1
/
5

私が誰にも負けないと言える力

私が誰にも負けないと言える力は、ピンチをチャンスに変える力です。

中学と高校では陸上競技部に所属していました。

小学校の頃から足が速かったということもあり、そこそこの実力はありました。

中学2年のある日、同じ部活の仲間に全国大会について話をされました。

中学陸上競技では、全国大会標準記録というものがあり、このタイムを来ることさえできれば誰でも全国大会に出場することができます。ですが、毎年都道府県でこのタイムを切れる選手は数名しかでないレベルの設定基準なので、そう簡単なものではありません。

しかし、夢をかなえるために努力をすることが好きだった私は、設定タイムというわかりやすい目標が気に入りました。

中学3年になり、全国大会への記録が有効になる2つの大会を目前に控えていた頃です。ある病気にかかり、練習を中断せざるを得ませんでした。

周りの誰しもが、あいつは終わったと思っていました。

しかし、私だけは違いました。

「この状況を乗り越えたら奇跡じゃないか?」

そう思い、退院後必死に走りました。

一度目の標準記録を切る大会では0.4秒ほど足りずに切ることができませんでしたが、

背水の陣で挑んだ二度目の大会では県1位の記録を出し切符を手にすることができました。会場が轟いた空気感を今でも覚えています。

これが、ピンチをチャンスとかえた一つ目の経験です。

 高校に入り、目標は県ではなく全国と変わっていきました。

中学時代の成功があったということもあり、順風満帆にいくと思っていました。

しかし、度重なる病気や怪我により中学の時以上の成績を残すことはできませんでした。周りからの期待と、それに応えることが出来ない自分とのはざまに悩んだ日々でした。

夢と現実との差に苦しんでいたときに、大学受験という別の現実も突きつけられていました。陸上の推薦でいく道などはなく、自力で進路を切り開いていかなければなりませんでした。高校3年生の夏、オープンキャンパスで早稲田大学にいきました。そのとき、この大学にいきたいと強く思ったことを今でも覚えています。陸上ではなく、受験ならば病気や怪我に苦しむことなく勝負できると思い、舵を切りました。

しかし、中高と部活しかしてこなかった自分の学力との差は歴然でした。現役での早稲田受験は全て落ち、浪人することになりました。

将来の見通しがなくつまらない日々を過ごす浪人時代は、多くの人にとっては苦しいものでしょう。しかし私にとっては、陸上での辛さや病気の痛みに比べれば大したものではありませんでした。あの頃の辛さをここで生かすべきだと思い、ピンチをチャンスに変えることが出来ました。

 目標だった大学には入学することが出来ましたが、第一志望学部には1点足りませんでした。ここまで来ることが出来た自分を褒めましたが、わずかに1点届かなかった悔しさは大きいものでした。なので、自分はどこにでもいる量産型大学生にはならないと誓いました。4年間というものを決して無駄にせず、新しいことにたくさんチャレンジしていこうと思いました。講義での学びの中から他の価値観を創造し日常生活へ落とし込むことを考えたり、ベンチャー企業でのインターンを通して、最先端のビジネスは何なのかを学んでいます。希望通りに受験が終わっていたら、今の自分は間違いなくいなかったでしょう。