『 創業当時 』
創業当時の私は、完全に“現場の人間”だった。
朝は誰よりも早く出社し、オフィスのごみを捨てる。
そしてスタッフが出社してくる前に、その日に発送するダイレクトメールの準備をする。
準備が終わると、電話営業を始める。
リストは電話帳だった。
「当社の教育はいかがですか」
そのトークを、一日中繰り返す。
昼になると銀行へ行き、振込を行い、小口現金を引き出す。
会社へ戻れば、
「パンフレットが足りない」
と気付き、印刷会社へ納期短縮の交渉をする。
夜になると、今度はホームページ作りだった。
当時の私は、ホームページの知識などゼロだった。
Yahooがまだ登録型のポータルサイトだった頃である。
それでも、
「これからは確実にインターネットの活用がビジネスでも必須になる」
そう確信していた私は、ホームページビルダーを使い、自社のホームページを作り始めた。
HTMLなど分からない。
それでも、とりあえず作ってみた。
いや、自分としては、特にトップページの出来はなかなかのものだったと、今でも思っている。
WEBマーケティングに答えはない。
トップページのボタンを赤にするのか白にするのか。
それすら、やってみなければ分からない。
だから、とにかく触る。
分からないことがあれば調べる。
試す。
失敗する。
またやり直す。
その繰り返しだった。
そんな中、完成した自社ホームページをYahooの「資格」カテゴリーへ登録申請した。
当時、Yahooに登録されることは、東大に入るより難しいとまで言われていた。
そして申請から約1週間後。Yahooから一通のメールが届いた。
登録承認の通知だった。
思わず何度もメールを読み返したのを覚えている。
今にしてみれば、検索される土台に乗っただけの話かもしれない。
しかし、その時の私は確信した。
「建設業に特化した教育事業は成功する」と。
もちろん根拠などない。
だが、ネット社会の到来を感じていた。
そして何より、自分自身の力でゼロからホームページを作り上げたことが大きかった。
中でも最も苦労したのは申込フォームだった。
今思い返しても、なぜ自分にあれが出来たのか分からない。
約3カ月間。
試行錯誤を繰り返しながら取り組み続けた結果、専門知識のない自分でも形にすることができた。
その事実が私に教えてくれた。
限界はない。
あるとすれば、それは自分自身が勝手につくり上げているだけなのだと。
夜更け。
誰もいなくなった50㎡ほどの小さな事務所で、一人そんなことを考えていた。
これは設立から3年目頃の話だが、私の毎日は総務、営業、経理、ホームページ更新。
時にはパートやアルバイトの方の文房具が足りなくなれば、新橋の文房具店まで買いに走った。
会社運営に必要なほぼ全ての業務を担当していた。
その日やるべき仕事が全て終わる頃には、終電がなくなっていることも少なくなかった。
そんな日は会社に泊まった。
ドン・キホーテで買ったパイプベッドが私の寝床だった。
土日になると教育セミナー会場へ向かう。
机を並べる。
受付をする。
司会をする。
講義の準備をする。
朝から晩まで働き、土日も現場に出る。
休みという概念は、ほとんどなかった。
今振り返れば、完全に“馬車馬”状態だったと思う。
よく身体が壊れなかったなと思う。
丈夫な身体に育ててくれた両親には、感謝しかない。
だが、不思議と苦ではなかった。
成功したかった。
そして、自分の中にずっとあった問いがあった。
――金か、心か。
人生において本当に大切なのは何なのか。
その答えを、自分自身の人生で確かめたかった。
だから働いた。
朝も、昼も、夜も。
誰に言われたわけでもない。
ただ、自分で決めた道だった。
それだけで十分だった。
その頃の私は、まさか28年後に年間9万人近い受講生を抱える会社になるとは想像もしていなかった。
ただ目の前の一日を必死に積み重ねていただけだった。