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白紙の地図を片手に

ハローワールド。
初めまして。合同会社森アンに入社して、そろそろ1年と3か月になる平尾です。さっそくですが自己紹介をば。

サイコロを振って

私が生まれたのは、東京都の成増というところです。
といっても、そこにいたのは2歳ぐらいまでの話。

火事に遭って2階から落下したりしましたが、それは割愛します。
生まれは東京ですが、育ったのは埼玉県朝霞市というところになります。
特徴がないことが特徴です。でも東京に近く、人がそこまで多くなく、緑もたくさんあるので、しいて言うのであれば「住みやすさ」が売りだと私は思っています。大体3歳から現在まで、私はずっと朝霞市に住んでいます。(だというのに、正直仕事場の三軒茶屋の方が道に詳しい。なんでだ)

私がどんなちびっ子だったか。私もよく覚えていません。
取りあえず覚えているのは、英会話と水泳を習っていたことと、本ばかり読んでいたことと、よくいじめられていたことです。
はい、私はいじめられっ子だったのです。幼稚園から中学2年の初めまでだったかと記憶しています。
とはいえ、今ではそれも糧となっています。無駄に危機回避能力と、ポジティブに磨きがかかった気がしています。(休み時間に図書室に逃げ込んでいたので本好きになったことを、今思い出しました)

大学は高校時代の恩師の影響で、日本史学科を専攻。ひたすらにのめり込み、好きなことだけ研究していました。
加えて私の両親は二人とも、ゲームに漫画、アニメが好きで、ちびっ子の私にもためらいなく見せる人たちでした。
私は当然のようにオタク街道をひた走り、それが今でも継続中です。ゲームとTRPGが楽しい。
休日に母親とアニメ映画を鑑賞しに朝イチで行ったり、父がゲームをしているのを私と母で実況したり。
しょっちゅうTRPGに勤しんでは、サイコロを振って一喜一憂しております。



森アンにいる理由

さてさてそんな私が何故ここ、森アンにいるのか。
私も大学3、4年生の時に就活を行いました。
スーツを着て、黒いヒールを履き、髪を整え、はきはきと元気よく。ええ、まあここまではよかった。
最初はやる気にあふれていた私。ですが就活を進めるにつれて、どんどんと「日本の就職活動」が気持ち悪いものにしか見えなくなってしまったのです。
同じ格好・同じ髪型をして、テンプレートな自己PRを書き、満面の笑みで面接官と話す。
とある外国の方は日本の就活をして「まるで奴隷を選んでいるようだ」と言いました。私にもそう見えてしまったということです。




当然、それだけではないことも分かっているのですが、私はどうしても「日本の就活」に耐え切れずにやめてしまいました。
そして心に決めました。絶対に通常の就活の方法で、会社に就職をするものか、と。

そうして出会ったのがアウトロー就活で、そこに参加していた企業が森アンでした。
興味をもったきっかけは、私の母も登録ヘルパーとして働いていたことです。


そこから社長である森代表と何度かお話をして、私はこの会社へと入社しました。まず、社長とカフェでお話できたことにびっくりしたのを覚えています。

森代表は具体的なお話というよりも、私のとりとめのない話をたくさん聞いてくれたように思います。
言ってしまうと、森代表じゃなければ、私はここにいなかったでしょう。それが森アンに就職した最も大きな理由だと感じています。(気になる人は、それこそ会いに来てみて欲しいです)


(↑よくイラスト描きます)

白紙の地図と未知の出会い

そのような変遷で、私は今日もチャリンコを走らせています。「大変か」と問われれば、「大変です」と返すでしょう。(特に私は朝がとてつもなく弱いのです)

しかし、私が感じている、確信していることが今一つだけあります。
「介護の中には、通常の仕事をしていたら絶対に人生で交わらないものと、交わることができる。未知の出会いが待っている」

皆のように明確な希望や、確かな予想図・理想を抱いているわけではない私ですが、これだけは言えるのです。そんなわけで、私は白紙の地図を手に、チャリンコを走らせ、日々そんな未知の出会いがあるのではないかと期待しているのです。

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