1
/
5

僕が最初のWEBアプリを作るまでの話

当時大学生だった僕がプログラムを勉強してWEBアプリを作るまでの道のりを書きます。

2011年5月に大志を抱いて、2013年10月にリリースするまでの奮闘記です。

2011年4月、当時僕は大学生でした。就職活動といいつつ本を読み漁りつつ、アルバイトの塾講師をしていました。就職活動では様々な収穫がありましたが、僕にとって就活最後の収穫は自分のこれまでの人生の選択基準が言語化出来たことです。

面白そうなアイディアをちゃんと試したい。成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。でも納得できるまでやりたい。そういうことをこれまで求めて生きてきたんだと思うと、ふいに自分が誰かの会社で働けるイメージが持てなくなってしまい、就活を辞めました。

就活を辞めて起業することにしました。就活をしているときに一緒にエントリーシートの相互添削や本の貸し借りをしていた同じ塾講師の仲間がいたので、その彼に起業について相談しました。すると話は盛り上がって一緒に何かのサービスが作れたらいいね、ということになりました。彼の名は坂本諒。その後実際に一緒に起業することになります。

(当時読んでいた本)

起業のアイディアはいくつかありましたが、その中でも2つ紹介します。

モーニングブレイク

これはコーチングのサービスです。コーチングスキルを身につけたスタッフがクライアントにモーニングコールを行います。10分間の電話でクライアントは1日のイメージしてスタッフに話します。スタッフはクライアントが最高の1日をイメージするお手伝いをします。

LifeHistory

これはSNSのアイディアです。ユーザーは自分の経験したことを登録します。いつごろどんな経験をしたのか?例えば好きなスポーツ、音楽とのこと、練習したこと、他にはどんな趣味にハマっていたのか、登録・編集して経験を記録していきます。沢山の人生経験がアプリに蓄積されることで、ユーザーは自分の生き方について大きな舵を切るときに、他のユーザーの経験から自分の決断を後押しする何かを見つけられるかもしれない、経験を公開しながら誰かの人生を応援する、そんなアプリをイメージしました。

モーニングブレイクというサービスで起業することを考えたときに、私にはどこから始めたらよいのか、どうやって集客するのか、そういったことが上手くイメージ出来ませんでした。しかしSNSなら、面白いものが出来ればTwitterなどで拡散してあとは人が集まってくれるだろうと楽観的に考えていました。そこでWEBアプリを作ることにします。

僕らには2つの選択肢がありました。

スキルを持ったプログラマーをチームに招くか、自分たちがプログラマーになるか。

最初のうちはプログラマーが集まるイベントに参加しては自分たちのアイディアを話し、仲間になってもらえる人を探しながら自分たちもプログラミングの勉強をしました。

イベントに参加して大学生から起業家まで様々なエンジニアと出会い分かったことは、エンジニアの人材がどこも不足しているということでした。そうしてイベントに参加してエンジニアに会うことはなくなり、自分たちがエンジニアになるべく勉強に励みました。

このころは深川も坂本も塾講師を続けていたので、朝からお昼3時まではプログラムの勉強やアプリのアイディアを練るミーティング、夕方から塾で授業をするという生活の繰り返しでした。私は7月までHTML、CSSを勉強し、8月〜9月でC言語、10月〜12月はPythonを勉強しました。

C言語を勉強した理由は、当時どの言語がどんなことに向いているのかさっぱり知らなかったからです。「どうも黒い画面(コマンドプロンプト)の勉強から抜け出せないな・・いつになったらWEBアプリ作れるんだろう?」と思っていました。しかし、どの勉強も非常に楽しめました。

私は大学の1年生のときに授業で勉強したExcelの扱いが上手かったことから、情報系の高校出身の友達から「プログラミングに絶対向いている」と言われたことがありました。それから3年後にようやく「こういうことか」と納得しました。

Pythonを選んだ理由はインフラについての知識が0の自分たちにとって、最速でWEBアプリをリリースするためにはGoogle App Engineが最適だと判断したためです。当時PythonとJavaが対応しており、私にとって「自然と可読性の高いコードを書くことが出来る」というPythonのイメージが好印象だったことからPythonを選択しました。

人生経験が蓄積されていくアプリがあれば、なりたい職業になる方法がわかったり、自分に似た経験をしてきた人がこの先どのような人生を歩むのか知ることが出来たり、また初対面の人同士でもこのアプリを使えば趣味などの共通の経験を探してくれます。『ユーザーは人生の可能性について広く考えることが出来る』これから作ろうとしているアプリの可能性を考えるととても興奮しました。そして2012年1月からコードを書き始めました。

作り始めて1ヶ月ぐらいして考えました。

Litoryはユーザーをたくさん集めないと価値が生まれないアプリです。おそらく3年は利益が出ないでしょう。それまでをどう生きていくのか考えなくてはいけません。そこでLitoryの開発は中断し、お金を稼ぎやすいものを開発しようということにしました。そこでまたアイディアを出して、家庭教師を紹介するWEBアプリにしようということになりました。AirBnBのホストがWEBで部屋の魅力を伝えるように、僕らが作るサイトで講師たちが自分の教育理念を熱く表現する、そんなサイトにしたいと思いました。

そのアプリの名前は、「中学生や高校生が先生として教えることがあってもいいね」という話があり、「互いに教え合う」という意味を込めて最初はT-eachとしました。そのあと「いろいろな大人が子供に教える」「社会全体で子供の教育を担っていく」という意味を込めて Teach と Social を合わせて T-cial となりました。さらに最後はハイフンを消して「Tcial」となりました。

2012年2月末で深川も坂本も当時勤めていた塾を辞めるつもりでいました。そこで深川と坂本は生活費を安くするためにルームシェアを始めます。深川はプログラミング学べるようゲームアプリ開発が中心の会社に勤めるようになり、坂本は家庭教師を始めました。

深川がお金を稼ぎ、坂本が中心となって開発を進めるという役割分担です。そのころは、家庭教師派遣のWEBアプリを作る→運営しながら小さな実績を積み重ねる→投資家に評価してもらい投資を受ける→フルタイムでアプリ開発に専念する、そんな夢を持って行動していました。

物理的なものづくりに目覚めたのもこのころで、机の上に置ける本棚を自作しました。

僕がゲーム会社でAndroid開発を始めることになり、2月中旬から Javaの勉強を始めました。そして今後仕事で使うJavaの方が得意になるだろうということで 、Tcial.comもJavaで実装しようという話になりました。

3月から坂本を中心としてJavaによるTcial.comの開発がスタートしました。当時、フロント側の実装はGWT(Google Web Toolkit)というAjaxフレームワークなるものを使って開発をしていました。サーバー側はSlim3というGAEに特化した軽量フレームワークを使っていました。

画像のアップロード機能は僕が勉強しながら実装し、その他の会員登録、ログイン、授業レポートや宿題などCRUD系の処理は坂本が実装しました。

10月ごろにはSNSとしてはおおよその機能が揃いました。その段階で一般公開し、運用が開始されました。僕はゲーム会社に朝7時半に出勤し夜9時ごろ帰る生活をしていたので、Tcial.comで僕が開発した機能は少なかったです。

僕は10月にはゲーム会社を辞め、Tcial.comの運営にフルコミットするようになりました。アプリの開発は2013年1月頃までアプリ上で家庭教師の契約を締結できるようにするなどの機能を追加するため開発をしていました。しかしその後学習塾を立ち上げる話になり、開発は中断され、1年後にはサービスを終了することになります。実際に立ち上げた塾は、「個別指導塾Tcial」として今でも坂本が経営しています。

これが、僕らが最初のWEBアプリをリリースするまでに歩んできた道のりです。

人を動かして自分が頭に描いたWEBアプリを実現させる人もいると思います。しかし僕は自分でコードを書いて、プログラミングの楽しさに出会えて良かったと思っています。

1 いいね!
1 いいね!