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ブレンデルの記事(2007年)~角田篤志

アルフレート・ブレンデルのインタビュー記事(2007年)です。

1931年、チェコ・モラビア生まれ。グラーツ音楽院で学び、1949年にブゾーニ・コンクールに入賞。ハイドン、モーツァルトからシューマン、リストに至る古典派、ロマン派で多くの名演を残した。

ベートーベンやシューベルトの演奏で長年聴衆を魅了し、2008年末に引退した大ピアニスト。

コンサートに別れを告げたとはいえ、悠々自適にはほど遠い近況を語った。

「来年のショパン生誕200年に来日公演ができないのは残念です」。笑顔とユーモアを交えた話しぶり。高松宮殿下記念世界文化賞(日本美術協会主催)を受賞し、都内のホテルで会見に臨んだその姿は、非常にリラックスしていた。

「何事にも潮時というものがある。いかにふさわしいタイミングで舞台を去るか。ずっと考えていた」と切り出し、自らの意思で演奏家人生に幕を下ろしたことを強調。「幸い、私はコンサート依存症にかからなかったもので……」ととぼけ、笑いを誘った。

引退後の現在、音楽に関する講演や若手ピアニストの指導と並ぶ楽しみは、自作の詩の朗読だと語る。

「過去の偉大な作品を演奏する際は、作曲家の意図を知り、楽曲を正しく理解する作業が欠かせない。それに比べて自作の朗読はとても自由です」。音楽の女神のしもべから解放された安堵(あんど)感もにじむ。

約60年に及んだピアニスト生活を振り返りつつ、少しだけ表情が曇った。過去半世紀の間に、クラシックの聴衆が世界中で急増したことには、複雑な感情を抱くというのだ。

「大きなホールで演奏しなければならなくなった結果、より大きな音を出せるかわり、ゴツゴツした金属的な響きのピアノが当たり前になった」。大音響でピアノを打ち鳴らせば、音楽が包容する繊細な感情が吹き飛んでしまう。しかし現代の聴衆はそうした音を求める。一昔前の巨匠なら「寄りつきもしなかった楽器」を使わざるを得ない若手の先行きを案じる。

名演の基準は、それを取り巻く環境によって大きく変わることを、この希代の名人は肌で実感してきたようだ。だが、「私には懐疑と共にユーモアがある。だから将来について過度に悲観的にならず、現状を笑い飛ばすのも手でしょうか」とも。

2006年12月、ウィーンで開かれた人生最後の演奏会で弾いた、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」のライブ録音が、デッカから発売されたばかり。マッケラス指揮のウィーン・フィルとの共演だ。

「とても、とても美しい音楽。この曲を最後に弾くことができて、本当に幸せでした」。古き良き伝統を守った火の残照が輝く。

角田篤志

参考:https://www.iwatagakki.com/