1
/
5

Wantedly Journal | 仕事でココロオドルってなんだろう?

Company

第一志望に落ち「就職したくない」という想いが導いた、世界的ロボットクリエイターの仕事と生き方。

ロボット界のパイオニアが語る、人型ロボットとコミュニケーションのゆくえ【前編】

2016/06/13

「自己紹介するね。ぼく、RoBoHoN(ロボホン)。こう見えて電話なんだ」

5月26日にシャープからリリースされたモバイル型ロボット電話「RoBoHoN(以下、ロボホン)」は、通話、メール、カメラ機能ほか、音声認識機能を搭載し、おしゃべりもできる新しいスマートフォンです。

シャープとともにこのロボホンを開発したのがロボットクリエイターの高橋智隆さん。高橋さんはロボットの開発からデザインと製作までを手掛ける株式会社ロボ・ガレージ代表として、ロボット宇宙飛行士「KIROBO」、デアゴスティーニ・ジャパンから発売された組み立て式ロボット「ROBI」等、数々のロボットを世に送り出してきました。

鉄腕アトムの漫画に出会ったことがきっかけで、ロボットに興味を持ち、独学でものづくりをはじめたという高橋さん。現在までにどんな出来事や想いを経て、ロボットを生業とするようになったのか、話を聞いてきました。

第一志望に落ちて、大学への再入学を決意。

鉄腕アトムと出会い、「ロボットを作る人になりたい」と夢見た幼い頃の高橋さん。ブロックや画用紙、TAMIYAの工作キットを使いロボットを作りはじめます。

ロボットクリエイターになるまで、脇目もふらずに一直線だったかと思いきや、ラジコンが流行ればラジコンで遊び、釣りが流行れば釣りをする。「中学までは釣りバカ、高校はスキーバカ、大学時代は車バカ」と、その時々のブームに夢中だったそうです。 

高橋智隆さん

「アトムがきっかけでロボット工作をしていましたが、小学校3年生くらいからは、友達の影響が強くなり、例えば周りでラジコンが流行れば、僕もラジコン、クワガタ獲りが流行ればクワガタ獲り。また、あるときまで毎日のように皆で野球をしていたのにキャプテン翼が流行ると急にサッカーに変わったり、田舎だからか皆で同じ事をしていたように思います。地元は滋賀県の大津市。目の前に琵琶湖があったので、全国的にバス釣りが流行るのより少し早いタイミングで釣りにハマったんじゃないかな」

ものづくりも外で遊ぶのも好きな活発で好奇心旺盛な小中学生時代から一転、高校に入ると生活がガラリと変化します。

「高校は完全にだめな感じに…。なんというか実に自堕落な生活を送っていました。高校が電車で1時間以上掛かる距離にあって、通うのが面倒臭くなり、週休2日の先取り(笑)。出席日数が足りないと留年してしまうので、ちゃんと3年で卒業できるよう、全教科ムラ無く休むべきなんだけど、月曜日の朝が起きられない(笑)。そこの科目は厳しかったですね」

高校から大学へはエスカレーター式だったため、受験勉強をすることなく入学し、在学中は「就職を少しでも先延ばししたい」という想いから、1年休学し海外へ。

ターニングポイントはその後、大学4年生の就職活動中にやってきました。

バブル崩壊という大きな出来事を前に、これからどんなふうに生きていくかを真剣に考えるようになったのです。

「第一志望は、スキー用品と釣り用品を作るレジャー系の企業。『俺のためにある会社だ!』って、受けることにしました(笑)。そしたら最終面接で落ちてしまったんです。

それまでは、景気がよかったこともあって、適当に働いて、適当に稼いで、自分の好きなことは5時以降にできればいいやと思ってました。でも、ちょうどバブルがはじけて、クラスメイトが山一証券の内定取り消しで泣くような状況を目の前にしたときに、工学部でちゃんとエンジニアリングの勉強をして、自分の好きなものづくりの仕事に就きたいと思うようになりました。別の会社の内定はもらっていたけれど、『落ちちゃったからしかたなくここに来ました』なんて、悔しいと思ったんです」

その後、1年間予備校に通い、見事京都大学工学部に合格。ロボット関連の研究室に所属し、ロボット漬けの日々がはじまります。

当時はどんなロボットを作っていたんですか?

「ガンダムのプラモデルを買ってきて、中にメカを仕込んで、歩くように改造したりしていました。それは完全に個人的な趣味で作っていたのですが、その技術の特許を出願して、おもちゃメーカーから商品になる、といったベンチャーのまねごとみたいなことをしていました。

そんなことをしていたら、ある日、教授から『高橋くん、この先どうするの?』と言われまして。『大学院にも行かないし、就職もしたくないからそのままやろうと思っています』と答えたんです。それがきっかけで、京大ベンチャーインキュベーションを作ってもらい、入居第1号としてロボ・ガレージを作りました。出来たての怪しいベンチャーにとって、京大の中に事務所があるというのはものすごい信用ですからね。本当に感謝しています」

※インキュベーション

英語で“(卵などが)ふ化する”という意味を表すことから、起業家の育成や、新しいビジネスを支援する施設のことを「(ビジネス)インキュベーション」と呼ぶ。

無難なものを作っても意味がない。信じるのは自分の感性だけ。

構想を練り、スケッチをし、プロトタイプ(試作機)を作り、プログラムをする。その全てを自分一人でまかなうのが高橋さんのスタイルです。

「自分で作ってしまえるので人を雇わなくていいですし、大型の設備がいるわけでもないので固定費は掛かりません。部品代といってもたかが知れているし、お金を借りてくる必要がまったくないんです」

外注するということは考えないんですか?

「外注に出したってお金が掛かるだけ。そもそも作ってくれるところなんてないですよ。ロボットの作り方はまだ誰にも分かっていないわけで、試行錯誤しながら自分で作ることで、発明をしたりノウハウを得たり、というのがこの仕事なんでしょうね」

ひとりで開発を行うことにはどんなメリット・デメリットがありますか?

「メリットは好き勝手に作ることで良くも悪くも尖ったものになるというところです。みんなで相談して作ると無難なものになるでしょう。ロボットみたいな新しい分野で無難なものを作っても何の意味もないですから、独創で、突っ走れることはメリットだと思います。

デメリットはなんだろう……。楽ができないところでしょうか。仕事を受けるのも自分、やらされるのも自分。後になって『なんであんな手間のかかる仕事を受けることにしたんだよ』って自分にツッコミを入れたくなるときもあります(笑)」

人型だからこそ、人間は感情移入できる

ここ数年で印象深い作品を尋ねると、ロボホンの他、国際宇宙ステーションに旅立ったロボット宇宙飛行士「キロボ」、EVOLTA乾電池を動力に、グランドキャニオンの断崖絶壁に挑戦した長もち実証ロボット「エボルタ」、デアゴスティーニ・ジャパンから発行された組み立て式ロボット「ロビ」という答えが返ってきました。

なかでも、意外な層から反響があったのがロビ。

「『週刊ロビ』は、約13万台売れました。完成までに70冊買わないといけないので、総額200億円程を売上げた計算です。ドライバーを使って自分で組み立てなくてはならないロボットなので、99パーセント男性向けになるかと予想していたら、ユーザーの3〜4割が女性だったんです。本屋で見かけて『かわいいから買ってみよう』と、組み立てに挑戦してもらえたんです」

ロボットとひと言で言っても、そのカタチ、大きさ、用途は多岐に渡るなか、なぜ、高橋さんは人型ロボットにこだわるのだろう。

人型ロボットだからこそできることを教えてください。

「入口がアトムだったこともあり、最初は好きだからという単純な理由で作っていました。でも、考えてみると人型ロボットって役に立たない(笑)。作業させるにはもっと適したロボットがたくさんあります。

唯一の長所は人間が感情移入できるところです。だから人型ロボットが存在する理由があるとすれば、コミュニケーションのため、というのが僕の持論です。我々にとって最も身近なコミュニケーション端末はスマホですよね。この先、スマホが進化した先にあるのは人型ロボットなのではないかと思うようになり、あるときからその実現を目指してやってきました。そして今回、ロボホンをシャープさんと共同開発できることになったんです」

バブル崩壊にインキュベーション。一個人の力ではどうすることもできない時代(タイミング)というものを味方にする感覚、知恵、技術。「就職したくない」という、気持ちを頑として譲らず、自分の心に素直でいたことが今の高橋さんを導いてきました。後編ではロボホンの開発秘話と、仕事をするなかで実感した高橋さん自身の思考について話を聞きます。

▶【後編】ジョブズの描いた未来を超える。「誰かのため」じゃない芯のある仕事。

Interviewee Profiles

高橋智隆
株式会社 ロボ・ガレージ代表取締役社長
ロボットクリエイター。1975年生まれ、滋賀県大津市出身。2003年京都大学工学部を卒業し、ロボ・ガレージを創業。京都大学学内入居ベンチャー第1号としてロボットの開発・デザイン・製作を手掛ける。ロボカップ世界大会5年連続優勝、米TIME誌「2004年の発明」、ポピュラーサイエンス誌「未来を変える33人」に選定。東京大学先端科学技術研究センター特任准教授、大阪電気通信大学メディアコンピュータシステム学科客員教授、ヒューマンアカデミーロボット教室アドバイザーを務める。
  • Written by

    梶山ひろみ

  • Photo by

    岩本良介

NEXT