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Sakugo Koizumi

『主体性を持った子どもたちが語れる日本を作る』 【いままで】 夢を語ることで批判されることに違和感を感じる #幼少期  小学校から去年2016年までサッカーを続けてきました。 幼少期は活発で、兄弟にちょっかいをかけるような子供でした。 農業体験やカードゲームで遊ぶことが多かったです。 #小学校 小学校になるにつれ人見知りをするようになり、兄弟も凶暴になってきました。兄弟や父の顔色を伺うようになり、女性と話すこともしなくなってきました。当時、流行っていたいじめで全員1回はいじめの対象になっており、 しょうもないと感じて、1人になることが多かったのですが、 次第に同じ考えの友達が生まれ、周りに人がいました。 小学校1年生の時に兄を追いかけるようにサッカーをはじめ、下手ながらもプロサッカー選手を目指していました #中学校 サッカーに明け暮れ、中学校の部活動とクラブ活動でサッカーをしており、下手でも時間をかければある程度はうまくなるということを信じ、部活ではとにかく走り、部活動後に技術を磨くためクラブチームへ行ってました。 中学2年生の時に3年生の試合に出ており、すごく楽しかったです。 その後に、自分たちの代でゴールキーパーがいないという現実に直面し、 少しの間はキーパーを務めており、本気で練習をして、ジャイアントキリングを起こしたことがあります。 中学校3年生へ上がる時に高校でもキーパーをするのかという兄の問いに対して、そうではないという考えに至り、クラブチームをやめ部活動へ転向しました。 部活動では全く違うポジションを務め、結果が出ず悔しい思いをしました。 #高校 試合に出る機会はありませんでしたが、ひたすら自主練習をしてました。 今思えば、非効率的な練習でしたが、何の根拠もなしに頑張っていました。 高校3年生の時の夏休み前に、メンバーに選ばれなかったことが悔しくて手を骨折し、このタイミングで教師に必要な話のネタを持つこと、人生に深みを出すことを考え、留学を決意。高校1年生の時からホームステイを引き受けたりと留学生や先生と関わりを持っていたため、交換留学で2ヶ月間オーストラリアへそこでは自分と向き合う機会が多くお金のことについて考えることになり、ブログを始める。 また、オーストラリアでフットサルに出会い、学校対抗遠征では地区2位となり、地域のサッカー試合に参加し、サッカーの楽しさを感じる。 帰国後、地元のフットサルクラブに連絡を取り、ちょうどその年に富山県として全国大会に参加するということで選考会に参加し、メンバーとして帯同、試合に出る機会は多くはなかったが、北信越代表となり、東京で試合に出場。 グループ敗退となったが、もう一度頑張ろうと決意。 #大学生 サッカーで海外に行きたいと思うようになり、 1年生の時はサッカー部に所属し、バイト、大学、サッカーに明け暮れる。 富山から千葉という環境がガラリと変わり、慣れない時期があったが、友達と先輩に恵まれる。 #2016年から現在  去年はニュージーランドへサッカー挑戦をするためにワーキングホリデー をしており、サッカーで挑戦するという厳しさよりも、自分の力で生きていくという難しさを学びました。  自分はどうなりたいのかということも考え、帰国後お金について 考えることになり、転売から始めたが、人と会うということの大切さを感じ、SNSを通して様々な人とお会いし、起業という考えが生まれ、4月からビジネススクールへ通うことになりました。5月にも別のビジネススクールへ通い、7月にフットサルイベントを開催しました。7月末日から団体を作り、現在、イベントを開催しています。  現在の団体で過去に2回、フットサルイベントと芸人さんの交流会を開催。   イベントで生計を立てたいと考え、自分を追い込むためにアルバイトを辞めましたが、うまくいかず、苦戦中。 だけども行動を止めることはせず、9月からNPO団体Teach For Japanの中期インターンを受け、おもしろい教育を目の当たりにすることができました。 さらに、教師のあるべき姿を考えることもできた。 【これから】 いままで兄弟を含め、非行に走った子達を見てきたり、 シングルマザー経験のある姉が実家にいた時に姪の世話をし子供増やしたいと思うように、と同時にビジネスマンの教育の素晴らしさを大学で感じ、まずはイベントを通してビジネスを学び、僕からメンバーへする教育を育成年代へ向けることにより素晴らしい教育が生まれるのではないかと考える。 将来的には主体性を育む教育を育成年代へするための環境を作ることを考えており、教師になるよりも学校を作った方が手っ取り早いため、起業を考えている。

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