【新連載#8】ジューキューソツの初志|どうしてJBAに決めたの?|広島大学大学院 生物圏科学研究科 大畠 吉裕

【連載】 ジューキューソツの初志

「どうしてJBAに決めたの?」就職活動を終え、たくさんの企業の中からJBAを選んだ19卒の内定者たちに、こんな質問を投げかけてみる新企画です。その名も、「ジューキューソツの初志」。初志とは、始めに思い立った希望や考え。これから就活を始める後輩たちの、少しでもの道しるべになればと思い、このタイトルをつけました。社会人でもなく、フレッシュな学生でもない彼らは、社会に出る手前で、何を考え、どのような未来を描いているのか。そこでなぜJBAを選んだのか。彼らの熱い想いが詰まっていました。


【プロフィール】大畠 吉裕/おおばたけ よしひろ
広島県呉市生まれ、広島県東広島市育ち。父母、妹の5人家族。中高は卓球部に所属。2017年、広島大学農学部を卒業。広島大学大学院 生物圏科学研究科在学中。研究テーマは癌化や進化に関わる「遺伝子増幅」という現象について。中学時代に数学で赤点を叩き出した過去がある。現在はJBAで学んだ自己分析方法を使って、後輩の就活支援を行っている。


みなさん、おはよう、こんにちは、こんばんは!

19卒内定者の、大畠 吉裕です。

僕は今、大学院で、がんや進化に関わる「遺伝子増幅」という現象について研究しています。遺伝子増幅というのは、遺伝子の数が増える現象のこと。がんが悪化したり薬が効かなくなったりするのは、この「遺伝子増幅」という現象が原因と考えられています。しかし、遺伝子増幅が、そのままがんの悪化につながるわけではありません。増幅したがん遺伝子を、核内から細胞質へ、細胞質から細胞外へと排出する人体の「機構」が存在することが、これまでの研究で分かっているからです。この機構がはたらくことにより、がん細胞は脱がん化し正常細胞に戻ります。がんが進行するということはつまり、この機構が何らかの影響で壊れ、がん遺伝子の増幅を止めることができていないからだと仮定できます。がん治療における機構のはらたきは、現在世界中で研究が進められています。僕はその中でも、核内から細胞質へ排出する機構に焦点をあて、遺伝子増幅についての研究を深めました。

さて、研究の話はこのぐらいにして。まずは僕がどのような人間なのかを、知っていただけたらと思います!

僕の幼少期を一言で表すならば、「ワガママ」。自分の願いが叶わないと許せない性格でした。例えば、小学生の頃に流行っていたカードゲーム。自分が欲しいと思ったカードは、手に入るまで何時間も粘りました。両親にねだったり、友達からムリやりにでも交換させたり・・・。今考えると、本当に最低なことをしていました(笑)。

しかし、「俺って人を困らせてばっかりじゃないか?」と気づき始めた出来事がありました。それは、小学生の時にイジリを受けるようになったことです。身体的特徴から変なあだ名をつけられました。それが嫌で嫌で!「自分がやってきたワガママも、このように人を傷つけていたのかな。」と思うと、今までの自分の行いが恥ずかしくなりました。「ワガママはもうやめよう。僕は人にやさしくする。困っている人がいたら助ける。」と決心。小学生ながら、我が身を振り返った瞬間です。


ー真剣になりすぎて、周りから人がいなくなった時期も。

中学では卓球部に所属。実業団に息子をもつ先生が顧問でした。月の休みは片手で数えるほど。初めは、「きついなー」ぐらいに思って毎日練習していましたが、ある時、「絶対に強くなってやる!」とスイッチが入った事件がありました。それは、入部して最初の部内試合で、同期の女の子に負けたことです。この負けが悔しくて悔しくて!それからは、顧問やコーチに何度もアドバイスを求めました。それをもとに、自分のプレーを調整しつづける日々。勉強そっちのけで自宅練習に没頭し、親のパソコンを占領してプロ選手の動画を見まくりました。本当に365日24時間、卓球のことを考えていました。今の僕が当時の様子をみると、「おまえ、気持ち悪いぞ!」と思います(笑)。部活という領域を越え、「卓球=自分」までになっていましたね。実力も上がり、部員に練習法を教えるようにもなりました。自分が強くなると、誰かを助けることもできると気づき、練習にもっと夢中になりました。中学校最後の結果は、県大会出場。目標には届きませんでしたが、入部したての自分と比べれば、成長は一目瞭然でした。

高校でも卓球部に入り、副キャプテンになりました。しかし次第に、部員との温度差を感じはじめました。中学の練習メニューをそのまま導入したからです。中学3年間、本気で卓球をやってきた身からすると、練習のレベルを下げたくなかった。それをつづけた結果、部活が崩壊しました。「ついていけないっす。」と後輩に面と向かって言われ、本当に誰も練習に来なくなってしまって。そこで初めて、「やばいな」って思いました。顧問にも「周りのことを考え切れていない」と指摘されました。そんな状況でも練習に来てくれる、数名の部員たち。「彼らのためにも、僕が変わらなければいけない」と心底思い、練習メニューを改めることに。部員ひとりひとりに苦手なところをヒアリングし、実力と性格に合った練習メニューを考えました。それをマンツーマンで教えると、1勝もしたことがない初心者の後輩が、試合で勝つようになりました。彼らの勝った瞬間のうれしそうな顔!僕もうれしくてうれしくて!ますます、教えることが楽しくなりました。教える過程で、自分のプレーの改善点も見つかります。それをまた、後輩に伝授して、そこで自分も新たな発見をして・・・。そのようなサイクルが良い感じに流れ始め、みんなで上達していくという好循環を生みました。中学の練習メニューをそのまま押しつけていた時は、「ついてこれない奴が悪い」と思っていました。しかし、それはとんだ間違いでした。ひとりひとりのレベルや性格に合った練習方法を見つければ、誰だって上手くなることができる。それを、後輩たちから学ぶことができました。部活が崩壊したときは心底落ち込みましたが、今となっては、とても貴重な経験ができたと思っています。

高3で進路を決める時期になり、国公立大学を目指すことにしました。理系の学部に合格するには、まだまだ実力不足。分からないところは、先生にしつこく質問に行きました。僕なりの目標達成の方法は、知っている人にどんどんどんどん聞くこと。そのようにして受験勉強を乗りこえ、広島大学農学部に入学しました。農学部を選んだ理由は、食や健康などの、ヒトを取り巻く環境について学びたいと思ったから。入学してからは、食品、健康、免疫、細胞についての授業を受けました。サークルは、東北大震災のボランティアサークル。高校生の時に、テレビで震災の様子をみたことがきっかけです。同じ日本人として何かできることはないかと考えましたが、高校生でできることは限られていて。当時は具体的なアクションを起こすことができませんでした。大学でボランティアサークルを見つけたときは、これだ!と感じ、すぐに入部。気仙沼でイベントのお手伝いをしたり、被災地の高齢化に対するプランを市役所の方々と考えたり、子どもたちと自然の中で遊んだりしました。彼らが喜ぶ姿を見られるのであれば、何でも助けになりたいと本気で思いました。そんな中、あるおじいちゃんの言葉で、忘れられないものがあります。

「今は、震災に感謝している。」

この言葉の意味を、何度も考えました。その時は、全く理解できなかったです。震災のせいで住居も家族も生活もすべて失ったのに、どうして感謝なんてできるのだろうかと。

そのおじいちゃんは、こうつづけました。

「震災のおかげで、人の優しさ、深さに触れることができた。今まで沢山の人と助け合ったから、今の町があり、今の私たちがある。だから今はもう、震災にありがとうと思える。」

今でも、その言葉の意味を真に理解できているかどうかは分かりません。しかし、自分が東北で感じたことのなかで、これだけは間違いないと断言できるものが、ひとつあります。それは、出会った人みんなが明るく前向きだったということ。「来てくれてありがとう。」「ようこそ!」と笑顔で迎えてくれ、美味しいごちそうまで頂きました。夜になると、お酒を交わしながら人生相談。元気を与えに行ったつもりが、彼らから励まされる展開に。彼らに共通していたのは、「未来を大切にする」という考え方。現実をしっかりと受け止めた上で、「じゃあ、これからの未来をどう生きていこう?」「未来の子どもたちのために、今何をしていこう?」と自問し、プラスの方向に考えていくのです。そんな姿を一言で表すならば、「懐がハンパなく深い。」自分だけではなく、みんなが繁栄するように協力しあう姿が、とてもカッコよくて。彼らの生き様を、目標にしようと決意しました。

(東北で出逢った漁師の方と。)


(気仙沼の子供たち。)


学部生活も終わりにさしかかり、院進を決めました。研究職に興味があったからです。「研究職につきたい!」ではなく、「研究職とは、どんなものなのだろう?」という好奇心でした。家族や親戚が大腸がんにかかったことや、死亡率が最も高い病気ということもあり、がんの研究を深めたいと考えました。とにかく、ヒトに貢献できる研究がしたかったのです。しかし、「教授に言われるがままやることが研究というもの」と思っていた頃は、退屈で退屈で。「今自分が携わっている研究が、どう実社会に役立つのか。」それがはっきりと分かったとき、ようやく研究がおもしろくなりました。教授の指示を待つのではなく、自分で考えて作業を調整するように。今思えば、卓球に没頭していた時のようでした。

ー研究職を選ばなかったのは、もっと直接人と関わる仕事がしたかったから。

研究職を通しても、たくさんの人の役に立つことができます。しかし研究は、対象が生身の人間ではありません。また、貢献できる相手は不特定多数。僕は、東北でのボランティアのように、誰の役に立っているのかをリアルに感じたかったんです。一般企業への就職を目指して、製薬業界やコンサル、営業職などを受けました。僕が最終的にJBAを選んだ理由は、大きく分けて二つあります。

一つは、仕事に対する姿勢。目の前のお客さまに本気で向き合い、一緒に目標に向かって進む。人と人との関わりを通して、自分の力を高めていく。そんな働き方をしているのがJBAの社員さんたちでした。特に、医薬セクターリーダーの木村さんとの話が印象に残っています。何度も面会し、製薬業界の未来やJBAでできることについてディスカッションしました。第一印象は、「製薬業界のコンサル?そんな仕事があるんか!」という驚き。理系の研究室なので、製薬業界の就職情報はたくさんありました。しかし、製薬会社のコンサルティングという仕事は聞いたことがなくて。「製薬会社に直接就職することだけが、医療貢献の道じゃないんや。JBAでは、製薬会社とは違ったアプローチでヒトを救うことができるのか。」と思いました。また、木村さんが文系出身だということにも驚愕!知識量がとてつもなく豊富だったので、お客さまのために本気で勉強されたのだという印象を受けました。知識が全くなかった状態から今では、「木村さんに是非お願いしたい」と指名されるまでに、信頼を得ていて。僕もそんな風に、「ぜひ大畠くんに!」というところまで極めてみたいと、胸が高鳴りました。

二つめは、業界を問わず、大手上場企業と300社以上の取引をしているという点です。僕は社会人になっても、いろんな分野に積極的に挑戦して、自分の世界を広げたいと考えていました。JBAでは、まだ知らない分野や業界に触れつづけることができます。プロになることに出身学部は関係ないということも、木村さんから学びました。「勉強してきたことを生かしつつも、そこに留まりたくはない。未知の業界にもチャレンジしつづけたい。」そんな思いから、JBAに入社することを決めました。

ー素直さを武器に、社会人1年目を迎えたい。

JBAの面接では、自分史を作成してプレゼンをするというプロセスがあります。担当の方と面談を重ね、自分の強みにはじめて気づいた瞬間がありました。それは、「素直さ」です。

自分のことを自分で素直です!と言うのはおかしいですが、担当の方にそう褒められて、はじめて「へえ、俺って素直なんだ!」って。人のアドバイスを何の疑いも持たずに実行することや、分からないことをためらいもなくすぐに聞くことなどが、自分史のなかで一貫していると指摘されたんです。この発見は目からウロコで、「JBAの自己分析すげえ!」と思ったんです。「そんなこと考えたこともなかった!普通のことやと思ってた!」みたいな(笑)。自分にはない視点を取りいれることの重要性を実感しました。この学びを後輩にも還元したいと思い、内定後は広島大学の就活生支援を行いました。具体的には、過去を振り返る「自分史」の作成を手伝い、客観的な視点からのアドバイスをしました。僕自身、就活を始めたころは、自分の過去を見つめることが怖いと感じたことが・・・。直視したくない弱さにも向き合わなければいけないし、「自分には軸というものがあるのだろうか」という不安にも対面しなければなりません。しかし、JBAの自己分析を通して、新しい切り口から過去の経験を振り返ることで、自分について深く理解するきっかけを得られたんです。この気づきは、就活を進める上でとても大きな助けになりました。「就活楽しい!」「人生楽しい!」と感じるまでになったほどです(笑)。

就活では、企業規模、営業成績、福利厚生など数字で見える部分を意識しがちです。僕も初めはそうでした。しかし、その会社で働く人の考えや意識の方が何倍も大事だと気づきました。「もっとできるようになりたい」や「もっと上を目指したい」という向上心は、憧れや尊敬の念から湧いてくるからです。JBAの説明会や面接を通して、「この人みたいになりたい!」という想いにかられる先輩にたくさん出会いました。目標とする姿に向かって、僕も頑張っていこうと思います!

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。いつか一緒に働けることを、楽しみにしています。

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