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私の履歴書(仮)

はじめまして。山田貴大(やまだ たかひろ)と申します。フォーマットの履歴書は好きではないので、以下につらつらと私の人生の履歴を書いていこうと思います。読みにくかったらごめんなさい。
 現在、慶応大学の法学部政治学科の3年生です。ただ、3年生とはいっても、浪人と仮面浪人をしているため、既にに23歳です。人よりは遅れていると言えるでしょう。そもそも大学に行く予定のなかった私は、高校3年生の時の偏差値は40を下回っており(確か38)、大学に行きたいと思い立って現役のときに受験した大学はすべて不合格でした。浪人した結果、立教大学には合格したのですが第一志望の慶應には合格できず、悔しかったです。立教での生活は悪いものではありませんでしたが、どうしても受験結果に納得ができず、秋頃に再度受験勉強を再開し、合格することができました。二度の失敗はとても悲しく悩ましいものでしたが、このときにであった哲学書は今でも宝物です。人生についてあれ程考えた時期はなかったし、これからもないと思います。受験勉強という壁がなければ出会わなかったことを考えると、挑戦を決意して良かったなと思っております。
 そもそもなぜ私が慶應を目指したのかといえば、早稲田卒の父親の存在が大きいです。もちろん慶應はブランドがあり、就職に有利ということはあります。しかし、実家が会社を経営していて就職先が決まっていた私には必要ないものでした。父親と議論をする際に「お前には学がないんだから」といわれることが悔しかった。それが最も大きな理由と言えるでしょう。(父の金で勉強をさせてもらいましたから父親に感謝と尊敬はしております。)
 この事例からもわかるように、私には反骨心が強いです。かなり論理的な説明を求める傾向にあって、自分が納得できるまで対外的には譲っても、対内的に譲ることはありえないでしょう。宗教についてもそうでした。私以外の家族はある新興宗教を信じているのですが、あるときに教祖の論理的矛盾に気づき、議論をしたことがあります。結局その宗教をやめることはできませんでしたが、もう既に信じておりません。就職をして自立した後にこっそりやめようかと考えております。
 ただ、論理が重要だと言っても世の中はそれだけではうまくいかないことはわかっています。とくに社会構造などは不満を抱いたところでどうしようもないです。例えば、就職をする際に、学歴や年齢を書いただけの履歴書では自分を図ることはできないことは確かであり不満を抱いている学生は大勢いると思いますが、新卒が履歴書を書かずに日本の企業に務めることは不可能と言っていいでしょう。どうしても書きたくないのであれば、就職を諦めるしかありません。そうはいっても書きたくない。。。。
 企業の皆様方、こんな私ではありますが、何卒よろしくお願いいたします。