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面接は冷やかすぐらいで上手くいく

 3年前。人材系の会社に勤めていた私はWantedlyの募集記事を眺めるのが日課だった。Wantedlyといえば、ココロオドル仕事をアピールするホットな企業がひしめく場所。他の媒体と違って個性豊かな記事が多く、通退勤中の暇つぶしになる。それに、ベンチャー界隈の情報を得るアンテナとしても適していたからだ。

 その時、1件の募集記事がやたらと目を引いた。カバー画像は、MacBookを持ったアフロの男が海辺に立っている。タイトルは「誰か一緒にフィリピン行かね?」── ふざけてるなと思った。

 そのどう考えてもふざけた記事をクリックしたのは珍しいと思ったからだ。海外に展開しているベンチャーは少なくないが、海外に派遣されるのは主にビジネス職であって、エンジニアは国内で開発することが多い。あったとしてもブリッジSEなどでピュアな開発職で海外は珍しい。

 当時の私はかなりの海外志向で、すぐに「興味があります」と緑のボタンを押した。どんなビジネス・スキームなのか本当に “興味があった” からだ。あわよくばパクって……いやいや、参考にしてやろうという気持ちがあった。

 求人している企業からすれば、求職中でもなく転職の意思もない私のその行動は「冷やかし」でしかない。だが、興味がありますボタンを押して数分後にはメイプルシステムズの望月代表から返事が来た。恐ろしく早い返信に驚いた。こちらは気軽に押したボタン、相手は熱意を持って即答してきた返事。しかもコピペではない。

 一瞬罪悪感を持ったが、すぐに会うことになった。

 待ち合わせたのは渋谷のロクシタンカフェ。暑さの残る9月の初旬。その時の私はかろうじて襟のある服を着ていたけれど、少なくともビジネスとして人に会うことを考えるとあまり適切ではなさそうな、ぺろぺろの素材のワンピースだった。ところが交差点の向こうから現れた望月社長は、私の3倍はぺろぺろでたるたるの服を着ていた。

 正直言って、このときの私はコンタクトを取ったことをかなり後悔していた。

 Wantedlyのふざけた募集記事。住所練馬区という会社の所在地。LINE交換した社長のアカウントの名前、写真。他人の顔面をとやかく言える立場ではないのは重々承知の上だが、なにより望月社長の顔が怖い。これらの点と点をつなぎ合わせると「ヤ◯ザ」という言葉が浮かび上がり、なるほどと思った。冷静に考えてそれはないとしても、それに近しいレベルでこの会社に良い印象がないというのは事実だった。

「好きなもの頼んでいいよ」

 緊張感を持ってカフェのメニューを見たのは30年近い人生の中でもそう多くはないだろう。「あの時○○食べたよね?」なんて後から脅されたら怖い。ただより高いものはないとはよく言ったものだ。しかし、目の前にいる強面の社長が飲み物だけでなく食事を注文しようとしている中で、「コーヒーだけ頂きます」とも言いづらい。ここは高すぎず、空気を読めなさ過ぎないチョイスが求められる。

 その時、“ココナッツ・アイス・ミルクティー”という飲み物でもあり食べ物でもあるハイブリッドな商品が急に輝いて見えた。「これだ!」と思った。Railsのリファレンスを眺めながら「こういう便利なメソッドってないのかな?」と探してて「あるじゃん!」となった時のあの気分だった。

 一刻も早く応募の意図が「冷やかし」であったことをまろやかに伝えて、いかに強面の男を怒らせないようにこの場を納めて去るかということばかり考えていたわりに、一口飲んだココナッツアイスミルクティーは衝撃的に美味しかった。美味しいものは人の心を緩ませる力がある。

 おもむろに、望月社長は「なんで応募してきてくれたの?」と聞いてきた。これはある意味チャンス・クエスチョンだった。採用の見込み無しであると判断してくれれば納得してくれるだろうし、いい感じに断れるだろう。あわよくば向こうからお断りしてくれれば最高だ。


  • 3ヶ月のカナダ留学から戻り、現職に復帰したばかりであること
  • 将来は海外に通用するエンジニアとしてキャリアを伸ばしていきたいと考えていること
  • 海外に「日本の開発者を送り出す」という求人が珍しかったので、どういうビジネススキームなのか聞きたくて興味あるボタンを押したこと
  • 「万が一」御社にご縁があったとしても、ギリホリ(※1)までの最大2年しか勤めないということ
  • 既に週末プロジェクトをやっていて、そちらを起業した場合は去っていく可能性もあること


 自分のキャリアに対して思っていることを正直に伝えた。普通、面談や面接などの場で嘘はつかないまでも、自分を好条件に見せるために「言わずに伏せること」というのは多少ある。この時は、できれば向こうから断って欲しいという思いがあったせいか、包み隠さずに話すことができた。

 さあ、そちらから断って下さいね!とウキウキで返事を待っていた私に対して、望月社長は「なあんだ、そんなこと」とでもいった風に「じゃあウチに来るべきだよ」と言った。

「海外志向なら大歓迎。来年度、フィリピンに開発拠点作りたいと思ってるからメンバーに加えてあげるよ。それにワーキングホリデーに行くならお金稼ぎたいでしょ?キミのスキルならうちだとこれぐらい(電卓叩いて見せてくれた)稼げるから、残りの2年はしっかりお金貯めなよ。起業したいんなら、むしろうちでビジネス育てて子会社化してもいいよ」

 いやいやそんなうまい話ないでしょ?と訝しむ私に、きちんとそれを受け入れた場合の自社のメリットもしっかりと話してくれた。会社の代表が、経営というものについてまだ右も左もわからない生意気な小娘に1時間近く時間を割いて、ビジネスの話をしてくれた。しかもそれはすごくわかりやすかった。

 気づけば、この人は信用できるなという気持ちになっていて、あれほど「強面だなあ」と思った顔も、逆に頼もしく感じたのだ。

 かくして、現職に対する気まずさはあったけれど、当時の私は29歳。人生の旬は短い。決断は早いほうが良いと思った。その日のうちに握手を交わしてメイプルシステムズに入社を決めた。あれからもう3年。「七度主君を変えねばエンジニアとは言えぬ」などと言って職を転々としていた私だが、在籍記録は人生で最長。社内でも古参と呼ばれる方の社員になった。

 3年の間に社員もどんどん増え、今は人事の鴛海が面談をしている。けれど、面談に来た人のキャリアが、叶えたい夢が叶うようにアドバイスするというスピリットは受け継がれている。場合によっては、うちに来て欲しい気持ちを抑えて「別の会社が良いよ」と勧めることさえある。

 もしも、自分のキャリアに「こうしたい」という思いのある人がいれば、転職意思のないうちに「冷やかし」で相談に来ることをおすすめする。求職のタイミングではどうしても良く見せようとして正直に言えないことがあるが、最初から断る気持ちなら全て正直に言えるからだ。

 今思い出してみれば、あの時正直に全部話したから、納得できるキャリアを形成することができ、メイプルシステムズでCTOをやっているのだと。そう思う。

※1. ギリホリ = ワーキングホリデーに申請できなくなる満31歳を迎える直前に申請し、さらに有効期限の1年間をギリギリに日本を出発すること。つまり、ほぼ32歳になる直前からワーキングホリデーをスタートする事ができる。(面談当時の私の年齢が29歳と4ヶ月)

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