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面接からの内定率60%(選考辞退40%選考不合格0社) 卒業手前に人生のどん底を経て就活をやりきった僕が、Visionary入社を即決した2つの理由

◆Profile
寝屋川高校時代、読書1000冊を読破
神戸大学経済学部在学時、書籍10000冊を読破
小学校の頃から『教育』と『貧困』の問題解決を志す
高校から平均睡眠時間2時間生活を続けてきたショートスリーパー
国際公務員として国際連合で働くことを志していた彼は
何故最後にベンチャー就職を選んだのか


ー 学生時代は本を大量に読まれたとのことですが、どんな本を読んでこられましたか?

昔から本を読むのが好きだったので、高校受験を終えたあたりから一般教科の学びに満足を感じにくくなってきて、とにかくあらゆるジャンルの教養を深めたいという気持ちから量を読むようになりました。

高校時代は、老人と海や罪と罰などの海外文学、雪国や堕落論などの純文学、古事記や宇治拾遺物語などの古典を中心に3年で累計1000冊以上は読みました。とにかく読むことが楽しくて、この時から睡眠時間がどんどん短くなって今でも2時間睡眠生活が習慣化されてます。

大学時代も引き続き本を読み続けました。編入専門学校を一度挟んで幅広い専門性に触れられたこともあって、入学後4年間で10000冊以上の本を読みました。3回生を過ぎたあたりからは、読む本がなくなってきて、本だけでなく「漫画」も読むようになりました。通常、本や漫画をまとめて読む場合は、何かのシリーズ毎にまとめて読む「シリーズ読み」が一般的かと思いますが、高校から大学にかけて読書が高速化されてきたこともあって、私はこの1ヶ月で10棚を読み切ると言った「棚読み」をしていました。行きつけのブックオフを毎日棚毎に制していく感じです。その為、行きつけのブックオフの棚からは読む本も漫画もなくなっていました。

基本新しい本を読むことが好きなのですが、高校時代から大学にかけて読んだ中でも、「生き方」稲盛和夫著や「道をひらく」松下幸之助著は何度も読み返しました。2冊とも10回以上は繰り返し読み、自分自身の今の価値観や生き方に強く影響を与えてくれました。2冊に通ずるものとして「確固たる信念」があります。周りからどれだけ揶揄され蔑まれようとも、信念を持って自分の生き方を貫く姿に胸を打たれました。なかでも、「道をひらく」の“国の道”という章は強く印象に残っています。「いかにわが道をひらく精進を重ねても、国としての道がひらけていなければ、所詮はそれは砂上の楼閣。誰かが何とかしてくれるだろうでは、誰も何ともしてくれない」。この文章を読んだとき、胸が震えたことをいまでも覚えています。誰かがやってくれるのを待つのではなく、自分でことを起こさねばならぬと思いました。

感動と学びを与えてくれた「道をひらく」と「生き方」

ー 大学進学はどうされましたか?

編入専門学校を経て、専攻科目を特定した上で、神戸大学経済学部に進学します。

小学校の頃にいじめにあった経験から「教育」の形を変えたいという気持ちと、母子家庭で育ったこともあって「貧困問題」の解決に携わりたいという夢がありました。夢を叶える為に、大学進学する上では何が最適な道になるのか、高校授業や受験勉強、読書からの情報だけではなかなか答えが見えなかったので、正しく見極める期間としてまずは編入専門学校に進学します。その中で、生きていく中で直接的に役立つと想定した専門性、法学、経済学、政治学、社会学、心理学、国際関係学を学び、知識の解釈が多角的な学問と答えのある学問の違いに気付きました。経済学以外は、概念と解釈が人それぞれで答えが無い。ただ、経済学だけは数値化が出来て答えが見い出せる。教育と貧困といった大きな問題にも具体的な答えがみつかるはずだという思いから、経済学部を選択しました。高校では、上位偏差値の大学や専攻を順に受験する意思決定が主流でしたが、自分の将来の為に何が一番正しいのか答えをみつけた上での専攻選定でした。

最後の大学選定は、成績上位者として入学金以外を免除してくれるのが神戸大学だったので、学費の観点で家庭の負担を少しでも軽減すべく、神戸大学経済学部経済学科への編入を決めました。

ー 大学時代はどのような活動をされてましたか?

時間で言うとほとんど読書に費やしていたので読書なんですけど、それ以外だと、生活費を稼がないといけないので、個人事業で、母子家庭に特化した家庭教師をやってきました。自分が母子家庭ということもあって母の苦労を見てきているからこそ、母子家庭に対して安価で自分に出来ることで少しでも貢献したいという気持ちから始めます。最初は一般の家庭教師会社に登録していたのですが、母子家庭と出会える確率は高くなく、また紹介がもらえる数も限られていたので、試みとして1ヶ月に2000件の訪問営業を実行します。

営業時に意識したのは、いかに家庭教師・塾を求めている母子家庭と出会える確率を高めるかという点です。大阪市の母子家庭世帯比率が約3%で、100件の家庭を訪問すれば、3件は母子家庭世帯が見つかることはわかったので、大阪市内で家庭教師を多く求めている市を、塾講師・家庭教師の求人が多く出稿されている地域が需要過多と仮説を立てて、地域を特定した上で訪問営業を行いました。

営業効率を追求した結果、初月から10件のご家庭へ教育をお届け出来るようになり、最終的には5件のご家庭を卒業まで継続的なお付き合いを頂きました。因みに、訪問時に母子家庭ではないと判明したご家庭で、家庭教師需要がある場合は、信頼出来る友人を紹介するようにして、あくまで私は母子家庭へのサービス提供にこだわって運営してきました。

ご家庭の中には、中学一年生から不登校の生徒が居ました。出会った頃は、定期テストの点数は50/500点に届けばいいくらい。学校に行っても授業がつまらず、授業内容も理解できないので、定期テストの点数は下がり続け、やる気をなくし、学校に行かなくなる、という悪循環に陥っていました。1年間かけて、なぜ勉強をすることに意味があるのか、ということを一緒に考え続けて、勉強に目的意識を見出し、少しずつ習慣化していきました。最終的に、中学校に戻ることは出来ませんでしたが、地域の進学校に合格しました。入学後は不登校もなくなり、彼自身が周りの友人に勉強を教えるようになったと後から聞いた時は、涙が出るほど嬉しい気持ちになったことを覚えています。

「とにかく行動する、やり切ることが大切」だと感じた(吉川さん)

ー 国際連合を目指された背景には何がありますか?

私がやるべきことは「教育」と「貧困」の問題解決と決めていました。なので、一般就職と言うよりも、国際公務員としてILOに入って世界から教育と貧困を変えていくことが一番の近道で、最も影響力を持った問題解決に繋がると考えていたので、最初、一般就職は特に考えていませんでした。国際公務員になるためには、修士号が必要で、中でも尊敬していた日本の開発経済学の先駆者である、黒崎卓教授のもとで学びたいと思い、一橋大学経済学研究科の受験に向けての準備を進めていました。

国際連合での会議を何度も見た


ー 就職活動へと変遷した背景にはどのようなことがありましたか?

国際公務員から一般就職を目指すようになった転機としては、国連の方々と直接お話をさせて頂く中でキャリアにご助言を頂いたことがきっかけです。実際に国連で働いている人達と議論がしたいと思い、国連の方が主催されているセミナーに参加して、講師の方に後日お話の場を頂けるようアポイントを切り、その方を経由で3名の国連で働いている方々とお話の機会を頂きました。その時に共通して言われたことは、私のこれまでの考え方とは違った考えでした。国連の目的はあくまで各国の利害でありマクロ経済へのアプローチがメイン。教育と貧困問題解決は、勿論理念として持っていて活動もあるが直接的にはならないと。問題解決へのビジョンが明確で、志を感じてもらえたからこそ、もっと具体的なビジネスでの問題解決の方が適しているのでは?と起業を勧めて頂いたご意見でした。起業はリスクがある選択だと感じながらも、実際に働いている複数名の方々から同様のご意見を頂いたので、一度一般就職も検討して行こうと4回生9月から就活をスタートします。

就職活動を決意した矢先、私にとって人生最大の悲しい出来事が起こります。生まれてからこの瞬間まで、私を育ててくれた母の自殺です。母が自殺する前夜、久しぶりに2人で夜ご飯を食べに行って、いろんな話をしました。その時、いつもは絶対弱音を吐かなかった母が、「仕事が辛いからやめたい」とこぼしていて、驚きましたが、すぐに「辞めていい。今まで自分を育ててくれただけで十分。これからは俺が何とかするから辞めていい。」と伝えました。が、その翌日、母は私に何も告げることなく、職場の非常階段で自殺をしました。

この日ほど自分を恨んだことはありません。もちろん、働いていた職場にも怒りは覚えましたが、一番許せなかったのは何も気付いてやれなかった、無意識に追い込んでしまっていた自分に対してでした。

母の死後、一通の手紙を見つけました。手紙には、私への謝罪と弟を守って欲しいと書かれていました。それからしばらくは、自分にもっと力があれば防げたのではないか、どんな力があれば良かったのか、あの時どんな言葉を伝えていれば良かったのか、頭の中は自分自身への不甲斐なさと後悔が延々と渦巻いて、就活にも勉強にも身が入らず、全てが無気力になっていました。

年が明けた頃、親友の1人が「チーズはどこへ消えた」という一冊の本を紹介してくれて、無気力ながらもなんとなしにその本を読んでみました。この本にはごくごく当たり前のことが書いてあり、「変化は必ず起こるものであり、その備えを行わなければ、その変化によってマイナスの現象が起こりかねない」ということでした。普段なら何も気に留めない至極当たり前のことですが、落ちきっていた私には、正に至言でした。

母が残してくれた手紙の内容も思い出し、大げさかもしれませんが、自分にはまだ弟が居て、何も行動を起こさなければ弟の命までもが危ぶまれるかもしれないと危機感を感じ、その日を境に、一瞬たりとも後悔しない生き方をしよう、母が生きていたであろう時間まで自分の人生を生き切ってやろうって、覚悟を決めました。

お母様の形見


改めて、国連の方々から頂いたご助言と、母の残したメッセージも踏まえ、必死に考えた結果、私がやるべきことは、とにかくがむしゃらに生きるということ。一秒も無駄にはせず、自分を極限まで追い込んで、働きに働いて、力強く社会で生きていける力を身に付けることなんだと。年明けから、修士号に向けての勉強は一切ストップして、全力で就活に取り組むことに決めました。

覚悟を決めてから、更に読み込み、「自分に必要な物をいつも思い出させてくれる」(吉川さん)


4回生1月と就活トレンド時期からずれ込んでいたので、就職の為に1年浪人し、就職先の会社候補としては、業界リーディングでなおグローバルに成長を続ける企業と、激しく成長を続けるベンチャー企業に絞って挑みます。

どんな会社なのか、1社1社足を運んで働いている人達とも何度も議論を重ねて、人生を投下すべき企業なのかどうか真剣に向き合ってきました。特にベンチャー企業は情報が少ないので、企業探しは困難でした。ネット上では人気企業だ優良企業だと言われていても、いざ働いている人達に会ってみるとどこか覇気が感じられなかったり。尖ったベンチャー企業の人達と議論をしていく中から、ビジネスモデルが分析出来るようになったり、ただその分、実態ビジネスとネット上に書かれている情報にギャップを感じるようになったり、会えば会うほどビジネスへの理解が深まっていきました。

内定後はすぐに働くと決めていたので、就活期間としては3ヶ月間でやりきった結果、選考企業数10社、選考辞退4社、内定・内々定6社を頂き、内定率60%の着地となりました。金融や人材業界の最大手機関、難関ベンチャー企業からも内定を頂きましたが、最後に出した結論は、その中でも一番魅力を感じたVisionaryへの入社でした。

「内定後に嬉しくて写真を撮ってもらいました!」と嬉しそうに語る(吉川さん)

ー 多数の内定を頂いた中で、Visionaryを選んだ理由は何故ですか?

人と、事業戦略から生じるキャリアの早さです。

人軸では、受けて来たどの企業の方々も、特に役職ある方々とお話をする中で感じてきたことは、ビジネスへの感度が高くて、働く信念を持っていて素晴らしい人達だと感じました。当たり前の話だとは思いますが。Visionary社員の方々も同様でしたが、信念を伝える際の熱量と、ビジネス議論への好奇心、フィードバックを受けた時のレスポンスの速さに的確さ、一つ一つ聞き手に対する配慮が凄いと感じました。最終の社長面接では約2時間、私の「生き方」について話しをして頂きました。会社の話しではないのに、ここまで真剣に向き合ってくれる会社は他に無いなって思い、最後は即決で入社意思を伝えました。

事業戦略から生じるキャリアの早さは、Visionaryがミッションとして掲げている「飽くなき事業創造」という考え方から感じた内容です。私がこだわってきたのは、①最速マネジメントポジションと、②新規事業への積極性です。将来事業をするにあたって、30代までにはどんなキャリアにでもチャレンジ出来る状態にしておくことが必須だと感じていて。まず①について、一般企業のみならずNPOから公務員まで、部署内から部署間まで超えて、どんな組織からも求められる能力がマネジメントであり、いち早くマネジメント経験を詰んで、仕事を奪っていける環境に身を置くことが人生を飛躍させてくれると考えています。大手ではなくベンチャー企業を選んだ理由としても、ここのスピード感が大きいです。次に②について、新規事業に積極的ということは上司陣がスライドしてポストが空きやすいので、マネジメントチャンスが増えるということにも繋がります。何より、自分がチャレンジする時のことも考えて、0からの事業経験はやっておかないといけないと思ってます。

「作り込まれた高度な営業戦略と人への熱さ、ここでならどこよりも学べる」(吉川さん)

ー 最後に、学生へのメッセージをお願いします

人の話を鵜呑みにせず、自分の頭で考えるクセをつけて下さい。入社前の約1年インターンシップでVisionaryで働きました。社会に出ると学生時代の比にならないくらい自分の頭で考える場面が増えます。誰かが言っていたからそうしようではなく、本当にそうなのかと自分自身で考えるクセを身につけておいた方が良いです。

そして出来ることであれば、働く前に自分が人生で成し遂げる答えをみつけて下さい。私には小学校より志した夢がありますが、母の事故に直面する中からも、私の考えはより一層強くなっていて、その積み重ねの先に実現が待っていると思っています。覚悟を決めるのは早ければ早い方が良い。生きる中で意味が無いことなんて一つも無いので、目的を見出して日々の生活を過ごして下さい。

「インターンでは責任重大で且つ、それでも自由にやらせてもらっていたので常に自分で考えて動くのが本当に大変でしたね (笑)」と笑う吉川さん

ー ありがとうございました!

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