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私の色々してるギラギラな毎日

こんにちは。

自分は実は昔うつ病を高校生の時に患いました。

そこからの闘病生活を続け、寛解といういわゆる落ち着きの時期に今は回復しました。

人生の半分ほどを病気に費やしたのですが、辛いことも悲しいことも色々ありました。

しかし、私には「作ることがとにかくすき」という生きる糧がありました。

絵で小学生のとき初めて褒められて、美術部に入り、部長になり、責任というのも学びました。

(この時生徒会にも入っていました)

美術の道へ進もうと、ひたすらに美術のことを追い求めつつ、生真面目なので学業も抜かりなく。

県立で第二期生となる新しい芸術学科に4.4倍のせめぎあいを抜け合格し、高校生活にはいりました。

文豪や、芸術家は自殺や精神病になる歴史が、ここですこし分かった気がしました。

自分は成績も実技も並以上にできたので、良かった反面、上には上が居る、そして理想形が形にならない

そう苦しんで、バイトも始めたら、欝になりました。

私の場合は躁鬱だったので、ハイテンションの時の筆のノリは他人を圧倒する生命に溢れたものでした。

しかしローテンションの時は一人黙々とああでもないと苦しみもがき、大学もメディア系へ進み。

治ってはいなかったので生真面目に講義をきき、映画論、著作権法などの難しい講義をはじめ

カメラ、デザイン、デッサンなどの実技に明け暮れました。

その中で自分を引きつけたのは「色彩論」でした。

中学の時から「あなたは変わった色を使うけれど、まとまるのは不思議ね」と言われました。

色彩論と出会ったことにより、自分の美術での技、持ち味を見いだせた気がしました。

WEBでも写真でも、障害でない限りは目に映る「色」というもの。

当たり前のものだと思うでしょうが、それには秘めたる力がありました。

色彩論を学び、検定を取ったことにより、趣味の創作の幅も広がりました。

鬱屈としていた世界に広がる無数の色というものは、光の力なくしては見えないのです。

光の三原色の通りで、プリズム、虹などの説明は省きますが、光がなければ色は生まれない。

私の人生に色が宿った瞬間でした。


ところで話は変わりますが、ライター業をここ一年やっていました。

なぜかというと、在学中からずっと(中休みもありますが)講師をしていました。

文系講師で通してきました。英語、社会、たまに数学。

元々活字でハリーポッター直撃世代だったり、歴史好きが高じて時代小説を読んだりと

本に触れる機会も多く、自分は物語や論文を書く事が好きです。

ピクシブでは昔から、ジャンルもばらけますが二次創作小説などもたまに書いています。

文章は楽しいです。説得力のある魅力ある文章というものは、人を豊かにさせると考えます。

ライターというものは「インプット:アウトプットして人に伝える仕事」だと考えます。

自分はライターを前までして、難しさも、楽しさも理解してきた気はします。

しかしまだ未熟者なので、より良いモノ書きになりたいと、高みを目指したいと思っています。


ここまでありがとうございました。

なにか私の人生が人の心を動かすことがあるならば、生きる意味が生まれます。

それは、とても嬉しいと感じます。