2022年4月、18年勤めた医療機器メーカーを辞めました。
循環器の専門営業として、国内有数の不整脈拠点病院を担当していました。最後の2年は課長として群馬・新潟・長野の3県、年商約5億円を管理し、部下4名の育成も担当していました。数字は悪くありませんでした。2022年度は前期比130%、計画比121%で着地しています。
それでも辞めました。次に何をするかは、正直まったく決まっていませんでした。
始まりは、知人からの一言でした
退職して間もない頃、知人であるスノーボードブランドの代表から、こう声をかけてもらいました。
「YouTube、手伝ってくれない?」
動画の経験はゼロでした。撮影もしたことがなければ、編集ソフトを開いたこともありません。それでも「やります」と答えました。断る理由が思いつかなかった、というのが正直なところです。
そこからオンラインスクールに入り、動画編集を一から学び始めました。40歳を過ぎてからの学び直しです。同期には20代が多く、最初はツールの操作を覚えるだけで精一杯でした。
最初の受託は、医療でした
学び始めてしばらくして、眼科と歯科の動画編集を受託しました。前職で18年間見てきた世界です。医療機器の営業として、毎日クリニックや病院に出入りしていました。
ここで気づいたことがあります。編集技術そのものより、「この院長が何を伝えたいのか」を聞き出せることの方が、成果に直結するということです。
営業時代、私の仕事は製品を売ることではありませんでした。医師の困りごとを聞き出し、まだ言語化されていない課題を先に見つけることでした。その力が、そのまま動画制作に効きました。
4年で、1,000本を超えました
目の前のお客様の要望に応え続けているうちに、気づけば制作本数は累計1,000本を超え、支援したアカウントは30社以上になっていました。3年以上ご一緒しているクライアントも複数あります。
数字だけ並べると順調に見えるかもしれませんが、実際は「これができます」と言えるものを一つずつ増やしてきただけです。編集ができるようになったら台本を書き、台本が書けるようになったら撮影に行き、撮影ができるようになったらサムネイルを作り、分析して改善提案をするという順番でした。
この4年で積み上げたものは、技術というより「引き受けた仕事を、期待より少し上で返す」という習慣だったと思っています。