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堀
【ロック・スターの気持ちがわかった日から、私の人生は変わった】 「堀くんの夢ってなに?」何気ない、その質問に一瞬だが時間が止まった。 20歳を過ぎ、本気で自分の人生と向き合うことをしなかった私には衝撃的な質問だった。 そして何も言えなかった。いつの間にか「仕事は生きるための手段」としか考えていなかったことに気づいた。 友人の誘いで、軽く居酒屋に足を運んだ日が、私の運命を大きく変えた日でもあった。 その運命を変えた人が、後藤社長(現:㈱ディ・ポップスグループ)だ。 日本の未来をもっと良くしたい! 若者が夢を持って、挑戦できる環境をつくりたい! 学校をつくりたい! 次々に出てくる、彼の想いにいつのまにか引き込まれていく。 会社って自分たちでつくれるもんなの? 夢って大人になったらなくなるんじゃないの? 自分の思考がどんどん崩れ、心が丸裸にされた感覚だ。 私は、初めての就職1社目は、機械メーカーにて設計の仕事。 社会人一年目、希望に満ち溢れ、仕事に燃えていた。 二年目、車を購入したころは、毎週末は何処に遊びに行くかばかり考えていた。 仕事に対する希望と意欲は少しづつずれ始めていた自分に気づかいない状況に。 自分自身の人生に対し考えることすらも無くなっていた。 1社目は、年功序列、学歴差による給与決め、変化を好まない組織・・・「どうせムリ」私の思考は、習慣的に「どうせムリ」という言葉が響いていた。 2社目に選んだのが、不動産の営業に・・・単純に営業をやってみたかっただけ。 そして実力で評価される環境にいきたかった。 ここでもあの言葉が出てきた。「どうせムリだって」。 2年ほど働き、会社という組織に嫌気が差し、辞めた。 その後、再就職を考えない日々が続いていた。 いわゆるフリーター状態。(後日、親から、あの時はある意味覚悟したとW) 半年ほど経ったのち友人が始めた事業を手伝うことになる。 その取引先が出来たばかりの㈱ディ・ポップスだった。 居酒屋で話したその社長が、当時26歳の後藤社長なのである。 居酒屋での大きな衝撃の後、私は後藤社長率いる㈱ディ・ポップスに入社した。 翌日・・・ 「じゃぁ堀くん、早速だけど反対口にある最新店舗の2号店に行って!」 「えっ? 研修は?」 「ベンチャーには、スピードが大切だからね!」と意味の分からない返しの後、 私は、入社した次の日、店長になった。 それが、私の人生を大きく変える幕開けでもあった。 「お客様のファンを多くつくってくれよ!」 それが俺たちの生きる道なんだ。 社長にそう言われ、最初は何が何だか分からず、売れない日々が続いた。 「堀くん、今月の店舗家賃やアルバイトの給与はどうすんの?」 「・・・・」 「本気でお客様と向き合ってる? 俺たちは不可能を可能にするためにここいるんだよ!」 私は、売ることだけ考えていた。そして環境のせいだと、他責ばかり。ファンづくりの意味さえ理解できていなかった。 でも心が動いた瞬間でもあった。 その日から、自分自身と向き合い、お客様と向き合い、POPや言葉一つ一つに集中し、 接客もお客様の心の窓をどの様に開くか…を日々考え、模索し、何度も何度も 接客を繰り返しました。 そんな日々の中、お客様からある言葉を言われるようになった。 「〇〇さんの紹介で来たのよ♪」「前に友人がここで購入したんだよ」「この前娘が見に来て、今日連れてこられた」 「定員さん面白いね」「なんでいつも元気なの?」「堀さん、これ食べて」「あんたに任せるよ」「堀さん飲みに行こうよ」 ・・・・そして、この言葉を言われた「俺、堀さんのファンだから」 嬉しすぎて、 営業終了後、バックヤードでガッツポーズを取るも涙が溢れた。 今までの仕事で、こんなに嬉しかったのは初めてだった。 お客様を感動させることで自分も感動できるなんて・・・なんて素晴らしいんだろう。 中学生の時に観た、伝説のロックバンドライブで興奮して身体が痺れ、涙が溢れたあの感覚。 そしてヴォーカル自身も感動し、涙が溢れていました。ファンとアーティストの一体感。 これだった。この会社のファンをもっと増やそう! それから21年、このディ・ポップス グループは、グループ会社も10社になり 売上高も180億を越え、従業員も1000名を越える企業へ成長した。 私は、店長から様々な店舗を立ち上げ、人財開発にも携わり、 今は、売上高20億円の㈱グッド・クルー代表となっている。 そして、今でも変わらず、まるでロックスターにように 感動パフォーマンスでファンを増やし続けたいと思ってます。 ロックスター=夢・情熱・ファン!この精神は必ず仕事に 生きてくると思います。
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