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回顧録⑤夢を持つ 〜メーカーモデルにこだわるワケ〜

——10歳——

「台風が強くなる、補強にいくぞ」

と父親

金曜ロードショーでやってたピラニアが人を襲う映画の1番いいところで家族に召集がかかった。

車で10分のところにある砂利の駐車場

大雨と強風の中、山積みの段ボールにかけたブルーシートがバタバタと音を出して今にも飛びそうだった。

それをみんなでローブ補強をして、段ボールにかかったシートが飛ばないのを祈り、そこを後にした。

家に帰ったら

ピラニアの映画は終わっていた(笑)

(笑)ではなく、当時
それが本気で嫌だった。

——

高く積まれた段ボールの中身は

手袋什器

手袋販売するために全国のスーパーマーケットなどの売り場に無料で配る販促什器と言われるもの↓

——

これを夏になると家業の前田製作所でこれをつくり始める。

さらに小さな子供の頃、袋にネジを2個づついれる内職はめんどくさかった。

最初の頃は楽しかったのかもしれないが。

夏休みは、箱詰めや、キャスター組み

あらゆるできる範囲のお仕事があった。

妹も弟もおじいちゃんも、おばあちゃんも。

連日遅くまで仕事をする母親

夜中に勃発する夫婦喧嘩


——17歳——

「ゆういち、今日はSマネキンさんに手袋什器を納品にいくし学校休め」

一宮市に一緒にハイエースで手袋什器を乗るだけ積んで一緒に行った。

チンコン チンコン


ハイエースのスピード警告音が懐かしい。

——

Sマネキンさんの事務所デスク上にある伝票を見てしまった。

手袋什器 単価7,500円

全身に衝撃が走り、走馬灯のように子供の時からの記憶があたまを駆け抜けた。

手袋什器を夏から冬にかけて、家族全員でつくる台数は4,000台

単価3,500円

粗利は500円  4,000台つくっても200万円。

そこから電気台や人件費などを出さないといけない。

これが家族全員で仕事をしていた理由。

一方、Sマネキンさんの粗利は1,200万円


当時の僕はFAXを送るだけでと感じた。

「あちら側にいく」
「マネキン屋さんになりたい」

これが18歳で下請けをしないシガディスプレイを立ち上げるきっかけとなった。

人生の大きなターニングポイントの一つです。

取り引き先のマネキン屋さんが子供目ながら、どんどん大きくなっていく過程をみてきた
前に書いた記事の内容と被るところもありますが今度、整理して記事は書き換えます。

——

下請けではなく、元請け。

次にやった展示会事業での

受託ではなくメーカー型に変えることへの挑戦

そのことについても次回、詳しく書きます。

——

思い起こせば
もっとこうしたい。

夢(在りたい姿)が明確にいつもあった。

そして、その想いは、日に日に強くなり
イメージも明確になっていく。

行動と共にそれは現実になってきた。

——


現在

まだまだやりたいことはたくさんある。

いつもの

「変えたい世界(業界)」も明確に強くある。

理想と現実のギャップを埋めることが成長に繋がることも知った。

居心地の悪いところにしか成長はない。

やりたいこと
変えたい世界
夢・在りたい姿

がなくなった時が引退するときなんだろう。


「人生想い通りにしかならない」

前田雄一


P.S.
もし、興味があればコチラを覗いてみて欲しい。
https://note.com/zensin7

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