株式会社ディー・エヌ・エー / Art Director / UI_UX Designer
株式会社ディー・エヌ・エー / Art Director / UI_UX Designer
Tokyo
株式会社ディー・エヌ・エー / Art Director / UI_UX Designer
宮崎県出身 | DeNA デザイン本部ブランドデザイン室・サービスデザイン第一グループ | アートディレクター・UI / UX デザイナー |「ポムパチェ」というネットネームでも活動しています。 現在は、Voice Pocochaのリードデザイナーとして開発に携わっています。副業でもいくつかのサービスの立ち上げにUXデザイナー・UIデザイナーとして参加し、
街のパン屋さんの取り置きアプリ[sacri(サクリ)]
2020年10月 -
Stock.Shop
2019年11月
未来
未来
人々の記憶に残るサービスを作る。 10年後20年後、その人の記憶に残るサービスやクリエイティブに携わっていたい。
2018年3月 -
リードデザイナーとして、すべてのクリエイティブに責任を持つ。 サービスを成長させるために、チームを成長させることやデザイナーが働きやすい環境を作ること。
静岡文化芸術大学:特別講義
2022年7月 -
Voice Pocochaを担当
2021年2月 -
2020年グッドデザイン賞
2020年10月
Pocochaを担当
2020年5月 -
インタビュー出演 | アプリ「マンガボックス」ヘビーユーザの実態とは?絶対に守るべきUXを見極めるプロジェクト
2020年4月
UI/UX領域を深めるために、転職
UI/UX領域をより深めるため、DeNAに転職しました。これまでは独学でほぼ一人で担当していた領域でしたが、転職をして豊富な知識や理解のあるデザイナーやエンジニアのもとで物作りをしながら学びを深めていきました。 DeNAを選んだ理由としては、仕事をするうえで「人々の記憶に残るサービスに携わりたい」という思いがあったなかで、高校生の頃に流行った「モバゲー」が自分の記憶に強く残っていたことから、会社に魅力を感じたこと。さらにUI/UX領域に特化したデザイナーやエンジニアが多数在籍していることに魅力を感じたためでした。
2018年3月
マンガボックス
2018年3月
2015年4月 - 2018年2月
クリエイティブでクライアントとユーザーをつなぐ。 一方的な広告ではなく、相互関係をつくる。
当時、社内にアプリやウェブのUIデザインをメインで担当するデザイナーがいないなか、偶然担当したUIデザインの仕事が比較的うまくいったことから、UIデザインの仕事が増えていきました。「感覚的なデザイン」というより「論理的・数値的なデザイン」が多いUIデザインは苦手とするデザイナーも多くいるなか、自分には向いていることにも気づき、案件を振ってもらう機会も多くなっていきました。
2017年2月 - 2018年2月
第1回アニものづくりアワード コンテンツコラボ部門 金賞
2016年4月
プラナーを志すも、諦める
ステップアップの道の一つとして、ソーシャルゲームの広告・イベントの企画プラナーに挑戦。案件を動かす中で企画を実現させることがうまくいかず、だんだんとプラナーに興味がなくなり、プラナーの道は諦めました。
2016年4月
アートディレクターにステップアップ
ステップアップの選択肢として、アートディレクターにも挑戦。プラナーよりもアートディレクターのほうが自分に向いていたこともあり、アートディレクターの道を進むことに。これまではデザイナーとして、基本的には上長からの指示で手を動かしデザインを進めてきましたが、アートディレクターは向き合う先が世の中やユーザーになること、そのなかでクリエイティブでなにができるかを考えられること、またクライアントと直接やりとりや提案ができるのも、やりがいの一つと感じました。
2016年4月
Berryz工房の活動休止にともない、転職
Berryz工房の活動休止で人生の楽しみがなくなるのであれば、忙しい環境に身を置きたいと考え、スカウトいただいていた同社に入社を決めました。想定していた10倍は忙しい日々でしたが、同年代のデザイナーが多くいたので、楽しく働くことができました。
2015年4月
2013年4月 - 2015年3月
出版社、旅行サイト、タウンサイトなど担当しました。また、電⼦書籍(その当時のEPUB-3)のコーディング業務も担当しました。
2013年4月 - 2015年3月
「Honda Motor Sports」Webサイトのメインデザイナーを担当
「Honda Motor Sports」Webサイトのメインデザイナーを担当。 モータースポーツは週末に世界各国でレースが⾏われるため、レースに合わせて週末に業務が発⽣することも多く、変則的な働き方をしていました。
2013年4月 - 2015年3月
Web部⾨へ配属になる
本の装丁やDTPデザインに興味があり出版社に⼊社しましたが、Web部⾨への配属になりました。ほぼ初⼼者ななか、Webデザインやコーディングを担当。 Webデザイン(Photoshopの使い⽅すら)の知識やコーディングは、仕事しながら独学で学んでいきました。
2013年4月
2009年4月 - 2013年3月
デザインをするうえで今でも生きている「言葉とカラーの相関」は、大学時代の色彩学ゼミで学びました。 デザインをロジカルに考えられるようになったきっかけの一つです。
就職したらアイドルヲタク活動ガッツリやりたいと思っていたので、東京の会社への就職を考えました。 ⾦髪から黒髪にするのが嫌すぎて、就職活動やサマーインターンシップを真⾯⽬にやらなかったため、⼤学4年の12⽉まで就職先が決まりませんでした。なんとかギリギリ内定&ギリギリ卒業しました。
2012年12月
小学4年生のとき、将来デザイナーになると決意
幼稚園・小学生のころに絵が得意だったことから、小学4年生のときに、将来の夢をデザイナーに決めました。そのまま、デザイン科のある高校に進学。3DCGアニメーションを専攻しました。「侵略」をテーマにしたアクリル画作品で、宮崎県美術展で準特選を受賞し、初めて自分のデザインでお金を獲得しました。
2009年4月
国公立の美大を目指す
進学は国公⽴の美術系⼤学を⽬指し、静岡⽂化芸術⼤学に⼊学しました。 大学時代は、映像作品を作ったり、陶芸をしたり、CADやったり、情報デザイン・⾊彩学のゼミで、⼥性ファッション雑誌の⾊彩分析からのカラースタイル⽣成などを学びました。 1年生のときに同期全員で映像作品を制作した際、応募したNHKの番組内でティム・バートン監督に講評してもらったことがあります。同期に優秀な人が多く、いまではさまざまなジャンルで活躍するクリエイターが多くいました。
2009年4月
2019年5月
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2020年5月 -
2020年4月
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