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コロナ、第5類で思うこと。

最近、人の生と死について考えることが多い。当然、コロナ下において、多くの人々が、亡くなった。その中で、昭和生まれの私は、何故か昔の昭和時代の頃の、私が生きていた時代だが、その時代を良く思い出した。どのような時系列かはわからないが、特に懐かしさというより、大変な時代を思い出した。まだ、今より物がなく、物質的には、不自由していた時代である。日本において高度成長期時代のそれである。やはり、死の存在が身近で、その話題が身近にあった。今は、情報も昔より得られやすく、そのような話題は、しなくとも、当然、得られるし、ある。故に、身近な話題の中では、忌み嫌われるということでなく、普通のこととして、話題にものぼらない。当然コロナ下では、触れたくないものとして、なかなか話題にならない。あまりに近すぎても、話題にのぼらないのでなかろうかとも思われる。誰も、死にたくないのが本音であると、個人的には思う。社会問題の1つとして、自傷行為というものがあるが、実の際としては、良く言われているのは、SOSであるということである。当の本人としては、何がと思うかもしれない場面もあるが、実際は、そうであって欲しいと思いたい。この記事を街中のカフェで書いているが、古き良き時代とは違う死の近さがあるのかもしれないという感触である。人が集う、ただの集団心理とは違う、もう少し物語的なものに浸れるそんな時間がある事がこの時代にとって、救いなのかもしれない。そんな事を、コロナが第5類になり、新緑が燃えるこの5月に、単なるつぶやきなのかもしれないが、ふと思った。