高校時代、僕はブルーハーツに憧れたバンド少年だった。
勉強よりもギター。進路よりも音楽。華やかな学歴も、計画されたキャリアも、何もなかった。でも今振り返ると、そのまっさらな状態から自分で考えて動いてきたことが、今の自分の全ての土台になっていると思う。
バイトと夜間専門学校
高校を卒業して、まずトラックに乗った。1級建築士だった父の背中を見て建築士を目指していたから、専門学校の学費を自分で稼ぐためだ。1年後、建築専門学校の二部に入学。昼間は都市計画を専門とするコンサルティング事務所で働いた。
クライアントは都市整備公団や大手デベロッパー。大学教授や学識経験者とチームを組んで、都市開発の調査報告書をつくる仕事だ。小さな事務所で、自分でなんでもやらないといけない環境だった。
ここで学んだのは「すごい人たちの知識や考え方を、どうやって自分のものにするか」という技術だ。これは今も自分の仕事スタイルの根っこにある。
ITバブルと、一冊の本
その後、会計事務所に転職した。数字が好きになっていたし、税理士を目指してみようかという気持ちもあった。
ちょうどその頃、ITバブルの波に乗って株で大きく儲けた。でもバブルが弾けて、儲けは一瞬にして吹き飛んだ。
その時に出会ったのが板倉雄一郎さんの言葉だった。「ゼロサムゲームではなく、本当に良いものを作って社会に価値を届けることが仕事の本質だ」——この言葉が、自分の仕事観を根本から変えた。
外から見ているだけでは、会社は良くできない
会計事務所の仕事は楽しかった。いろんな業界や会社のことが知れるし、素晴らしい社長とも仲良くなれる。数字を使ってクライアントにアドバイスをして、実際に改善につながることもあった。
でも、ある違和感がずっとあった。
経営者でもない自分が、クライアントにアドバイスをしている。「おかしくないか?」「外から見ているだけでは、会社は本当に良くできない」——その確信が強くなっていった。内側に入って、当事者として動かなければ意味がない。
製造メーカーでの修羅場
そう思って飛び込んだのが、上場を目指していた製造メーカーだった。売上は30億→50億→70億→90億→100億と急成長していた。
証券会社・監査法人と上場準備を進め、ベンチャーキャピタルからの3億円調達を責任者として推進した。中国3拠点への進出も手がけた。
でも順風満帆ではなかった。コスト競争が激化して事業撤退を余儀なくされ、中国のパートナーとの国際訴訟、VCからの出資返還請求訴訟——これを全部、自分で対応した。
修羅場と呼べばそうかもしれない。でも当時はただ、目の前のことをやっていただけだ。
なぜオンテックを選んだか
40歳を機に転職を決意した時、複数のオファーをいただいた。でも選んだのはオンテックだった。
50年かけて積み上げた技術と、大企業水準の財務基盤。そして西山社長と二人三脚で経営を作っていけるという確信。これまでの経験が最も社会の役に立てる場所だと思った。
「社会に本物の価値を届けることが、仕事の本質だ」——板倉さんの言葉と出会ってから20年以上経った今も、この言葉が自分の仕事の根っこにある。