幼稚園ではない幼稚園①
私が通っていた幼稚園は非常に変わっていた幼稚園だった。
いわゆる一般的な「やさしい先生がいる幼稚園」ではなく「自分のほしいもの、やりたいことは自分で発信しないと怒られる幼稚園」だった。
そのスパルタ教育は強烈で、今の時代であればメディアに取り上げられそうな風変わりな幼稚園だった。
一般的な幼稚園では良く見かける、滑り台やジャングルジム、砂場は一切ない。
あるのは、ただ広い空き地だけ。この幼稚園での遊びかたはこうだ。
「自分の遊びたいものは、自分で作り出す」それだけ。
今思えば、目的や手段を自身で考え、実行する力を身につける事ができるようになったが
入園当初は露頭に迷った。わずか3歳で世の中はすごいと感じた事を今でも鮮明に覚えている。
それまで、一般的な家庭の長女として生まれた為、祖父母にとっても初孫だった事もあり物に不自由する事はなく、おもちゃは常に手元にある環境で、ぬくぬくと3歳まで育っていた。
おままごとをしたくても、何もない。
塗り絵をしたくても、何もない。
お人形遊びをしたくても、何もない。
入園翌日、先生に聞いた。
自分「おもちゃがないんだけど、どうやって遊べばいい?」
先生「どうやったら、その遊びができると思う?」
自分「・・・・・・」
自分「つくるしかない」
おままごとは、外から葉っぱや木、お花をとってきて、ホチキスやセロテープで食器を作った。(お米の代わりに砂利を使った)
木を登る事もざらにあり、毎日手足は傷だらけだった。
塗り絵は白い紙に自分でクレヨンの黒で枠線を書き、その枠線の中をクレヨンで塗る事で塗り絵ができた。
お人形遊びは困ったが、新聞紙を丸めて頭を作り、白い紙に顔を書き、洋服も同様に白い紙にクレヨンで自分の好きな柄の洋服の絵を書き、セロテープでくっつけた。
そのとき感じたのは「他のおもちゃよりも愛着が湧いたこと」に驚いた。
ただ、大事にしすぎてボロボロになった為、日々改良を重ねた結果、徐々にクオリティが上がっていき、終いには、お着替え用の洋服も作るようになった。
このときから、私の中で「ないものは自分で作ればいい」という精神が生まれ、根付いたのであった。