10期も昨対比を上回りましたが、僕にとっては10期が一番大変でしたね。
スタートの時点で、主力であったメンバー2名が独立や次のステップへという形でTSSを卒業してしまって、以降は売上を立てることに苦労しました。
経営会議でも戦略などを細かく求められ、苦労しながら上期の最終月である2月にようやく昨対比100%以上を達成できて、ここでどうにか体制を持ち直しましたね。

10期は、すごく細かい数字や進捗の可視化などに徹底して取り組んでいました。
なので現場ではピリピリした感じであたっていただろうし、マイクロマネジメントだったので、メンバーには負荷をかけた時期だったんじゃないかと思います。


ー今、新たな実績を実現できましたが、気持ちとしてはいかがでしょうか?

そうですね。
率直に嬉しいですが、僕の中ではまだ何も成功体験に繋がっていないと感じています。

正直にいうと、自分に全く自信が持てないんです。
元々自分に自信がないのもありますが、事業部長になることを宣言してから3年間ずっとがむしゃらに走り続けてきたので、僕自身のやってきたことを棚卸しできていないんだと思います。
でも棚卸ししたところで、僕の成果は数字の実績というよりやれることは全部やってきたという定性的なスタンスの話なので、なかなかこの経験を理解してもらうことは難しいと思っています。もっとわかりやすい標準的な実績が出せないと、張りぼてだし「井の中の蛙」でしかないという感覚です。

今回の実績も結果としては良かったです。
僕も頑張った要素もあるけど、でもそれ以上にメンバーたちの頑張りの成果であり、僕自身の成果ではないと思っていて。自分の実績・実力として胸を張れるものはまだ何もないので「ここから再現性があり確固たる実績を作っていかないといけない」というのが今の想いです。


▼その想いを宣言したX(旧:Twitter)のポスト


・事業本部長が加わった変化、今の目標

ー10期の大変な時期を乗り越え、今後をどのように考えていますか。

今後は、10期の下期から事業本部長として参画してくれたボス(佐地)の描く未来を実現するために、より拡大したサービス・組織を作りたいと思っています。
佐地さんが今後に向けて描いているのは、記事にもある通り、まずは売上1,000億円の達成。我々が業界のTOPプレイヤーとして世の中に影響力を持ち、キャリアで悩む人をなくしたいと考えています。そのために、現時点ではまだ発表できない様々な仕掛けを水面下で進めています。

とはいえ僕自身まだまだ未熟な事業部長であり、ボスの掲げた目標を実現していくためには更に己を磨いていかないといけません。
10期スタート時の不調を上期中に自力で売上を取り戻すことはできましたが、正直年間達成が厳しいかもと想定していた状況を巻き返せたのは、下期からジョインしてくれたボスの戦略が走り出したおかげだと思います。

実力不足な面もありますが、いつか「僕が事業部長であるTechStarsがあったからこそ、この目標を叶えることができたんだ」と胸張って言えるくらいに、TechStarsをさらに大きくして目標に向けて貢献したいと思っています。
僕はTechStarsが好きなので、TechStarsを通して関わる皆のキャリアが拡がってほしい。
メンバーたちの給料が変わっていく、生活水準が変わっていく、それを誰かに還元できるようになる、そんなサイクルが生まれるとき、同時に求職者とクライアントにもハッピーを届けられている証拠だと思うので、僕はやっぱりこれからも働くメンバーたちが向上することにコミットしていきたいです。
TechStarsというサービスを守ってきたプライドもあるし、メンバーも好きだし、当時ポンコツだった事業部長がここまで続けてこられたのもこの組織だからこそ。

ボスの描く未来と僕の目標を実現できるように組織とサービスづくりに取り組み、またこれからもメンバーたちと走り抜けていきたいと思います。




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