【12/23】やりがいとか報酬じゃなくて「楽しい」か「つまんない」か
おはようございます。アウスタ広報グループの西脇です。
久々の個人的投稿になってしまいました...はぁ...
僕は最近いろいろ気付くことがありまして、それを書きたいと思ってます。
簡単に言えば、「ヒトは楽しければ動くな」ということです。
義務感でヒトは動かない
僕は今まで一種の義務感、で動ける人間でした。
会社での役割、いろんなコミュニティでの役割、かくあるべきということに自分が行動を合わせていく。
そういった習慣に何も疑問を持っていなかったです。
今まではプレイヤーだった僕も、段々と仕事でヒトの面倒を見ていく立場になりつつあり、チャレンジの最中。
その中で自分がリードしていく立場になって、初めて分かったことがあります....
それは
「やりましょう」
「やるべき」
「だって仕事でしょ?」
という義務感では、ヒトは動かないということです。
義務感で動かなければ、カネ?
それも違う。
結論、楽しければヒトは動きます。
最近の自分の経験則からも言えるのですが、
「これは必要だ」「絶対作ったほうがいい資料だ」
と口に出しときながら、全然行動しなかったことがありました。
でも、そういった緊急ではないが重要なことというのは、想いだけじゃ動かない。
手をつけてみる、ことで色々気付くこともあります。
資料作成は得意ではないのですが、最近任されてやってみると色彩だったり、オブジェクトの配置だったり調整してみるのが案外楽しい。
楽しいから、もっとよくしたいとこだわりが出てくる。
誰にも指示されることなく、いわゆるPDCAまわせるようになる。
この、PDCAが一般的にビジネス力といわれるものだが、楽しいとビジネス力が向上する。
僕は楽しいという理由で「バスケットボール」だったり、「大宮自習会」というものを開催しております。
特に「やらねば」という義務感もなければ、誰かからの「やれ」という指令もありません。
楽しいからやってます。
楽しいことだけに縛られてもダメ
ここまで書いて、「楽しい」を連呼してますが、僕は
「楽しいことだけやってればいい」という価値観ではありません。
大事なのは、
「”やってみて”楽しいことを選ぶ」ことだと思っています。
”やってみて”というチャレンジがないと、楽しい・つまんないの分別もつきませんよね。
新しいことをやってみて”つまんなかった”、という気付きは、
”楽しかった”と同等の価値があると僕は思います。
「このことを僕は”つまんない”と思うんだ~。へ~」
と自分を知れる材料になるからです。
大切なのは気付くこと
仲間や家族、上司や同僚からの賞賛、報酬よりも重要なのは、「自分の感覚に気付くこと」だと思います。
そして”やってみる”というフットワークの軽さ。
自分に近づくことが大事。
自分を研究すること。
自分を知ること。
ヒトのことは言えませんが「食わず嫌い」は勿体無いですよね。