202603/数字を克服した話
3年経ってようやく腹落ち
わかってはいたんです、社会はどうしても結果を中心に回ると。「質的評価より量的評価を」と言われ、KPI、KGI、MBO、OKRといった言葉が雨のように降ってきます。事業の成果は数字で示し、誰が見てもわかる形にするのです。いわば明朗会計の発想。
数字で整理することには利点も多くあります。目標が明確になり、組織としての方向性も共有しやすくなります。特に、忙しい人や直接の利害関係がない人に興味を持ってもらうためには、刺さるエグゼクティブサマリが必要になります。長い物語を省略して共有するための記号として、数字は重要な位置付けです。
私の仕事はというと、報告書で挙げる実績が「0名→50名」というような数字に落とし込まれます。しかし、私は現場の実行部隊の人間なので、関わる一人ひとりの努力の結晶を無機質に扱われている気がしてなりませんでした。その数字に至るまでのみんなの奮闘は?背景が削ぎ落とされていると感じて、悔しかったんですね。
おもしろきこともなき世をおもしろく
「努力を無機質な数字に矮小化されたくない」という気持ちの収め方は意外と単純で、考える順番を変えればよかっただけでした。
- 流れを掴む
- 1行で伝える
- 数字を使う
3.の「数字で証明する」が前面に出て来ると私は戦意喪失していたのですが、2.「物語を一瞬で伝える」を目的、その手段として3.を据えてみました。
先日、満を持して約3年間の事業の効果を数値で詳細にまとめてみたところ、外部の方の視察ですぐに威力が伝わり、手応えがありました。実績がなかった頃は1.のストーリーテリングしかできなかったから、他との比較ができないし差別化も難しかったのです。これでようやく胸を張れる、と安堵しました。
数字の裏にある物語
そのくらい、数字で証明できるまでの道のりが長かったのです。
初期の私を最も悩ませたのは、人数の報告でした。何事も、投じたリソースに対するリターンは多ければ多いほどよいです。人の行動変容を促す施策なので、自ずとKPIは人数になります。しかし、概念と予算と条件はあって、運用面は走りながら決めていく必要がありました。ゼロから何かを始めるのに、最初から勝ち筋がわかっていて順調に人数が増えたら、産みの苦しみなんてものは存在しません。みんな、我先にってやります。
そして、KPIが間接的に影響を及ぼすのは働く環境です。外部に対して説明責任を果たそうとチーム内に数字の亡者が現れると、本来はお互いの努力を認めて協力体制を強固にするはずの定例会が、目も当てられない詰め会になってしまいます。そもそも妥当かどうかもわからない目標値がプレッシャーになるのは本末転倒です。だから、芽が出ないからと栽培方法をすぐに変えるのはあまりにも早急であると押し返し、実直に臨むことを説きました。もちろん方向性を決めて一定期間実装してみてから数字で振り返ることは必要だと当初からわかっていたので、日々正しい数字がすぐ出せるようにはしてありました。
今後編み出せる可能性のある新たな指標
数字の圧に屈さず頑張れる風土のために敢えて毎月の目標値を取り払ったのに、結果が出せました。これは表面的に見えづらいプロセスによるものです。今後も再現性を持たせるために、人数とは別の指標を作り出せると考えています。たとえば、
- 利用期間(安定して働き続けようとする力:登録からの日数、うち稼働日数、稼働率)
- コミュニケーションのレスポンスの良さ(自他共に時間を大切にしながら誰かとつながろうとする姿勢:Slackの応答にかかる時間、1時間当たりの自発的なアクション回数)
- 日報や面談による振り返り(自分の仕事を言葉にしようとする試み:日報の文字数、一意の単語数、面談回数や所要時間
などです。質的にも量的に表すこともできそうです。私が本当に大事だと思っていることを数字で表せるのですから、苦になりません。これから分析に着手するのが楽しみです。