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Wantedly Journal | 仕事でココロオドルってなんだろう?

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真剣であれ、夢中であれ。職業は自分で選ぶものじゃなく、謙虚につかえるものだから。

靴下の企画・小売で市場をリードするタビオ株式会社の生みの親・越智直正氏の靴下愛(後編)

2018/02/09

「うちの田舎ではね、長男が後を継ぐのはあたりまえ。せやから、息子には抱っこしたり、手をつないでる時分から『お父さんの後を継ぐんやで』って言ってきたの。植え込まれてるから抵抗もなかったんちゃう?うちは、”代々初代”いうとるんです。お前はダンの後継じゃないよと。タビオの初代はお前やって」

1968年の創業から、2008年に長男の勝寛さんにその座を譲るまで、タビオ株式会社の社長として会社を率いてきた越智直正さん。中学卒業後、15歳で大阪の靴下問屋に丁稚奉公してから60年以上に渡り靴下一筋の人生を歩んできた越智さんは、”靴下の神様”と呼ばれている。

前編▶15歳から靴下一筋。“靴下の神様”が語る一生一事一貫の働き方

78歳を迎えた現在も快活で、商品づくりへのこだわりは変わらないままだ。

価格ではなく価値にこだわる

「朝は遅くても2時には起床します。早い時は11時半起床。わしは夜8時に寝てまんねん。赤ちゃんと同じで、眠くてたまらんの(笑)。2時から4時までにメールの返信を全部やって、全店の売上を見て、6時15分に奈良の自宅を出ます。日中はお客さんの対応をしたり、社内を見てまわったり。

わしもそうやけど、一緒に仕事をしてきた工場のみんなも年をとってねえ。靴下の職人がいちばん腕を発揮できるのは70からって知ってます?それだけ難しい仕事なんです。あのね、日本には“微妙”という言葉があるやろ。ほかの国では存在しない単語らしい。職人の仕事は微妙な調整ができんとだめなんです。

越智直正さん

その話でいえば、おもてなしっていう言葉があるやんか。あれも微妙な配慮ができないとおもてなしとは言えないと思う。昭和30年頃から量販店が登場したけど、それと同時にそういうものがどんどん無くなっていった気がする。わしは丁稚で働き始めてからずっと量販店と戦ってきましたやん。だって、『いいものを安く』って言っておきながら、みんなむちゃくちゃ儲けてる。靴下業界もそう。日本では価値は無視されてる。価値より価格。だから、ごまかしが多いんですよ」

そういうと、越智さんはある靴下メーカーが販売している商品を私たちの目の前に置いた。

「ここ(タグ)に絹混って書いてあるけど、これが本当に絹?ゴワゴワしてるやん。絹言うてるけど、ごくわずか、うま味調味料分くらいしか入っとらんと思うよ。素材表示を見るとポリエステルが入ってるって書いてあるな。ポリエステルって、どんな素材やと思う?肌に直接触れるものには使ってこなかったものや。昔だったらポリエステルの代わりにナイロンを使ってたで。なぜナイロンを使わず、ポリエステルを使うか。ナイロンがより安く済むからや。お客さんは、絹混という言葉に踊らされて、『シルクだー!』って喜んで買う。でもそれって、メーカーがお客さんに対して、『あんたら貧乏人なんでしょ。これで辛抱しときなさい。シルクとはこういうものです』と考えてるってことやろ。そんなのなめとるやん」

素足にサンダルがトレードマークな理由

「価値より価格」に踊らされる消費者を狙い、利益ばかりを追求するメーカーも少なくない。現在、日本で流通している靴下の約90%が日本以外で作られているそうだ。そんななか、タビオは不況にも価格競争にも負けず踏ん張ってきた国内の靴下工場をまとめ、メイド・イン・ジャパンの靴下にこだわってきた。他店と同様に靴下屋でも3足1000円の靴下を販売しているが、それすらも大半が日本製だ。

「わしにとってね、仕事は安心。宗教みたいなもんやな。靴下を触っとったらね、気が落ち着いて、2日も触らんかったらね、頭が混乱するの。唯一の拠り所で、他には何もないの。前にNHKの取材で、『これまででいちばんの商品を見せてください』と言われたことがあったんやけど、わしは慌てて工場に連れて行ったんよ。今から最高のものを作るから言うて。そんなふうに常に最高のものを作らんとと思ってる。実際に履いてみて、これはええなぁとかね。それをずっとやってきましてん」

越智さんは、商品の仕上がりを確かめるために開発段階での試しばきを続けてきた。多い日には1日に300足を履いて、チェックすることもあったという。その精度を上げるために、普段は素足にサンダルで過ごす。靴下を履くのは出張時のみ。2008年に社長を退いたのは、体調を気遣った医者から、足を冷やさないように靴下を履くように言われたのも大きかったと言うが、この日も素足にサンダルの出で立ちだった。

靴下を履くのは出張時のみ。机の引き出しに無造作にしまってある3足でこの10年を過ごしてきた。

「人間ってね、実現することを思いますねん。わしはこんないい顔で、いい声をしてるけどね、映画スターや歌手になろうと思ったことはないの(笑)。自分ができることしか思わないんですよ。せやからね、まずは思わないかんのです。それも中国の古典に書いてました。あなた、なんでこの仕事をしてるの?」

やりたいと思ったから……ですかね。

「わしもやりたい思ったら、ライターになれるのかね? わしなら話を聞きながら、『ボケ!』とか『アホ!』言うてしまうからならへんな(笑)。その道に入るというのはね、そういう特性をもっとるの。みんな職業は自分で選んでると思ってるけど、そうじゃない。天がね、あんたに最適なものを選ばせとるの。それを天命という。そこから逃げようとしたら不幸になっていくの。素直に生きたらええ。せやけどこれは仕事に限った話やで。わしは、女優の新藤恵美が好きやったけど、一緒になれんかったやんか(笑)。

素直でいることが、どんな状態なのか知ってるか?あなたが仕事しよるときに、『え?!もうこんな時間!』ってなるときあるやろ?それが素直な時間なんよ。天と一体になったら疲れも何もない。時間が過ぎるのも忘れてる。ほんとはあなたらも素直に生きとるの。夢中になれる時間をどれだけもっとるかよ。わしの場合、それが多かったっていうことですよ。思ったことはね、絶対実現するからね。あなたも強く思いなはれ」

靴下は終わりがみえない宇宙そのもの

「仕事と書くけど、“仕”は何て読む? つかえるやな。 じゃあ“事”は? これもつかえると読むの。本来、仕事というのは、自分がつかえることなんですよ。そういう謙虚な気持ちがないとね、おごりをもってたらあかんということなんです。あとはね、人生に起こる問題で、解決できない問題は起こらないとも思ってる。だって、わしは賢いのに安倍さんからこの国の政治をどうしたらいいかなんて相談受けたことないよ(笑)。お金が足りん言うてもね、20兆円どうにかせんとということはなかった。肉体的なこともそうでしょ。どつかれて、痛いときもあるけど、耐えられるから痛いの。限度を超えたらどないなる?気を失って、解放されるようになっとるよ。

みんなたいそうに言うけどな、深刻になることないねん。深刻になるときはね、消極的なとき。積極的なときは真剣になる。ほんなら全部解決するやん。一切唯心造。この世にあるあらゆることは己の心が作り出してんねん」

最後に教えてください。会長にとって靴下とは?

「宇宙でんがな!何言うてまんねん。15歳から78歳まで追いかけ回してもね、際限なくありまんねん。終わりなんて全然見えへん。孫たちが誕生日を祝ってくれたときにね、わしが『がんばってもあと2、30年や』言うたら、『まだお父さんやるんですか!』って、息子の嫁がひっくり返っとった。ずいぶん楽しいで。靴下という夢に全力かけとるから、元気なんちゃうかな。靴下が泣き叫ぶわしの手をちぎれるくらい引っ張ってくれたの」


仕事は安心するもの、靴下は宇宙。越智さんの表現は、他では聞いたことのないものばかりだ。誰の真似もしてこなかったその人生を歩むなかで生まれたものなのだろう。

Interviewee Profiles

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越智 直正
タビオ株式会社 代表取締役会長
1939年愛媛県生まれ。中学卒業後の1955年から13年間に渡り、大阪の靴下問屋で丁稚奉公生活を送る。1968年にダンソックスの商号で総合靴下卸売業を創業。1977年に法人化し、(株)ダン設立。1982年に小売りに進出、84年には福岡県久留米市に靴下屋1号店をオープンする。靴下専門店にふさわしい高品質な商品をという思いから、メイド・イン・ジャパンにこだわってきた。2000年10月大阪証券取引所市場第2部(13年に東京証券取引所に市場変更)に上場。2006年9月社名を「ダン」から「タビオ」に変更。2008年、長男の越智勝寛氏が社長に就任したのを機に会長として靴下作りに携わる。

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