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Wantedly Journal | 仕事でココロオドルってなんだろう?

Special

偏らず、混乱せずに淡々と。仕事のコツは、相反する自分を仲良く同居させること。

還暦超えのベテラン校正者が語る仕事と時間とお金の話【後編】

2017/04/25

キャリアは30年超え。2017年2月まで校正専門会社「東京出版サービスセンター」に所属しながら、書籍、情報誌、商業誌まで200媒体以上の校正を担当してきた西村雅彦さん。

前編▶コスト管理も仕事の一部。サスティナブルな校正者になるために。

前編では、今後、校正の価格が下がっていくうえに、校正という仕事自体がコンピュータに取って代わられるとまで明言した。今、校正者として、ひとりの人間としてどんなことを考えているのか。「若い人に伝えたい」という仕事における工夫についても話を聞いた。(2016年11月〜17年2月)

もっと個人同士で仕事をしたい

――前編では校正者の未来を憂いてしまうようなお話が続きましたが、その状況をどう捉えていますか?

長期的にみればネガティブに感じるけれど、30年後はまた違う環境に生きているわけだからネガティブとは言い切れないし、もっと短期的にみれば、なおさらネガティブではないと思ってる。だって、誰だってまずは目の前のことをちゃんとやりたいって思うよね。目の前の仕事をすることはマラソンと同じ。なんとかゴールまで行きたいし、自分の納得できるタイムで走りたい。

――では、仕事をしているときは楽しいですか? やりたいからやっているのか、お金を稼ぐ手段なのか。

それも仕事をしているときは考えない。走るのをやめようと思ったら単純にやめるだけ。やりたいとかやりたくないとかじゃない。

――やめなかったのはなぜですか?

やってきたこととお金が釣り合ってたんじゃないのかな? 誰だって自分がやったことがお金に還元されなかった場合、ある限界を超えたらやめると思うんだよね。お金はものすごく大事。日本人には、「お金は汚いもの」という美的感覚が根強くある。徳川、士農工商の時代のマインドが、負のレガシーとしてずっと残り続けているんだ。身分制の時代はたしかに美徳だったけど、今は、自由な個人の平等な競争というのが一応の建前でしょう。だったら、お金の交渉をしっかりできなくてはいけない。アメリカ映画を観ていると、お金の駆け引きをしたたかに楽しくやっているんだよね。うらやましい。日本で会社勤めをしていてありがちなのが、自分がやった仕事に対して給料が高いのか、安いのかと考えることなく、もらっている額から「自分はこういう価格なんだ」というのを前提にしてしまうこと。それは、お金についてシビアに考えていないということだよね。だから、会社に勤めていようがフリーランスでいようが、生産者であることと消費者であることを自分の中で分裂させるべきだと思う。

――分裂させる?

だって、消費者としてコーヒーを1杯飲むとき、どのお店で買おうか真剣に考えるでしょ。どういうふうに時間を過ごそうとか、この美味しさだったらこの値段でも納得できるとか、エスプレッソならここ!とか。ぼーっと買っているように見えて、しっかり選んだり、比べたりする。僕にお金を払う人も、僕を冷徹に値踏みしているってこと。払うお金になると誰でも真剣なんだ。分裂させていない極端な例が、ホンダに勤めているからホンダの車に乗る、みたいなことだよね。消費者としては誰だってシビアな目になっている。シビアな目で生産者側の自分自身を問い直せたら、自分の価値もわかるようになるし、適切なお金の交渉だってできるようになる。

西村雅彦さん

ちょっと話が逸れるけど、今はお金を出している側ともらっている側の立場が非対称すぎるとも思う。お金を出してる人の言うことはなんでも聞いちゃうみたいなね。仕事なんだから当然みたいになっているけど、僕はもっとそれぞれが個人になるべきだと思うんだよね。たとえば、会社に勤めていたら業務命令がある。そこで業務命令が下りてきて、何も考えずにとりあえずやるっていうことがよくあるじゃない。上司にも礼を失しないように自分の意見を普通に言えばいいのに。50代には20代が生きているリアルがわからないし、わからないから面白い。だから上下の世代がマッシュアップすれば想定外な創造的破壊が起こる可能性もあると思うんだ。それに、フリーランスの場合は、やりたくなかったらやらなくてもいいわけだよ。

――仕事を受けなくてもいいと。

そうそう。それが究極だとすれば、もっと個人対個人で仕事をしていいと思うのね。お金を出す側とも完全に対等に話す。たとえ最後には相手の言うとおりになったとしても、そこまでの過程においては、みんなが自分がやっている仕事を「こういうつもりでやっているんです」と言えるようになれば、全く変わってくると思うんだよね。みんなが言わないでいるから、下りてきた仕事をこなすのが仕事なんだっていう雰囲気になる。ただ「個人」というのは、「人間」というのもそうなんだけど、ここ200年くらいのできたての概念なのね。ぼくたちは「個人」や「人間」になっちゃったんだ。若者たちの地方移住とか商店街再興とかの動きは、個人や人間の問題点を鋭く嗅ぎ取っていると思うよ。イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、話題の『サピエンス全史』で「何百万年もの進化の過程で、人間はコミュニティの一員として生き、考えるよう設計されてきた。ところがわずか2世紀の間に、私たちは疎外された個人になった」と書いている。家族と地域コミュニティが崩壊して、個人の面倒はすべて国家と市場が見るようになった。逆に言えば、個人は、ほとんどが見知らぬ他人である国家と市場の中で孤独に生きなきゃならない。たったひとりで仕事も恋愛も決断しなければならないとなると大混乱だよね。忙しいから食べることも単なるエネルギー補給になったり。観月ありさのような容貌をもっていない『おひとりさま』(注1)は、社会の無関心のなかで忘れ去られてしまうかもしれない。

短期的な目線と長期的な目線の両方をもつ

出版業界に携わってきて思うのは、20代、30代から見て上の世代の人たちは、自分たちが景気の良いときに仕事をしてきてるから、自分がそれだけその仕事が好きで、やる気があって……ということを第一において、部下にもそれを無意識に求めてしまうってこと。そうすると、時間という概念が抜けてしまうよね。「あなたが好きでやってるんだから、いくらあなたのリソースを投入してもいいでしょ」って。自分のリソースは、時間をかけてしか蓄えられないものなのに、それをお金の裏付けもなしに、全部アウトプットしろと、無言の圧力になる。

――やりがい搾取の話に通じますね。

でも僕は「そうじゃないよ」って言う。昔はそうだったけれども、今は絶対違うよって。なぜかというと、「やりがい搾取」には、単純な話、お金が抜け落ちているから。たとえすり減ってしまっても、バジェットが大きくてそれなりの金額が振り込まれていたら「すごく大変だったけど、50万円分のことをやったんだ」って自分で納得ができるし、買い物して発散することもできる。だけど、同じ仕事量をこなしたのに5万円しか振り込まれなかったら、「やっぱりこれおかしいよ」と心が折れちゃう。要するに、仕事をどうやっていくのかっていう環境が変わってしまったってこと。日本全体からお金が少なくなってしまった分、どういうふうに仕事をしていけばいいかを考え直さないといけない時期にきてる。

チーム内での連絡ツールはWunderlist。タスクの関係者と必要な情報のみをやりとりできる使い勝手のよさで、仕事もはかどる。
――そうなると、いかに効率的に仕事をするのか、というのがナックさんの答えですか?

うん。ただ、それについては、短中期のことと長期のこととを分けて考えないといけないと思うのね。短中期っていうのは、仕事を受けて契約に縛られている状態。そこではいかに効率的にやるかが重要になる。それはすごくリアルだと思うよ。デザイナーでもライターでも、引き受けた仕事にどれだけの時間をかけるかを考えないヤツははっきりいって馬鹿だと思う。ちゃんと仕事をやってきた人間ほど、そういうことを考えて仕事をしてる。美術館のカタログ制作なんかに関わると、膨大な時間がかかるから、時給換算すると100円や200円ということもある。そんなの超ブラックだよね。でも、お金にならなくてもどうしてもやり遂げたいんだっていうケースもあるし、逆にまったくやりがいを感じないというケースもある。とにかくワークフローを整えて、デジタルツールをどこでどう使うかっていうのを一緒に作業する人と共有することが大事だよね。かかる時間が半分になれば、単純に時間単価が倍になるんだから、そこに対して努力する意味はあると思う。それを考えずにやってしまうと、どうにか終わったとしても「嫌なことにこれだけの時間を費やした」「楽しかったはずなのに気持ちは下がってる」ってことになる。それは避けなきゃいけない。

――長期的に考える場合、効率がいいとはどういうことになるんですか?

「効率」という考え方が変わってしまうかもしれない。何かモノを作ってお金と交換して、そのお金でモノを買って、食べたり飾ったり他人と比べたり。それが経済活動だよね。作るときにかかるコストがインプット(エネルギーや人件費)、作ったモノがアウトプット(生産物、商品)。インプットとアウトプットの差が付加価値で、その差が大きければ効率がいいということになる。君がこのインタビューをして、テープ起こしをして、記事にまとめる仕事の対価が5万円だとしよう。そのために、ご飯とおやつをどのくらい食べて、ネットで調べてキーボードを打ってどのくらい時間を使ったか。その差額が、君の付加価値。5万円というアウトプットで、インプットに4万円かかれば1万円の付加価値だけど、2万円しか使わなかったら3万円の付加価値になり、それを効率が良かったというよね。つまりインプットというのは、だいたいはエネルギーと原材料と時間に還元される。君の場合のエネルギーは食べ物で、生産物全体のエネルギーなら、石油や原子力、機械設備、印刷代やサーバ料とか。つまりどれだけの費用を使って、どれだけの価格のものを作って、それが売れるか。費用と売れた価格の差が大きければ、コスパがいい、ということになる。この記事を君が売った価格が5万円というのは普通にいえば5万円の仕事だけど、その費用に2万円しかかからなかったら、4万円かかってしまった場合に比べて、コスパがいい。でもテープ起こしとアウトラインの整理をすさまじいスピードでAIが全部やったらどうなる? 君がやることは、見出しをつけて、最後のまとめをちょっとやって、会社内の調整をやるだけの対価1万円の仕事になるかもしれない。君が費用を5,000円しかかけなくたって、君の付加価値は5,000円になってしまう。すべてをAIがやってしまえば、そもそも仕事がなくなるんだけどさ。

――将棋でも、AIと人間が競っていますよね。

そうそう。人間が手で洗うより洗濯機のほうが仕事が早い。IoTの洗濯機なら、いつの間にか洗濯して乾燥してくれるかもしれない。近代の産業は、人がやる仕事をどんどん機械がやるようになることで、効率、付加価値を上げてきたわけじゃない。単純化すれば、日本のGDP500兆円とかいうGDPというのは、その付加価値の総額なんだな。機械は人間の手や足だったけど、AIは人間の心や脳にさえなる。そうすると「効率」という考え方が古くなってしまうかもしれない。もし、そこそこにお金はあるけれど、やらなければならない仕事がなかったらどう?

――働かなくても暮らしていけるのは楽だけれども、それが楽しいのかどうか……。

仕事が一切なかったら、エンタメも楽しいかどうかわからないよね。仕事の必要がないんだから、何をやっても「仕事に役立つ」ということもなくなる。世界大恐慌の最中、大失業時代の政策理論を提示したことで知られる経済学者の泰斗であるケインズが、1930年に「孫の世代の経済的可能性」という新聞コラムを書いているんだ。そこで100年後、つまり2030年を予言して、余暇は恐ろしい、と言っている。余暇が十分にある豊かな時代が来て、経済的な必要から自由になったとき、恐怖心を抱かない国や人はない。豊かさを楽しむことができるのは、生活を楽しむ術を維持し洗練させて、完璧に近づけていける人だけではないか。しかも、家族やコミュニティが希薄になり、バラバラな個人が多数派になるだろうから、余暇は恐ろしい問題になるってね。

――大変な思いをしてお金を稼ぐのに比べたら、そんな苦労無しで生活できるなんていい話ですよね。そんな状況に置かれたことがないから、のん気に「いい話」なんて言えるのかもしれませんが。

もっと恐ろしいことを話そうか。僕はアーティフィシャル・インテリジェンス(AI)と、ベーシック・インカム(BI)のセットが最もやばい、最強のデッド・フューチャーだと思うんだ。ごく少数のAI層は超勝ち組で、みんなにはそこそこ楽しめるお金を「タダで」配ってしまおうという世の中。今だって1%対99%、We are the 99%。オキュパイ・ウォールストリートはデッド・フューチャーの前兆かもしれないよ。

Notライフハック Butライフハック的

短中期の効率の話に戻ろうか(笑)。さっき話した「デジタル・リテラシーで勝負だ」みたいなことをとことん突き詰めていくとライフハックになってしまうんだけど、メディア業界でやっていきたいのであれば「ライフハック的」なことは必須だと思う。だけど、僕はライフハックには賛成できないんだよね。なぜかというと、ライフハックをみんなでやりすぎると激しい効率競争を能天気に肯定するだけになる。負ける人間と勝つ人間が出てきて、それがグローバルに広がって斑状の格差になる。20世紀は南北(後進国と先進国)格差、東西(社会主義と資本主義)格差だったけど、今は多くの国の国内にマーブル状の格差が生まれている。全員勝つことはできないんだもん。有能なヤツがどんどん勝つと、ダメなヤツはダメなままでいいとなってしまう。

――有能というのは、要領がいいということも含みますか?

要領がいいっていうのは、コミュニケーション能力があるということだよね。SNSがそうであるように、ネットワークを使いこなすには、コミュニケーション能力が問われてしまうわけだから。ある意味、うまく炎上させることもコミュニケーション。でも、それを全面的に肯定しちゃうと、勝った人間はいいのかもしれないけれど、負けた人間もいて。全体で見たときに、おそらく勝った人間にもプラスになっていかないんだよ。無理した勝ち方をしているんだし、負けたほうは単純に嫌だし。それはお金にも結びついていくよね。「炎上コミュニケーション」というのは、特別なことじゃなくて、日常的なあるあるだと思う。法律さえ犯さなければ、何をやっても良くて、ガードを固めて攻めに攻めていく。ビジネスの現場でも、そういうアティチュードでなければ、存在感を示せない。だから小さな「炎上」は、至る所にあるでしょ。真面目にコツコツ、という人の価値が下がっているよね。スキャンダルは昔はスターにだけ許されるものだったけど、今は一般人の戦略にさえなっている。それは、勝つためには、法律さえ犯さなければ、何やってもいい、ということになるじゃない。だからリベラル系も保守系も、弁護士の存在感がやばい。「何でもあり」を説明するために、エビデンス(データによる証拠)で、徹底的にガードを固める。それに異論を唱える側も、エビデンスで応酬する。ビジネスも、メディアも、政治もそういう方向がトレンドになっているんじゃないかなあ。そうすると、生きる価値は、「勝つ」ということだけになってしまう。

仕事以外の時間こそパブリックである

――ナックさんのこれまでの仕事についてももっと聞いておきたいです。これまでのベストワークを挙げるなら?

『relax』(注2)に出会ったのは大きかった。僕にとって3回目の青春だね。僕は1952年生まれだから、実際の青春は60年代。自分が何になろうか、何が面白いかっていうことに貪欲だった。普通は成長していくごとに、「あの時代は楽しかったね」って懐しむじゃない? ところが、その後80年代に第2の青春がきたんだよ。ニューウェーブが出てきて、パンクがあって、反芸術の最終兵器・シミュレーショニズムがあって、思想とか文学も80年代は面白い。そして、2000年代に『relax』が80年代をブラッシュアップさせるっていうのが面白かった。サブカルチャーやオタク文化みたいなものが力をもつようになって、若い子たちがそれを育て始めたんだよね。

――ナックさん自身が好きなムードを表現する『relax』に関われたことが楽しかったと。

そうだね。

趣味は映画鑑賞。フライヤーが日に日に増えていく。
――ここまでお話を聞いてきて、ものをひとつ買うにしても生産者としての自分と消費者としての自分を意識することだったり、常に短期・中期・長期の視点をもっておくことだったり、多面的に物事を捉えることを大事にされているんだなと思いました。

うん。みんなもその視点をもったほうがいいと思う。この仕事はどんどん安くなっていくとか、いずれコンピュータに取って代わられると言ったけれど、そういうことばかり考えていたら、今やっていることが馬鹿馬鹿しくなったり、間違ったことをしているように思えてくる。でも、僕らはごはんを食べていかないといけないし(エネルギーというインプット)、そのためにどうするのかは真剣にならざるを得ない。とにかくどういうふうにやるかっていうのが重要。自分の中で自分を分裂させていいと思う。

――2つの自分がいて、戦わせている感じですか?

それは仲良くできるんじゃない? 矛盾している2つの自分を混乱させるんじゃなくて、仕事中はライフハック的な自分でいても、ぼーっとできる暇なときには別に一生懸命にならなくてもいいじゃない。

――余裕のあるときに長期的なことを考えている。

そうそう(笑)。いつもマラソンをしているわけじゃないわけ。仕事をしているときって、結局は自分のお金にしか還元されない。それって超私的なものなんじゃないかな。休んでいるときにこそ、あの子がかわいいとか、あれ食べたいなとか、家でこんな問題が起こっているけどどういうふうに言おうとか、自由に雑多なことを考える。僕はそういう時間こそがパブリックなんじゃないかと思うの。だって、お金に結びつける必要がないよね。好きなことを考えていいし、世界で起こっているいろいろなことを考えることができるんだから。実はね、そういうことを啓蒙主義時代の偉大な哲学者、カントが言っている。カント(1724年〜1804年)は近代がいよいよ始まるっていう時代を生きながら考えていたんだよね。


注1 『おひとりさま』
2009年に放送された、観月ありさが女子校教師に扮したTVドラマ。テーマは「格差恋愛」。コピーは「で、何が悪いのよ!」。

注2  『relax』
1996年にマガジンハウスから創刊されたカルチャー誌。休刊や復刊を経て、2006年に休刊。2016年には同社の70周年記念事業の一環として、1号限りの復活を遂げた。西村さんに第3の青春をもたらしたのが、2000〜04年の『relax』編集長だった岡本仁さんと副編集長だった中島敏子さん(『GINZA』現編集長)。西村さんは2000年から06年までと、『2016年のリラックス。』の校正を担当。

今までも仕事にまつわるインタビューを担当してきたが、「仕事は超私的なもの」という意見に出会ったのは初めてだ。個人的にも「仕事は社会との接点=パブリックなもの」として認識してきた。

たしかに、仕事中の自分を振り返ってみると目の前のことで手一杯で、それ以外のことを考えるのは難しい。かたちになったものが世の中に出ることで、何千、何万の人に影響を及ぼすケースもあるが、そこに至るまでは「自分と自分に関わる人」との限られたもの、という見方もできる。

仕事をしている自分、それ以外の自分。その両方が合わさり個人となる。立場も時間も飛び越えた、さまざまな自分を意識して同居させることの楽しさを教えてもらった。

Interviewee Profiles

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西村雅彦
校正者
1952年生まれ。都立駒場高校全日制中退、同定時制に編入卒業。32歳より校正専門会社「東京出版サービスセンター」に所属し(2017年2月に登録解除)、現在までに情報誌、雑誌、書籍など200媒体以上、2011~16年にかけては、マガジンハウスが発行するファッション誌『GINZA』をメインに校正を担当。現在は次の生き方を模索中。映画鑑賞を自分に課していて、年賀状で前年に観たうちの10数本をレコメンドするのが恒例となっている。ちなみに2017年版は、『ヘイル、シーザー!』ジョエル&イーサン・コーエン、『ジョギング渡り鳥』鈴木卓爾、『トッド・ソロンズの子犬物語』トッド・ソロンズ、『山河ノスタルジア』ジャ・ジャンクー、『白鯨との闘い』ロン・ハワード、『ブリッジ・オブ・スパイ』スティーブン・スピルバーグ、『誰のせいでもない』ヴィム・ヴェンダース、『ダゲレオタイプの女』黒沢 清、『緑はよみがえる』エルマンノ・オルミ、『FAKE』森 達也、『ハドソン川の奇跡』クリント・イーストウッド、『あなたを待っています』いまおかしんじ、『淵に立つ』深田晃司、『キャロル』トッド・ヘインズ、『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』クリス・モーカーベル。

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