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伝え方を学んだ高校の部活

Photo by Marius Masalar on Unsplash

高校生で吹奏楽に入部。
中学での吹奏楽経験がある人が多く、高校から初心者で入る私は少数派だった。
人気のある楽器は経験者が優先され、
余っていて希望者がいないという理由でコントラバスの担当になった。

そこから弦楽器、低音楽器の魅力に取りつかれる。
低音楽器はもともと人数が少ないので、通常は「トランペットパート」や「サックスパート」で楽器ごとに分かれるなか、私達は「金管低音部」という低音楽器寄せ集めパートだった。

ファゴット、チューバ、ユーフォニウム。吹奏楽の根幹を支える様々な低音楽器。
毎日皆で同じ教室で練習する。バラバラの楽器。
他のパートは人間関係でもめることも多かったと聞いたが、バラバラの楽器を持つ私達のパートは不思議と仲が良かった。

私の高校はコントラバスは毎回学年に1人だけ担当するのが常だった。
3年生に1人、2年生に1人、そして1年生の私。
初心者で、かつ同じ学年の子がいない状況だったせいか2年生の先輩が
ものすごくかわいがってくれた。

先輩は吹奏楽という文化部には珍しい人種だった。
派手で、いつも先生に反抗している問題児で、スカートは常に短くて。
厳しめの校則が課せられていた私の高校では異端児であり、周りからちょっと恐れられたり疎まれたり、ある意味で目立っていた。

私はと言えば絵にかいたような地味でおとなしい生徒だった。
真面目を顔にかいたような、人となかなか目を合わせて話せないような。
でも先輩は周りからの評価も、私の地味さも全く気にせずぶち壊していくような人で、
ただただまっすぐに
私が頑張ればものすごく褒めてくれて、間違ったことをしたらがっつり叱られた。

高校2年生という年齢で見た目や雰囲気にとらわれず
「冴えない地味キャラな私」をあそこまで対等に、正当に扱えた人は先輩くらいだったように思う。
衝撃を受けた。

先輩のパワーに巻き込まれながら一緒にいるうちに、
中学生までまったく友達ができなかった私に、気づけば部活内での友達が沢山できていた。

初心者で飲み込みの悪い私へ教える姿勢も高校生のそれではなかった。
手書きの練習マニュアル書を作成し、一週間の私特別の練習メニューを組み、毎日すごい時間を使ってこまめに私の練習をみてくれた。

私は初心者で飲み込みが悪いほうだったが必死に努力した。
努力できる環境、努力したいと思える環境を先輩が作ってくれていた。


その後の人生で私が人に何かを教えたい、教えなくてはならない「先輩」の立場になった時は
いつでもこの先輩のことを思い出す。
どの仕事をしても後輩が慕ってくれることが多かった。
それは高校時のこの先輩のおかげだと本当に心から思う。

私は彼女の存在を生涯忘れることはないし、彼女が若干高校2年生で私にしてくれたことの大きさや尊さは大人になればなるほどすごいことだったと思えてくる。

仕事をする上で「伝え方」の重要性を何度も何度も実感してきた。
同じことを伝えるのでも一歩間違えれば、伝え方、言葉の選び方、そもそもの先入観、様々なものが邪魔してねじれてしまうことが多い。それが「仕事」であればなおさらこじれてしまう。
学生の時のようにごめんねと素直に謝ることで解決するようなものではなくなってしまう。

だからこそ高校の時に先輩のような人に出会えた私は幸運で
必死に音楽とコントラバスという楽器と向き合ったあの3年間の経験は、
仕事をする上で大切な記録や指針として残っている。