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人の生き死にに寄り添えない会社なんてなくなってしまった方が良い

Photo by Kevin Pastor on Unsplash

数年前、僕が家業に入ったときは本当に雰囲気が悪かった。例えば、僕は入社して数か月後に祖母が亡くなった時、当時はとても休めるような雰囲気もなくて悲しみに暮れる間もなく葬式だけ出てすぐにまた出社したのだけど、ご愁傷様とか、大変だったねとか、そういう労りの言葉をかけられることはほとんどなかったし、それどころか「ゆっくり休めただろう。」と吐き捨てるように言われる事まであった。いくら会社の雰囲気が悪いと言っても限界があるし、こんな人の尊厳を蔑ろにされるような場所でまともに働けるわけがない、というのが当時の僕の怒りで、これは今でも心の奥底で渦巻いているくらい強烈な負の原体験だ。

それからというものの、会社の立て直しをみんなとやっていく中で、僕はとにかくコミュニケーションを大切にしてきたと思う。今では新しく会社に入ってきた人たちが「雰囲気良いですね」といってくれるくらいには風土は変わったし、みんな挨拶とかお礼とかの言葉をすごく大事にして、そういう言葉の積み重ねでみんなの仲も随分と良くなったと思う。

という具合で、半分怒りに任せながら健康的な組織みたいなのを目指してきた節はあるわけなのだけど、一度立ち止まって考えてみると、毎回言葉で感情を正しく伝えないと組織が成立しない状態というのは本当に健康なのか?と思うこともある。実際に他の人から「そういう組織づくりして利益増えるの?仲良しクラブじゃないの?」と指摘されることもある。確かに、「ありがとう」とか「ごめんなさい」って言ったってそこから直接的に利益が生まれるわけではないからね。だけど、良心とか道徳みたいなものが経済性に劣後して良いものではないというのは、自分の心の中で警鐘が鳴ったりもする。「仕事」っていうとどうしてもドラスティックな労働感があるけれど、生きてれば色んなライフイベントがある楽しいことも悲しいこともみんなで共有して仲良く楽しく励まし合っていくことも仕事に内包されるような働き方が、僕は好きだなあと思うし、その結果として良いものが生まれて、利益になるのが理想的だなあ。