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働く人が笑顔になれない福祉って、駄目だよね >>>> 一緒に変えませんか?

保育士 看護師
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on 2017/12/04

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働く人が笑顔になれない福祉って、駄目だよね >>>> 一緒に変えませんか?

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宮崎
中途・副業
新卒
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竹内 和広

【経営理念】 私たちは、働く場を創造し、誰もが参加できる地域づくりを担います。 【行動理念】 私たちは、気配りを大切に、お互いが笑顔になれる活動を実践します。 【集団理念】 私たちは、一緒に働くことを感謝し、共に育ちあえる集団になります。

久保 祐季

看護師として病院に勤務していましたが、前職の退職をきっかけに、障害を持った人のイメージも沸かないまま、障害福祉の世界へ。 福祉=人の役に立つ仕事なんて思っていましたが、実際は、私自身が、人から成長させてもらえる仕事でした。 現在、児童発達支援管理責任者として在籍。 日々学び、日々成長中(*‘ω‘ *)

特定非営利活動法人 笑福会のメンバー

【経営理念】 私たちは、働く場を創造し、誰もが参加できる地域づくりを担います。 【行動理念】 私たちは、気配りを大切に、お互いが笑顔になれる活動を実践します。 【集団理念】 私たちは、一緒に働くことを感謝し、共に育ちあえる集団になります。

なにをやっているのか

「障がいのある子供たちの、第三の居場所」 「わくわくする。ぼくらのみらい」というモットーのもと、障がいのある児童・生徒を対象に、「学校」でもない、「家庭」でもない、「子供たちの第三の居場所」を提供しています。 私たちは、「チームづくり」を意識して、子供たちと接しています。 「チーム」といっても、特に何かスポーツや演奏をするわけではありません。(いずれは、できたらいいなぁ、とは思います) 一緒の空間で、同じ時間を過ごす友達全員が「チームの仲間」として、活動しています。 リーダーも日替わりだったりします。 物の取り合い・順番の取り合いで、喧嘩に発展しそうな時もあります。 そのときに、私たち大人が 「さぁ、どうやって折り合いをつけようか?」 「順番を譲る人って、実はスゴイよね!」 という言葉かけを意識しています。 ですから、働く我々も、心も体もフル回転させますが、それ以上に「頭脳」をフル回転させます。 すごく勉強になりますし、子供たちに「成長させていただき」感謝しています。 毎日、日替わりで子供たちからリアルタイムで進む「課題」を提供していただいております(^^; それはそれは、刺激的ですし、お腹を抱えて笑わされることもあれば、あまりにも生意気なことを言ってきて、「ワナワナ・・」と怒りが込み上げてくるときもあります。 しかし、相手が純粋な子供たちなので、翌日には「アッケラカ~~~ン」とまた平和な時間が始まります。

なにをやっているのか

「障がいのある子供たちの、第三の居場所」 「わくわくする。ぼくらのみらい」というモットーのもと、障がいのある児童・生徒を対象に、「学校」でもない、「家庭」でもない、「子供たちの第三の居場所」を提供しています。 私たちは、「チームづくり」を意識して、子供たちと接しています。 「チーム」といっても、特に何かスポーツや演奏をするわけではありません。(いずれは、できたらいいなぁ、とは思います) 一緒の空間で、同じ時間を過ごす友達全員が「チームの仲間」として、活動しています。 リーダーも日替わりだったりします。 物の取り合い・順番の取り合いで、喧嘩に発展しそうな時もあります。 そのときに、私たち大人が 「さぁ、どうやって折り合いをつけようか?」 「順番を譲る人って、実はスゴイよね!」 という言葉かけを意識しています。 ですから、働く我々も、心も体もフル回転させますが、それ以上に「頭脳」をフル回転させます。 すごく勉強になりますし、子供たちに「成長させていただき」感謝しています。 毎日、日替わりで子供たちからリアルタイムで進む「課題」を提供していただいております(^^; それはそれは、刺激的ですし、お腹を抱えて笑わされることもあれば、あまりにも生意気なことを言ってきて、「ワナワナ・・」と怒りが込み上げてくるときもあります。 しかし、相手が純粋な子供たちなので、翌日には「アッケラカ~~~ン」とまた平和な時間が始まります。

なぜやるのか

法人代表の私、竹内和広の生い立ちから~~ 私は、身体障害者の両親のもとで生まれ、育ちました。 父は筋ジストロフィーで、筋力が徐々に失われて、最後は自分の体さえも動かす力がなくなる不治の病でした。20歳のころ発病し、自殺未遂もしたようでした。 発病する前は、兄弟をバイクの後ろに乗せて、日南海岸をよく走っていたようです。 母は生まれながらの脳性小児麻痺で右手右足がまともに動きません。 私には「交通事故でこんなふうになった。」と説明していました。 脳性小児麻痺と知ったのは、自分で福祉施設を立ち上げて、母の障害者手帳を見たときでした。 障がい者の運動会でお互いが知り合い、結婚、そして私を出産しました。 周りからは 「障害者同士が結婚してどう生活するのか?」 「子供を産んでどう育てるのか?」 「生活費や子供の養育費はどうするのか?」 「そもそも仕事ができるのか?」 と反対されたようでした。 私が幼いころ、父は、まだ動くことができていました。 洋服の仕立てや裾上げなど、自分で仕事を取ってきて、自宅で働いていました。 自宅と言っても、昔ながらの市営住宅で、家賃は当時で3,000円程度、窓ガラスは薄いすりガラスで、もちろんお風呂は外にあり、五右衛門風呂でした。お風呂の周りはトタン板で囲ってあり、もちろんお風呂の屋根もトタン板でした。 五右衛門風呂ですから、お湯を沸かすのは、オガライトや薪でした。 立ったり座ったりすることのできない父が、物を持ち上げる力の無い父が、地面を這って薪やオガライトを移動し、地面に座ったまま、火をつけ、お風呂を沸かしていました。 母は、動くことは出来たので、旅館でお手伝いとして働いていました。日当が1日8時間で3,000円でした。今から25年ほど前までの事でしたから、バブルの頃の話です。 たぶん、世の中は「金余り」だったと思います。そのような世の中で、日当3000円を貰うという気持ちは・・・どんな気持ちだったのか? 考えただけでも悲しくなります。 悔しくなります。 母は、自転車で通勤していました。ただ右半身がうまく動かないので、自転車のバランスを崩すと、すぐ倒れていました。自転車で倒れると、体全体で地面に倒れ込むことになるので、道路横の側溝にスピードのついたまま落ちたり・・・ 出勤途中とはいえ、まともな雇用契約は結べていないので、労災もありません。また、そういう法律の事を教える人も居なかったでしょう。 しかし、両親とも、ただ黙々と頑張っていたのではありません。普通の人と同じように、いろんな感情を持ち合わせていました。 夜になると、父は焼酎を飲んで、酔っ払い、いつも泣いていました。号泣していました。憂さ晴らしをしたくても、体が動きません。焼酎の入ったコップを持ち上げる事もできません。こたつの上のコップに自分の口を近づけて飲むしかありません。 母もストレスがたまり、家の中では文句しか言えません。 外ではいつも文句を言われる立場ですから・・・・・・ そのような中で、私は五体満足に生まれてきました。 今でも、両親の、その光景を思い出すと、涙が出ます。悔し涙です。父も母も必死でした。 しかし、社会が相手にしてくれません。 お金が無いのです。健康が無いのです。 そして、理解者が居ないのです。 親族でさえ、「体が悪いんじゃから、じっとしとけ。なんもせんでよかとよ」と言っていたのを覚えています。 父は必死になって、言い返していました。「俺だってできる!」と・・・・ 私が生まれたことによって「子育て」という役割を、神様が両親に与えたのだと思います。 そういった意味では、両親は人並みに、家族を持てて、子育てをして、子供を大学まで行かせたという立派な事を成し遂げたと思います。 しかしながら、何ら役割を持たせてもらえない、仕事もない、理解者も居ない障害者の方が圧倒的に多いのが現状です。 先進国なはずの日本で、民度が高いはずの日本で。。。 ですから、なんとかして「障害者のよき理解者」を増やしていきたいと考えます。 「働きたい」「役に立ちたい」「活躍したい」という、私の両親と同じ気持ちを持った障がい者の力になりたかったのです。 しかし、私一人の活動では、まだまだ不十分です。まだまだする事が沢山あります。 たくさんの方々のご理解が必要です。 生まれてからずっと、障がい者に育てられた私だけが知る、障がい者の悔しさ、悲しさを噛みしめて、地域から少しでも悲しい思いをしている人を減らしたいです。 そういう思いで、現在の活動を実践しています。

どうやっているのか

放課後等デイサービス「あさひがおか」 児童発達支援管理責任者をさせていただいています、私、久保が説明します~^^ 私たちは、子供たちの「社会性」「人間力」を育成することに注力しています。 そして、「チームつくり」を意識して、言葉かけを行っています。 その中で、先輩・後輩・仲間との「良好な」人間関係・協調性・社会性が身につくように、日々の実践を工夫しています。 私たち、職員は、お互いを「先生」なんて呼びません。 ましてや、子供たちに、私たちのことを、「先生」と 呼ばせません。 「先生」という立場の大人は、「学校」にたくさんいらっしゃいます。 「第三の居場所」に「先生」が居ると、それは「学校ごっこ」になってしまいます。 教育大学で、教育学を学んで、教育実習も受けて、初任者研修も受けて晴れて、やっと「先生」という称号が学校では使われます。 「先生」という立場は、私たちの職場には必要ありません。 我々、職員は、子供たちからすれば「近所のおじちゃん、おばちゃん、お兄ちゃん、おねえちゃん」でいいんです。 常に寄り添って、一緒に遊ぶおじちゃん・おばちゃんです。 そして、「先生」でもない、「お父さん・お母さん」でもない「大人」を演じています。 この施設では、平日(夕方)は掃除の時間はありません。(学校でたぶん、毎日、掃除の時間があるはず・・) 子供達の快適な環境をつくるのは、職員の仕事と思い掃除は職員がしていますが、中には、雑巾を絞るのが苦手な子もいます。 例えば、水遊びをした時に、洋服が濡れてしまうと、絞るという行為の練習ができます。 何気ない事でも、子供達には、遊びを通して、いろんなことを学んでもらいます。学びの材料・ネタを提供しますが、「押し付け」ません。 その分、子供を観察する目は、スタッフに求められます。ちょっとした仕草、変化、言葉遣い、スタッフのセンサーは、感度良好でなければなりません。 スタッフが子供たちと一緒に遊び、学び、一緒に成長できる。 追いかけっこでスタッフが本気になって子供を追いかけてもいいんです。 竹馬が出来るようになった子供に、竹馬の乗り方を、子供に習っていいんです。一緒に練習することで、子供たちと「共感」できるのです。 そして、誰かが、何かを、楽しそうにしていると、みんな興味を持って近づいてきます。 自然と仲間集団が出来てきます。 そんな中で、子供たちが「葛藤を調整する力」や、「正しく自己主張する力」、そして「相手と折り合いをつける力」を身に着けることができるようになる、そのお手伝いをするのが、私たちスタッフの仕事です。 子供たちの「出来た!!!」が私たちにとって何よりもうれしい事です。 どんな小さなことでもいいんです。 挨拶ができない子が、「ただいま」と言ってくれる。言葉で言えなくても、「チラッ」とこっちを向いてくれるようになるだけでも、進歩として、大喜びします。 こんな、小さな小さな進歩ですが、毎日毎日ちょっとづつ、うれしい事の積み重ねです。 最近、仕事が終わって、帰宅するときは、いつも私たちスタッフが「ニコニコ」たまには「ニタニタ・・」って、なってしまいます。。。(笑) 障害に関する書籍もたくさん出版されています。 しかし、子供達、一人ひとりに個性がある様に、障害の特性も様々で、書籍通りになんてうまくいきません。 障害を治そうなんて思っても、それは、無理な事であって。 障害を生かしながらどう活動していくのかを日々考えながら… ほめて のばして かんがえさせて 子供達が主役の わくわくするみらい を創るお手伝いをしています。

こんなことやります

優しいだけの人は、この仕事は無理です。 鈍感な人も、当たり前ですが、この仕事は無理です。 向上心の無い人も、この仕事は絶対無理です。 !!最終目標は、「えがお」の全国展開!! /* ---------------------------------------------------- */ 「障がいのある子供たちの、第三の居場所」 夕方、学校から帰ったあと、健康であれば塾に行けます。スポーツ少年団に参加できます。部活動にも参加できます。友達の家に一人で遊びにも行けます。 こどもに障害があったら???? 親が仕事で、なかなかかまってあげれなかったら?? 私たちは、こどもの頃、友達と一緒に遊ぶことによって、沢山の事を学ぶことができました。 そして、友達関係から、社会性も身につけましたし、優しさ・悔しさ・怒り・喜び・・・沢山の感情を、たくさんの友達と共有できました。 部活動では、先輩には逆らえず素直で従順な後輩を演じ、後輩にはジュースをおごって優しい先輩を演じ、沢山の経験を積むことができました。 障害があることによって、その「友達」がいなかったら? そして、障がいのある子どものご家庭では、どんな感じでしょう? 障害のある子を生んだお母さんは、必ず、一回は自責の念を抱きます。 まず自分の子供の障害を受け入れられません。 「ちょっと他の子と違うだけ。」 「成長すれば治る」 「厳しくしつければ治る」 自分の子供の障害を受け入れたら、次は、もっと沢山の「不安」を抱え込みます。 「体が大きくなったらどうしよう」 「生活のため、仕事もしなければいけないけど・・」 そして「私が死んだあと、この子の生活はどうしよう」 よく言われる「親亡き後(おやなきあと)」です。 その「不安でいっぱいのお母さん」の力になるべく、私たちは、元気いっぱい、えがおで子供たちと接しています。 私たちは、この仕事に誇りを持っています。 福祉ってどうしても敬遠されてしまう風潮がありますが、福祉こそ「究極のサービス業」だと思っています。 言葉で上手に表現できない子供の気持ちを読み取って、何を求めているのか、ニーズをキャッチする力・人間力が必要です。 優しいだけの人は、この仕事は無理です。 鈍感な人も、当たり前ですが、この仕事は無理です。 向上心の無い人も、この仕事は絶対無理です。 ですが、福祉には、残念ながらそんな方が多いような・・・・だから・・・福祉業界全体が魅力ない業界になったんだろうなぁ~って感じます。 代表である私も、最初は「福祉」は嫌いでした。貧乏くさくて・・・ しかし、いろんな経緯があり、福祉の世界にたどり着きました。 今やっと「貧乏な福祉」から脱却し始めました。 これからは、能力のある人、センスのある人、おしゃれな人、コメディアンな人達と一緒に、「新しい福祉の形」を作ろうと考えています。 そのために、「日本を変える!」ぐらいの志と能力・行動力のある人を、一人でも多く募集して、働く人も幸せになる福祉を目指し、一緒に実現したいと考えています。
8人がこの募集を応援しています

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話を聞きに行くステップ

  1. 応募する「話を聞きに行きたい」から応募
  2. 会社からの返信を待つ
  3. 話す日程を決める
  4. 話を聞きに行く
募集の特徴
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会社情報

2009/04に設立

31人のメンバー

宮崎県北諸県郡三股町蓼池1965番地1 あさひがおか