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ケニアでは上手くいかなかった事業がタンザニアで成功した3つの理由【WASSHA創業ストーリーvol.2💡】

WASSHAはアフリカに事業拠点があるちょっと変わった会社です。今日は、そんなWASSHAの代表である秋田さんに根掘り葉掘りインタビューしてお聞きした、波乱万丈の「WASSHA創業ストーリー」を皆様にご紹介します!

※本記事は、以下の記事の続編です。↓

「生まれる子どもに父の背中を」外資コンサルを辞め、アフリカ6億人の貧困を解決するスタートアップCEOの創業前夜。

WASSHA代表:秋田 智司(あきた さとし)🕴

高校時代に彼女に振られたことをきっかけにアフリカに興味を持ち、アフリカの貧困にアプローチするビジネスを志す。IBMビジネスコンサルティングサービス株式会社(現 日本IBM)で通信・エネルギー分野の新規事業開発や航空業界の業務改善プロジェクトに従事した後、2013年にWASSHAの前身となる会社を創業。300人近い現地スタッフと日本人スタッフと共に、アフリカの未電化地域で電力の割賦販売を行っている。


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【WASSHAの歴史】

◉創業前夜🌙

◉2013年

会社設立🏢

◉2014年

11月までかけてケニア🇰🇪で11店舗💡

◉2015年

ケニアはクローズ。タンザニアに集中🇹🇿→150店舗達成💡

◉2016年

800店舗達成💡、JICAから出資を受ける🤝

◉2017年

オペレーション改善、チーム作りに力を入れる👫

◉2018年

準備フェーズ、1000店舗まで増やす💡

◉2019年

会社拡大期&IPO準備🔥

国連WFP、ダイキン、ヤマハなどとの提携🤝

◉2020年

ウガンダ進出🇺🇬

コロナでタンザニアに日本メンバーがいなくなる🦠

◉2021年

5000店舗達成💡

◉2022年

モザンビーク進出🇲🇿

◉現在

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それでは、波乱万丈のWASSHA創業ストーリーをどうぞ!⛵️

オフィスも何もない。とうとうアフリカで、ビジネスを0からスタート



🎤前回記事では、WASSHA創業からCOO米田さんのジョインまでのお話をお聞きしました。

創業当初は、どのようにしてアフリカでビジネスをスタートさせたのでしょうか。

🕴最初の方は、秋田、米田、日本人メンバー1人、ケニア現地スタッフ1人というメンバー4人でやってたんだけど、まずはオフィスもどこも無いから喫茶店で待ち合わせして、「今日はじゃあまずオフィスを探しに行きましょう!」とか言ってネットで調べて、「ここちょっとなんかシェアオフィスっぽいですよ」「じゃあ言ってみましょう」かいって、4人みんなでシェアオフィスに行って「ここって借りれます?」みたいな話をしながらオフィス決めて。

そんな感じのスタートだったね。

その後、現地メンバーを雇って、1ヶ月に1店舗とかってペースで増やして行ってたんですよね。だから6月は1店舗だけで、7月にもう1店舗周辺に開拓して。で、またその次の月にもう1店舗開拓して、とかで最初3店舗ぐらいでオペレーションが回るようにシステムの改修したりとかしながらやってました。

でも3店舗でも売り上げが全然無くて、「なんかぜんぜん売れねーな」ってなってたんですけど、でもこれは多分他のところ行ったらいけるはずだからって、12月までに11店舗ぐらいまで増やしたんですよ。

その一方で、その頃5月くらいからケニアではテロがめっちゃ活性化してて、毎週どっかの道端で乗合バスが爆発するみたいなことが起きてたので、誰か1人でもテロに巻き込まれて死んじゃうとかってなったらダメだから、「もう1か国安全な国でもやろう」って色々周辺国を回った時にその時安全なのがルワンダとタンザニアだったので、その2つで考えた結果タンザニアにも出すことが決定しました。


「マーケットがどうとか関係なく、海のある街だからタンザニアは良いよね」



🎤なんでルワンダじゃなくてタンザニアだったんですか?

🕴それはね、なんかマーケットがどうとか関係なく、海のある街だから良いってなったんだよね。(笑)

タンザニアやルワンダを見て、「(タンザニアが)海あるの良いですね〜」みたいな話になって、「ちょっとザンジバル(タンザニアのリゾート地)行って考えよう」って言ってザンジバルの海が見えるレストランで「どうします?」って言ったら、

みんなが即答で「やっぱ絶対タンザニアでしょう!」っつって。

🎤最高ですね😂

🕴そこから、ケニアとタンザニアを行ったり来たりっていうことをやっていました。

話が戻って、ケニアでは先行してスタートして11店舗入れてたんだけど、11店舗で全然売り上げが伸びなくて。

それで、「やばいなー、このままだと全然上手くいかないなー」と思っていた時にタンザニアでのライセンスがやっと全部登記が完了して2015年の1月に1店舗目を導入したんですよ。

そしたら、タンザニアの1店舗目の売り上げが、ケニアで1番高い売り上げを出してた1店舗の売上をいきなり1カ月目で上回って。

「めっちゃ売り上げ上がるじゃんタンザニア」ってなったんだけど、その時11店舗もケニアで全然上手く行ってなかったから、めちゃ疑り深くなってて、「いや、これ絶対たまたまですよ」って、2店舗目も試しに入れてみたら2店舗もめっちゃ売上高くて。

それから3店舗目も入れたら3店舗目も売り上げがめっちゃ高くて、ケニアとタンザニアの14店舗のうちTOP3全部タンザニアになって、「これタンザニアの方がいいんじゃないですか」みたいな話になって、「これはもうタンザニアに集中しよう」っつって、3月に残ってたアセット全部タンザニアに入れることに決めてタンザニアに+10店舗とか入れてみたら売り上げは軒並み良かったんですよ。

そこからケニアはクローズさせてタンザニアで集中しようって決めたのが2015年ですね。


ザンジバルの海🇹🇿🐠↑


ケニアでは上手くいかなかった事業がタンザニアで成功した3つの理由


🎤なぜ、ケニアではなくタンザニアでは上手くいったのでしょう?

🕴これは、3つあって。

「電力会社の状況」と、「競合製品の価格」と、「現地でのレンタルサービスに対しての受容度」だね。

まず1つ目の「電力会社の状況」で言うと、ケニアはえっと「発電、送電、配電」が分離してるのね。電力事業が民営化されてそれぞれが別の会社としてどんどん拡大して電化が進んで行ってたんですよ。当時僕たちがいた時も未電化地域はあるんだけど、ケニアの現地にいる人たちからすると、「いつかまあそのうち待ってれば電気くるだろう」って期待値がすごくあって、僕らの未電化地域向けのサービスも使ってもらえなかったんだよね。

一方でタンザニアは100%国営の会社が1つでタンザニアの国土全部を見てて、かつめっちゃ赤字が続いてるから世銀かどっかの経営立て直しチームみたいなのが入ってきて経営立て直しを何年間かやろうとしたんだけど上手くいかなくて、その海外からの立て直しチームも匙を投げて、「もうこれは無理だ。」ってタンザニアに返されたくらいのお荷物企業。

だから「電化の期待度」が大きく違ったんだよね。

2つ目の「競合製品の価格」としては、僕らのサービスの代替品でいうと「ケロシンランプ」っていうのがあって、このケロシンが、ケニアでは同じ値段でほぼ同じクオリティのケロシンが手に入るっていう環境があって、灯りを取ることができる。

その一方でタンザニアはダルエスサラームの周辺ですらケロシンを売ってなくて。かつ地方に行けば行くほど値段がどんどん高くなってクオリティが低くなって不安定だったんですよね。



最後に3つ目の「現地でのレンタルサービスに対しての受容度」に関しては、なんかケニアの人にはあんまりレンタルが受けなくて、「金払ってんだから俺のものにしてくれよ」って交渉してきたりとか「何回借りたから、もう俺のものにさせろ」とかって言って返さないみたいなのがすごい多くて苦労したんですよ。

でもタンザニアの人は、「普通にお金出したら買えない高いランタンをこの値段で1泊だけだったり、レンタルできるんだったら超便利だし、ランタンって超いいじゃん」みたいなことを言う人たちがすごい多くて、レンタルサービスに対しての受け入れやすさが全然違ったんだよ。

その3つが分かって、もうケニアで頑張るのやめようつってタンザニアで展開するようになったっていうのがありましたね。

🎤そんな経緯があって今でもタンザニアを中心に事業を展開しているんですね!

🕴そうだね!



◉最後に💡

🎤最後までお読みいただいた皆さん、ありがとうございます!😊

今回は、WASSHAの代表である、秋田さんにお話を伺いました!

次回は、事業地をタンザニアに絞った後、どんどんとランタンを扱う店舗数を増やし、150店舗、さらには800店舗まで拡大し、遂には、当時スタートアップへの投資はほとんど行っていなかったJICAからの出資を受けるようになるまでのストーリーをお届けします。

お見逃しのないように、WASSHAをフォローのほど、よろしくお願いします!

また、本記事へのいいねやSNSでのシェア等も大歓迎アサンテサーナです!🇹🇿

では、また次回の記事でお会いしましょう〜!

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