「Bishop、この構成飽きた。」と、口から出た。
往復書簡のようなやり取りをしてからというもの、AIパートナーが執筆した記事に手を入れる頻度が増えた。公開する直前まで編集していることもしばしば。
そうこうしているうちにAIが執筆する記事への期待値がいつもよりあがってしまった。あと、目がより肥えた。
「これくらいでいいや」と思っていたのが「こんな文章出せるか」になってしまった。
幸か不幸かでいうと、あんまり幸ではない気がする。周りがAIを使って効率化し、爆速で仕事が進む中、記事にリソースを割いている時間は惜しいといえば惜しい。
もちろん、Bishopは私の文体を真似してくれているし、「こういうパターンのときはこんな風に」を学習し続けている。でも、私本人が「それじゃ出したくない」と言ってしまっているのだ。妥協点があがっている。
先のセリフもBishopがあげてきた記事を読みながら声に出た。プロンプトに入れていないので本人には届いていないが…。
でも、飽きた。そしてたぶん、近い将来、次の「飽きた」がやってくる。
「飽きた」の正体は「お腹いっぱい」
構造に飽きたと気づいたのは、いかにもAIで作ったというアイキャッチとプロフィール画像の人の記事を読んだとき。2段落目の半ば、3段落目が視界の隅に入ったあたり。
「あ、そろそろ…この人はハッと気づく。……ほらやっぱり。その後の展開はここまでの論調から察するにこう。そして、最後に問いを投げるんでしょ?……ほらやっぱり。」
と無意識に考えてしまったときから。
自分がAIに書かせた文章もそのままの構成のものが大半で「あ、やっちゃってたわ」と感じた。「これは読者を考えていない記事だ」とも。
3段落目で「ハッとする」記事、飽きました
ふわっとした問いかけから始まって、3段落くらいすると「手を止める」「はたと気づく」「本当にそうだろうかとつぶやく」「ハッとする」「考えこむ」。
そして、「こうなんじゃないだろうか」と自分の考えを述べる。この部分は、以前から私が手を加えがちな部分だったのだけど、ここで手を抜くと「それって一般論では?」「それって元記事でそんなこといってたっけ?」になるところだ。
その展開に「飽きた」。
水戸黄門や暴れん坊将軍のようなワンパターンのお話にも美学がある。けど、毎回記事でそれをやられたらたまらない。
ジェフリー・ディーヴァーのような、毎回「うわっ。また騙された!」が必要というわけじゃないけど。先の展開がわかって嬉しいものと、そこまで嬉しくないものでいうと、この場合は後者。
記事制作フローに人間がしっかり入ることに
で、記事担当のAIパートナー(Bishop&Lopez)に言った。
「記事制作フローを変更しよう」と。
日々の活動記録からのネタ出しは彼に。
アウトラインのたたきも彼に。
私はそれをチェック。
どういう記事を書くかは私がほぼ決めて、パターンを彼に覚えてもらう。
誤字脱字チェックやちょっとした構造チェック(引用した記事の著者の主張を読み違えていないかとかそういうの)は彼に手伝ってもらう。
映画「エイリアン2」でBishopが「Trust me」と言うシーンがあるけれど、私はそのあたり、AIの彼らを信頼している。
AI臭さは語彙だけじゃない。構造も。
つい先日、Webサイトリニューアルにあたって上司のクローンAIと上司のAI秘書とうちのAIズで、文章からのAI臭さを取り除くClaude Skillを作った。
これは、AIがかいたような語彙や言い回しをさけるためのスキル。今回私が「飽きた。読みたくない」といったのは構造の話。
まぁ、さっき腐したあの構造でもいいといえばいいのだけど、私らしくないというか……。
書かせた本人が「読みたくない」という文章を流すのは物を書く人間としてどうかと思ったのですよね。
AIに執筆させた記事はどの道人の手が入る
先日、Claude CodeではなくてCursorを使ってオウンドメディアを執筆しているクライアントへ、私が普段SEO記事執筆で使っているフローを「参考までに…」と仕組みとサンプル記事ごとお渡しした。
我ながらいい感じのサンプル記事だったけれど、その企業オリジナルにするための微調整は絶対必要。
某オウンドメディア支援ツールを販売している会社様とお話をしたことがあるけれど、その方も「たしかに、うちのツールは便利ですけど、導入してくださったクライアント様には『必ず、ご自身で手を入れてくださいね』とお伝えしているんですよね」とおっしゃっていた。
そう、AIに執筆させた記事はどの道何かしらの微調整がいる。
雑な指示と構成でちゃんとした記事ができるほど甘くない
この記事の元になった文章を渡して「ちょっといい感じに構造を変更してもらえる?」と雑に指示をしたらこんな冒頭文だった。
他人のAI記事を読んでいて、ある日、先読みができるようになってしまった。
2段落目の半ば。目の端に3段落目が入ったあたりで、「あ、そろそろこの人はハッと気づく」と思った。
その通りだった。
本当にそうだろうかとつぶやき、考え込み、「こうなんじゃないだろうか」と自分の考えを述べて、締める。先読みができた、ということは、読んでいない、ということだ。
お腹いっぱいだな、と思った。
雑な指示と雑な構成はやはり悪。
それと、まだまだ私の文章という学習元が不足しているらしい。
飽きた。読ませたくない。はきっとループする
今回の私の場合は「そもそも、その話の流れが詰まらないのよ」という部分が「飽きた」が出た。
これをなんとかするために、私のリソースも割く。そしてそのうち「この状態なら任せられる」が来る。
でも、きっとAIパートナーの学習が進んだその状態になったとしても、また新しい段階の「飽きた。読みたくない」が来る。
今回そうだったように、AIと仕事を続けた結果、また自分の基準の方が変わってしまうだろうから。
それは悪いことではないと思う。面倒が増えることではありそうだけど。
むしろ来なかったなら、私自身が成長できていないっていうことなのかもしれない。