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商品に対する濃い想い、それが価値になる時代。いすみ鉄道では、今日も旅館の店主が駅弁の立ち売りをする。

千葉県を走るローカル線いすみ鉄道前社長が語る仕事で自己実現することの重要性(後編)

2018/09/28

千葉県いすみ市と大多喜町の間を結ぶローカル線いすみ鉄道。2009年経営立て直しのために社長を一般公募し、2代目公募社長に就任したのが鳥塚亮さんだ。2018年6月に社長を退任するまでの9年間で様々な施策を打ち出してきた。

前編▶「国鉄の運転士になりたい!」と夢見た青年が、30年後に鉄道会社の社長になるまで

退職後は、特定非営利活動法人「おいしいローカル線をつくる会」を設立。幼少期からの熱烈な鉄道愛はそのままに、いすみ鉄道で培った知見を活かし、全国のローカル線沿線地域を盛り上げるべく多忙な日々を送っている。

後編では社長の役割を中心に、職業で自己実現することへの熱い想いを聞いた。(2018年4月取材)

やるのはみんな。のびのびやれるシステムを作るのが社長の仕事

—今後もいすみ鉄道の社長として働いていきたいという気持ちが強いんですか?

「実はもうそろそろ潮時だろうなとは感じています」

—そうなんですか!

「どうしてそういうことを思ったのかというと、ある時、市役所の企画担当者が相談をしたいとうちの営業を訪ねてきたんです。その時に僕の顔を見て、『なんだ、社長もいたんですか〜!』って言ったわけ。『社長に見せたら笑われるかもしれないんだけど、イベントの企画を持ってきたんですよね』って。その企画書自体はとてもいい内容で、『これいいじゃん!』って伝えたんですけど、『社長に見せたら笑われるかもしれないんだけど』という言葉がすごく気になったんです。

僕がいなくなれば、もっとみんながのびのびとできるんじゃないか。次から次へいろんな企画が出てくるんじゃないかって。それなら僕は社長を降りて、みんなの提案を横目で見ながら、『こうしたらもっといいんじゃないの?』って相談にのるような存在になった方がいいかもしれないなと。それに気づいたのが昨年ですね。僕、今日だって何もしていないじゃないですか。午後から皆さんに写真を撮ってもらったり、こうして話をしているだけで(笑)。それでも、電車は走ってますよね。僕は常にシステムを作ってるんです。システムが回り始めたら、また次のシステムを考える」

—鳥塚さんが細かく指示を出さなくても、自走できる状況になってきているということですね。

「そう。みんな自分でできるのにいちいち僕に相談しにくるようになったから、ここ3年くらいは外の仕事、たとえば講演依頼などを意識して受けるようにしてるんです。僕がいろんなところに出向いて、社長営業をしてる感じ」

—鳥塚さんに相談をするとはいえ、社内からアイデアが出るようにあったのは、就任時と大きく変わったところなんでしょうか。

「そうですね。就任した頃は、社内全体に『余計なことはやるな、余計なことをやったらまたお金がかかる』という風潮がありました。それが今では『やってみようよ』って」

—9年間で変えなかったところもあるんですか?

「それは鉄道のシステムくらいじゃないかな?ダイヤは変えたんですよ。僕は航空会社時代に安全管理の仕事もしてきて、何かを変えることで、安全が損なわれる事例も見てきたので、触らなくていいところは触らないんですけどね。社長がああしろこうしろって言うと、実はそれが安全に関わる部分だったという話もありえるから、『そういうことはみなさんの方がプロなんだから、僕は口出ししません』と伝えています。

鳥塚亮さん

そうはいっても、運転だけをしていればいいという時代ではないので、プラスアルファの何かをしてほしいとも伝えています。最初にうちの運転士が始めたのは、景色のいいところで徐行すること。運転士が自分の判断でゆっくり走って、『みなさん、お城が見えます。カメラを持っている方はお写真をどうぞ』って。でも、そうすると正しい時刻に到着しなくなるですよね(笑)。運転士が『いや〜、今日も遅れちゃったな』って言うから、それなら徐行に合わせてダイヤを変えました。それが僕の仕事です。

ある運転士は、うちのオリジナル煎餅を売店から全部持って行って、『町内会の祭りで売ってきたぞー!』って。それが数万円になったりとか(笑)。僕はシステムは作るけれど、やるのはみんななんです。どうやったらみんながやりやすくなるかを考えるのが社長の仕事なんじゃないかなって思いますよ」

ミュージシャンのようなロックな生き方がしたい!

—社長の仕事は天職だと思いますか?

「いやいやいや、僕はあくまでも公募の社長。その役割は湿った薪に火をつけることなんです。みんなは湿った薪が目の前にあったとして、こんなもん使い物にならないからって捨ててしまうでしょ?それを『ちょっと待って。火、着くでしょ?』って。火がつけばみんなが暖かくなる。会社も地域も潤う。それがわかったんだから、次に焚べる薪は自分たちで見つけてきてよという気持ちですね」

—先ほどもおっしゃっていましたが退任の時期も具体的に考えていらっしゃるのでしょか。もしそうだとしても、反対の声が上がりそうですね。

「たしかにそういう声もあります。でも、そうじゃないよねという話を地域の方々にはしています。だって未来永劫、いつまでも僕がここにいるわけでもないしね。退任に限らず、交通事故でいつ死ぬかもわからない。ひとつの交通機関が、社長がいなくなったからダメになりますっていうのはありえないことなんですよ。さっきも言ったように僕はシステムを作ってるだけなんです。次に考えているのは、ローカル線をある程度とりまとめて、新しい取り組みをしようってことかな。各会社が乗り越えられない壁にあたったときにお手伝いするような仕事ができたらいいなって」

—話は変わるのですが、ブログや書籍でロックな生き方について触れていらっしゃいますよね。社長にとってロックな生き方とは一体?

「6回苦労するみたいなもんだね」

—(笑)

「というのは冗談で(笑)、長いものに巻かれないとか、自分の思う正しさを貫くとか、そういう生き方ですよね。僕らの世代のお手本は、ロックシンガーやフォークシンガーだったりするんですけど、そういう人たちが生き方を見せてくれたんですよ。たとえばあるミュージシャンでいうと、今は歌を歌っているけれど、学生の頃の音楽の成績は悪かったりしてね。学校の先生からしたら『あなたは歌が下手ね』って。でも、ギター片手に歌って芽が出ちゃえば、それはもうロックじゃないですか。いい子いい子と純粋培養されるだけじゃなくて、自分の生き方で勝負をすること。僕らの世代はね、偏差値世代だったから就職も苦労しました。入った大学や学部によって就職先が決まることも多かったし。まず東大、それから早慶。早稲田だと『政治経済学部はいいけど、第二文学部はだめだ!』とか、すべてに序列があったんですよ(笑)。そういう中で生きてきて、でも、僕は当時から『こんな価値観でいいのか?違うんじゃないか』と思っていた。あれから30年経って、みなさんどうなったんですか?その過程や結果を僕は見てきているんです。僕はいろんなことをやってきたからこそ今があるんだろうなって」

大多喜駅のホーム。いすみ鉄道株式会社の事務所は、大多喜駅に隣接している。

―いろんなことをやってこられた。

「最初の夢は国鉄に入って新幹線の運転士になること。でも、チャンスがなくて大学に進学することにして、今度は飛行機のパイロットを目指した。大学在学中に長期の休みを使って免許もとったけれど、就職先がなかったから、進学塾の講師になった。仕方なくという言い方はあれだけれど、僕は学生結婚をしていて、かみさんも子どももいたからね。食って行くために働く必要があった。そのあとに運良く大韓航空に潜り込めたわけだけど、そこでも、次のブリティッシュ・エアウェイズでもパイロットにはなれなかった。でも夢は諦めたくなかったし、やっぱり鉄道に乗りたかったから、自分で鉄道の映像を制作して、販売する会社を立ち上げました。サラリーマンも経営者も経験したら、今度は鉄道会社の社長になれることになった。18歳の頃から30年が経っていたけど、ちゃんと鉄道の世界に戻ってきたんですよ」

今世の中に足りないのは、商品に対する濃い想い

―鳥塚さんにとって仕事とは?

「僕は、職業を通じて自己実現することをずっと考えてきました。どんな仕事をやりたいか、何になりたいか。それで食っていけるのかとか、現実的な問題もあるけれども、第一義的に職業を通じて自己実現をすることが大事だと思う。会社に勤めて、余暇に趣味をやる人生ももちろん否定はしないけれど、『これだ!』と思えるものが見つかった人は、その道を突き詰めてみるのがいいと思う。世の中には個人の力ではどうにもできない流れというものがあるから、流されなきゃいけない部分もあるんですよ。だけど、ただ流されているのと、つかまるところがあったらつかまろうとか、こんなことがあったら方向転換しようとか、そういうことを考えながら流されている人は全く違う」

―たしかに鳥塚さんの歩みを振り返ると、今お話してくださったような「意識しながら流されてみる」という考え方がぴったりと当てはまりますね。

「地上の仕事って、ミスをしても死なないんですよね。企画書が通らなくても、仕入れたものが売れなくても、それが死に直結するわけではないでしょ?でも、空の上では操縦をミスすると死ぬんですよ。20代前半でそういう環境に自分がいたから、『結婚しても食っていけるや』『就職なくても生きていける』と思ったんでしょうね。

とにかく職業を通じて自己表現するということを若い人たちが目指してくれたら、もっと面白い世の中になるだろうなと思うんです。たとえば、2軒のパン屋さんがあって、同じ種類のパンを同じ値段で売っている。片方はチェーン店で、片方は小さな頃からパン屋さんになりたかったというおじさんの店。あなただったらどっちのパンを買いたいですかという話。価値が変わってくるんですよね。同じものなのに同じ味じゃなくなるんですよ。それが今の世の中に足りない部分だと思うんです。

東京駅に行くと、全国の駅弁がずらっと売られているでしょ?あれは、地元の父ちゃんや母ちゃんがやってるような駅弁屋さんが、跡継ぎもいないし、辞めちゃおうかとなったときにJRが買収しているからなんですよね。そんな時代だからこそ、うちみたいに駅前の旅館の店主が『弁当いかがですかー!』って立ち売りしている駅弁に価値が出るんじゃないですか。いわゆる商品に対する想いですよ。職業を通じて自己実現をする人たちはこの想いが濃いし、僕らもそういうところのお客さんになるべきだと思う。小さな商売のやり方があるんですよね。大量生産じゃない商品を理解してくれるお客さんが、うちのキャパだけいればいいの。そういうことを少しでも若い人たちにやってもらいたいなと思います。なんて好き勝手に喋ってしまいました(笑)」


運転士が徐行するのにあわせてダイヤを調整した。

このエピソードは、鳥塚さんがどんな姿勢で社長の仕事を続けてきたのを象徴していると思う。まずは規則の中でできることを各自の判断で進める。環境を変えずともできることは何か。人は自分の頭で考え始める。そして、思いついたことをやってみた結果、窮屈な状況が生まれたら、トップは現場に合わせて枠ごと作り変える。それができるのは、業務に対して最も距離が近く、情熱を持って接している担当者への信頼があるから。担当者は自分の考えが認められることできっとものすごい力が湧いてくるはずだ。

鳥塚さんは、人でも自然でも、すでにあるものを生かすことに長けている。その愛情深いまなざしで、これからも日本全国のローカル線とそのまわりの地域に火をつけていくのだと思う。

Interviewee Profiles

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鳥塚亮(とりづか・あきら)
いすみ大使 / 特定非営利活動法人 おいしいローカル線をつくる会代表
1960年東京生まれ。明治大学卒業後、進学塾で講師を務めた後、大韓航空、ブリティッシュ・エアウェイズで地上勤務を経験。1992年、副業として鉄道前面展望ビデオの販売を行なう有限会社パシナコーポレーションを設立。2009年、いすみ鉄道の2代目公募社長に就任。ムーミン列車、伊勢海老特急を走らせ、自社養成乗務員訓練生を募集するなど、数々のユニークな施策でいすみ鉄道の知名度を全国区に押し上げる。2018年6月に退任後 は、いすみ大使を務める他、特定非営利活動法人 おいしいローカル線をつくる会の代表として、全国のローカル沿線地域を盛り上げるべく奮闘している。社長時代から続けている人気ブログのリニューアル版、「いすみ鉄道前社長 鳥塚亮のブログ」を更新中。

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