私の来歴
ここでは、私の人となりを理解していただくために、小学生時代からの私の来歴を書いていく。
【ゲームに明け暮れた小学生時代】
ロックマンというゲームに出会い、ひたすらそればかりで遊ぶインドア少年だった。
通信簿によると「自分の好きなことに熱中し、そのことを楽しく友達に話している。でも、そそっかしいところは治そうね」との評価。
ゲームが趣味だった関係で、その手のショップにもよく通っていた。近所のハチスケというショップでゲームを購入した際、500円引のクーポンをもらう。
普段ゲームを眺めたり購入したりする際は、近所のイトーヨーカドーのゲームコーナーを利用していたし、そこで買った時はクーポンなんか貰えなかったため、少し新鮮な気分になった。
「ハチスケは小さなショップだし、近くにヨーカドーもあるから、お客を引っ張ってこようとこのクーポンを使ったんだ」
そう思い至ってから「商売をするために色々な工夫を凝らすのは面白そうだ」と考える様に。そこで将来の夢はゲームショップを開いて、色々な販売戦略を展開しようと考える様になる。
【クラスの人気者になりたかった中学生時代】
中学は柔道部に所属。筋トレ大好きな顧問のもと、柔道とトレーニングに明け暮れる。
当時の得意技は内股、払腰。左利きで、フェイントなどを活用して相手を倒したり、きちんと組む前から奇襲をかけたりと、頭脳プレイ(笑)が得意だった。
街の小さな大会ではあるが2回準優勝をしたり、それなりの成果も出せた様に思う。
柔道とトレーニングによって、筋肉とともに根拠のない自信が身を包み始めた頃、世の中のお笑いブームにのっかり、クラスのみんなの前で昨日あたりに覚えたお笑いネタの物真似を披露することにハマっていた。
また、当時は「好青年であれ」というモットーを勝手に掲げており、人を明るくしたり、気落ちしている人に声をかけたり、掃除片付けなどの雑事を”快く”引き受けることを意識していた。
通信簿には「ユーモラスで人を楽しませることができ、気遣いのできる人です。周囲の気落ちしている人に声をかけている場面を何度も見ました。」と書かれており、一定の成果があると思いたいところ。
【苦難の高校時代】
中学から引き続き柔道部に所属。身長が伸び悩み、柔道のスタイルや得意技の変更を余儀なくされる。どっしり構えた柔道から、すばしっこく相手の懐に潜り込む柔道に。
しかし、そもそも中学時代から、その様なスタイルを自分が行うことに苦手意識があった。
本来であれば、得意を伸ばしつつ苦手を克服しなければならないと生き残れないタイミングで「苦手を克服する」に全振りする3年間に。
2年生の時、3年の先輩たちに混じって春の大会に出場。準々決勝で敗れてしまってからの3位決定戦の時である。1−2と、敗勢のまま5人中4番目の自分の番が来る。
相手は100キロほどの男だった。相手の攻めを潰しつつ、内股をするそぶりを見せる。
相手も反応して、防御の体勢を取ろうとしたところにフェイントを仕掛ける。反対側に揺さぶった足払いでポイントを先取し、そのまま勝利へ。
喜びも束の間、最終戦で先輩が負け、そのまま4位で終わるというオチがつく。
【研究に火がついた大学時代】
大学の専攻は、マーケティングを選択。販促をやりたいという思いをずっと持っていたからだ。2年次に広告論の教授のゼミに入る。
3年次に、博報堂主催で、複数大学の学生が行う意識調査「Future」に参加。「大学生の友人関係」というテーマで1年をかけて調査。
調査時には、授業が終わった後毎日集まり、終電まで会議をしながら数字の整理・解釈、論理の構築を進めていった。
私も会議に参加しつつ議論を戦わせるのはもちろん、会議に使う場所の手配や資料、作業に必要なPCやプロジェクターの準備などを行った。作業する人間がスムーズに進行できる様に場を整えていった。
yahooのトップニュース、朝日新聞デジタルに掲載される。
また、本業の勉強にも力を入れた。マーケティングの学術書を読むのにもはまり、暇を見つけては図書館に通い、本を読みあさっていった。
読んだ本は300冊ほど。長期の休みには、15冊ほど本を借り勉強をしていた。
3年次の研究にて、カーシェアリングのサービスモデルをマーケティング的に分析。発表は学部内の合同発表のみだったので、何か賞があったわけではないが、教授からの評価は上々だった。
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