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この街の車と気遣いのはなし

サンフランシスコに暮らして意外!と思ったことは、車が歩行者のことを気にかけてくれることでしょうか。


私は会社の合宿で上海に行ったことがあり、そこでは乗り物に乗っている人のほうがエライ、という印象でした。歩行者信号機のない横断歩道に自分が立ち尽くしていても、基本的に誰も気にかけてくれないのです。

上海にいたときは、まず、渡ろうとしている現地の人の後ろにビッタリくっついて渡るのが安全だと聞いたので、そうしていました。次第に、爆走している車と自分との距離がどのくらいあると、車は程よく減速してくれるかということを掴み、なんとか自分一人の判断で横断歩道が渡れるようになりました。


サンフランシスコはアメリカだし、アメリカって自己主張の国だし、きっと、そういう、一人ひとりの主張によって道を(横断歩道を)切り開いて(渡って)行くのだろう(帰宅するのだろう)と思っていたのです。しかし、交差点で私と車が対面すると、車が私の様子を伺い、減速しはじめ、交差する地点の手前で止まってくれるではないですか。歩行者の存在なんて気にしないくらいスピードをあげている車でも、私が交差点の角でスマホを触っているのを見つければ急ブレーキをかける勢いで止まってくれます。


街並みについて説明すると、このあたりは碁盤目のように区画されていて、道のひとつひとつに名前がついていて、歩行者用道路や自動車用道路はアメリカらしくたっぷりとゆとりがあるのですが、ある交差点から次の交差点までの距離感がすんごい京都、、みたいなかんじなんですね。さらに、高級住宅街が立ち並ぶエリアでは信号機は殆ど無く、ひたすらブロックで綺麗に区画されており、歩行者と自動車との小さなやり取りが多く発生します。


日本だと、信号機が無い、道路が交差する場所に車と出くわした時、自分が道路を横断中でない限りは車の走行が優先されることが多いと思います。歩行者は、車との距離感に余裕がある時を狙って横断し、それに気づいた自動車が減速してもらう、とか。上海の私のいた地区よりも自動車ファーストでないにしろ、歩行者用信号のない場所では自動車が優先される傾向にあると思います。


車が自分の存在に気づいて、ちゃんと止まってくれる。


最初は結構、いい印象をもちましたが、次第にこの、必ず止まってくれる車の思いが重いと感じ始めてきたのです。(!!)

私が歩行者信号機の無い交差点でスマホを触っているときは、大抵道に迷って、Google Mapを開き、スマホをくるくる回しているときだからです。()

また、日本で時々、車が自分に道を譲ってくれると、私は最大限の感謝を示すべく「会釈+ドライバーを見て笑顔+早く車が走れるようにそそくさと道を横断する」という行為をとるのが習慣になっています。

交差点ごとに車が止まってくれると、私は習慣づいたこの3点セットを実行せざるを得なくなります。しかも、道を横断するにしても道の幅が広いので、横を向いて笑いながら走るのが疲れます。


遠い昔、烏丸御池から四条烏丸へ移動するのに、電車は使わずに徒歩で移動していたことを思い出しました。徒歩でだいたい10分で移動できます。下がっていくまでに5つの道を渡る必要がありますが、そのうちのいくつか(あれ、全部かな)は歩行者用信号があったように記憶しています。

私の借りている住まいからメインストリートまでもだいたい5ブロックほどありますが、その全てに自動車用信号も無ければ歩行者用信号も無いのです。大体どのブロックでも車に出くわし、車に道を譲られ、私は京都の2倍以上ある長さの横断歩道を笑いながら走る必要があります。疲れます。


今日は仕事でアラートビューについて話すことがあったのですが、ちょうど、ブロックごとにアラートビューを出されている気分に近いです。「今から優しくしてあげるよ?いい?」って言いながらボタンが「イエス」しかない、みたいな、そういうビューです。

上海では「私は、この流れをかいくぐって、渡る」みたいな、ある種自分のことだけ考えていれば道を渡れる感じだったのだけれど、この街ではこのアラートビューのように、既に待っている存在がいて、その存在に行動を求められているような、そんな感じがします。

言い方がきつくなってしまうのだけれど、アプリの強制アップデートみたいに、「アップデート自体悪いことはないんだけど、なんでそれ勝手にやっといてくれないの」というような、そんな印象もちょっとだけあるかもしれないのです。。


そしてこれをアメリカ出身の同僚にいったら、

「アメリカでは人がいる横断歩道手前で止まるのは法律」と言われ、

友達には

「会釈は通じないだろう」と突っ込まれ、

エンジニアには

「Wi-Fi繋がったときだけアプリのアップデートするように設定変えたらええやん」と情弱を指摘され、

現地の人には

「わざわざ走らなくても大丈夫だよ」と言われたので、

アメリカの文化を重くしているのは、伝わらない自分の謎気遣いとか謎こだわりに原因があることに気づき、ふかく、ふかく、反省したのです。

ちなみに上海の滞在では、最終的には私がトップとなって現地の人を付き従え、横断歩道を渡ることができるようになりました。すごい。鶏口牛後。

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