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自分なりの転職活動

私は幼いころから医療現場で働くことを夢見てきた。

その夢を追いかけ、少々のゴール変更があったが診療放射線技師として仕事をすることができた。

どんな仕事であれ、やるならば人のコピーではなくオリジナルで1番になりたい。という思いで業務に励んできた。

経験は気が付かないうちに積んでいるもので、徐々に回りが見られるようになり自分の意見・考えができて、自分の求める医療・医療従事者としての考えがかたまった。

上え上えという思いで、仕事をしながら通信制大学を卒業し、同時進行で必要だと思われる資格を取得。学会発表の機会もいただきどっぷりと仕事、いや医療に腕を磨いた。

ONLY ONEでありたい気持ちも強かったためがむしゃらに没頭してきた結果、当時県内で同資格を持っている診療放射線技師はほんの数名であり、目標を一つ一つクリアーしている気持ちになった。

私には、同じ診療放射線技師の弟がいる。母は某医療機関で看護部長。そんな医療一家の中の長男であるプレッシャーというか責任感がいつも背中を押してくれた。

念願の管理職となり、徐々に経営にも参加できる環境となった。しかし、壁にぶちあたった・・・。

自分本位ではなく、患者様・職場・スタッフ等の事も考えた意見であってもなかなか実現できない。

自分の考えが正しいと100%言える訳もないからこそ、何度も話し合い何度も考え色々な方向からの意見も取り入れる。それでも実現できないこともしばしば。

診療放射線技師として20年を超え、今の私の結論は・・・。

医療経営を学ぼう。そしてそれを活かした仕事がしたい。その為には、医療コンサルティング会社で働きたい。という思いが日に日に強くなっていった。

そうこうしている時に、世の中はコロナウィルスによって当たり前だった何気ない日常が激変した。

医療の在り方も例外ではなく、今後も変わっていくであろう。この変化のタイミングで学ぶことができたら、医療技術者としての経験を活かしつつ新しい事も取り入れ、今後の保険点数の変化や訪問・在宅の重要性など、考えだしたら止まらないほどの魅力・可能性ばかりが思い浮かぶ。

最初のうちは空に浮かぶ雲のようなもの。理想でしかない。しかし、自分の中で何度も考え、仲間のアドバイスもあり、方向性はがっちり決まっていった。

今まで転職する際、正直困ったことなどなかった。いや、困ることが無いように日ごろから準備してきたからだ。基本的にウェルカムな職場しか経験がなかった。

しかし現実は、年齢45歳。世の中そんなに甘くはない。じゃあどうする?このまま夢で終わらせるのか?そんなことはない。

まず、今できることを考え行動しよう。そして、きっちり頭の中を切り替えようと決めた。今まではベースが診療放射線技師で医療経営は付属的な考えだったが、医療経営がベースの医療技術者になると。

医療コンサルタントの本を買い、同時にTOEICの本、ビジネスマナーの本。その他もろもろ。今ある時間でやれることはすべてやろう。待っているだけで夢は叶えられない。当たり前の話だ。

私は医療技術者なので、ビジネスマンとしての一般常識すら知らない。だったら今、この時間にやるしかない。それが最低限のマナーだと思うし、今やらなきゃいつやるんだ?というレベルの話。

自分がやると言ったらとことんやる、やってみる、やれることは全部。後悔はしたくない、それならやるしかない、まずははじめる。それはきっと大きな一歩に違いない。そんな戯言はさておき、漢なら有言実行あるのみ。

そんな父の背中を子供たちにも見てもらいたい。多くを語るよりそれもまた教育であり、子育てであると思っている。

自分の中でようやく本格的な転職活動第一歩を踏み出したわけです。やる気スイッチON!!!

P.S 息子の部屋のドアに”Time is money”と書いてあった。私の中では、金という感じよりもやりたい仕事ができることに幸せに感じる。楽しく仕事をしたいものだ。