やりたいことのなかった大学生が今振り返って感じていること ー僕がvery50と歩んだ10年
今回は、very50副代表・望さんにインタビューしました。大学1年時はやりたいこともなく、”くすぶっていた”という望さん。どんな経緯でvery50と出会い、教育へのパッションを育てていったのか。そしてvery50で10年過ごした結果、何を感じているのか。在籍10年の節目に、自身とvery50のこれまでを振り返ります。
きっかけはオオサンショウウオ
―大学生の時はどういう学生でしたか。
大学1年生の時は、簡単に言うと“くすぶってる学生”っていう感じでした。そんなに何かに一生懸命になるわけじゃないし、逆に何かに一生懸命になっている人たちを否定的に見ていた部分もあって。フットサルサークルに入ってたんですけど、サークル棟に入り浸るほど好きではない。学校全体に最小限の力で単位を取るのがいいっていう空気感もあって、出席回数が成績に反映される単位は全部落としました。大学や高校時代の友達と遊びながら、ふわふわ過ごした1年でした。
―学校生活の転機は?
2年生に上がるときに、2年生でも参加できるゼミ型の授業に参加したんです。統計学の先生が主催するゼミで、日経の為替運用コンテストに出るという内容のものでした。僕が1年生の時に否定していた“意識高い系”だったこともあって、割と迷ったんですが、まあ参加してみるか、みたいな気持ちで。当時あまり自覚はしてなかったですけど、多分あまりにも熱量を向けられるものがなくて、そこから抜け出したかったんでしょうね。
そこで同じグループになった友達の1人が、グラミン銀行のインターンに参加するような“意識高い”に振り切ってる人で、その友達にvery50のMoGに誘われたんです。
―面白そうだと思ってMoGへの参加を決めた?
いえ、今でもすごく覚えてるんですが、その時の紹介のされ方が、マッキンゼーで働いてたすごい面白い人が運営してるNPOあるから行ってみてよ、みたいな感じで。マッキンゼーっていわゆる“意識高い系”じゃないですか。あんまり印象が良くなかったんですけど、その友達に1回行ったら分かるからって熱望されて、とりあえず説明会に参加することにしたんです。
説明会はオフィスであったんですが、薄暗い廊下の奥にある部屋で、当時、何か怪しいなと思って、正直、扉を開けるのをためらいました。それで開けて入ったら、代表の菅谷と1対1の説明会で、なんだこれ、って思いながら始まったのを覚えてます。
―話を聞いてみてどうでしたか?
インドネシアに行くMoGの説明会だったんですが、ほぼオオサンショウウオの話しかしてませんでした。説明会の前に菅谷がやったMoGが鳥取でオオサンショウウオを守るという内容だったんですが、僕が1年生の時にサークル以外で時間を使ってたのが、カエル学っていうゼミで。日本爬虫両棲類学会とかのバイトもやっていて、ちょうどそのバイトに参加した直後だったので、爬虫類とか両生類とか好きなんです、っていう話から、ほぼほぼ説明会がオオサンショウウオの話になって。MoGとかマッキンゼーとかの話はよく分からなかったけど、この人めっちゃいい人、面白い人だって思って、単純にその時間が楽しかったし、当時新興国としてインドネシアが注目されていたのもあって、MoGに参加することにしました。
「社会を変える」熱量を感じたMoG
―大学2年生の時に参加したMoG。11日間のインドネシア滞在では、ゴミ問題に取り組むローカル企業の支援がテーマでした。
6月くらいからプロジェクトを始めて、8月に現地に行きました。参加者は自分を入れて7人。プロジェクトのテーマは、インドネシアのチサロパ村(※首都ジャカルタから車で6時間)でゴミ問題解決のため活動しているローカル企業をなんとかせよ、という漠然としたお題でした。その村の住民にゴミについての知識がなかったので、燃やすとダイオキシンが発生するゴミが道端で燃やされていたり、ポイ捨てされたプラスチックゴミが川に大量に堆積したりといった問題が発生していました。そこでこの企業は、住民がゴミを集めて持ってきたらパーム油や砂糖と交換してあげて、その集めたゴミを再利用した財布などの小物を村の外で売って外貨を稼ぐっていうサービスをしてたんです。
日本での準備期間中は、数日に1回大塚に集まって、みんなでアイデアを出し合いました。ただ、当時の自分は分かっていませんでしたが、結局、事業のミッションとビジョンを作るのって、事業をしている当事者がいない限り、ただの青春語り場みたいになってしまう。無限に語り合ってただけだったなって振り返ると思います。僕は初めてのプロジェクトだったので、順調なのかよく分からないけど、プロジェクトに慣れてた他のメンバーたちが進めてる顔つきだし多分順調なんだろう、って思いながらやってました。
―実際、現地に行ってみてどうでしたか?
初日に菅谷さんから、え、お前らがやってきたことゴミじゃね、って言われて、完全に無に帰しました。その後は11日間の滞在中、4時間眠れた日ってのはほぼなかった。プロジェクトって、まず社長とかリーダーがいて、そのリーダーが自身のビジョンを元に戦略を立てた中で切り出されるプランがあって、それに対して答えを出すように動いていく。けど、その時の菅谷はそもそものローカル企業の社長のビジョンに対して、「こんなビジョンしょぼい」、「もっと世界を変えるすごい事例になれ」、「すごいビジネス作れるじゃん」っていうところから始まった。そうすると、この社長の目線が上がる。そうすると、そもそもなぜこの会社があるのか、なぜこのビジネスが存在しているのかが変わる。そうすると、それまで準備してたプロジェクトの意味がなくなる、という感じで、正直もう訳分かんなかったです。毎日朝の7、8時から夜の3、4時まで、社長との行き先のないディスカッションに頑張って参加する、という感じでした。
―MoGを通じて感じたことは何ですか?
菅谷と社会起業家2人のタッグの、社会を変えるっていう熱量と、純粋に何かに向けて一生懸命やるということの迫力に圧倒されました。その上で、社会を変えることは本当に難しいんだと肌で感じられたことは大きな学びでした。
みんな4時間くらいしか寝ていない中、社長のニーナさんは、ムスリムのお祈りの時間とかもあってさらに時間が限られているのに、前日のディスカッションの宿題に対して、翌日ちゃんと答えを用意してきている。ディスカッションの間も、菅谷さんが熱く訴えるのに対して一生懸命応えようとする。それが10日近く続くと、やっぱり社長の問題解決への想いを感じたし、またそこに連れて行く菅谷の迫力は凄まじいものがありました。自分も、それまで中高の部活や大学受験には打ち込みましたが、それ以上に熱くなれた時間でしたね。人生の中で、熱いものを持っていないともったいないっていう感覚が身に染みた体験だったと思います。
「営業はうんこでも売る」
―3年次にもう一度MoGに参加した後、就職活動を始めた望さん。最初の内定は大手のインターネット関連会社だったといいます。
当時、早期に募集を始めていた企業で、同級生に誘われて受けたら、そのまま内定が出ました。人事の方がすごく魅力的で、そのまま就職することも考えましたが、自分が好きなペット関係は受けたいなと思って数社受けました。そこで日本のメーカーから内定をいただいて。東南アジアでもよく見かける企業だったことと、面談で謙虚さと世界を目指すことへの熱量を感じて、入社することにしました。
―就職を決めた会社では最初、地方のルート営業を経験されました。実際働かれてみて、どうでしたか?
配属先の営業職は上司と自分の2人だけで、なかなか苦戦しました。あまり成績の良くない営業所だったこともあって、結構遅くまで働いてましたね。正直、まだまだ勉強中みたいな状態で辞めたっていう感覚なんですが、一つ印象に残っているのは、営業はうんこでも売るんだ、って言われたことです。言葉は悪いですが、いい学びだったなと思っていて。当時、僕は社会への想いというところに意識が向きがちで、この商品の何がいいのか、他社と比べてどういいのか、ということを上司に質問したんです。そしたら上司から「違う。営業はうんこでも売る。他社と比べて良くなかったら売らないのか」って言われて。その上司も含め他の社員の方も、勝つために必死というその純度がすごく高くて、今でもすごくリスペクトしています。
―1年半経った頃、菅谷さんと再会。それからvery50へ勧誘されたといいます。
正確には覚えてないんですが、多分年末年始とかで東京に帰省した時に会ったんだと思います。当時の自分の生活を聞いて、菅谷としてはvery50に来た方が絶対いい、って思ったみたいで、そこから勧誘が始まりました。毎日夜になったら電話がかかってくる。当時、毎朝7時半には出社していて朝も早かったし、辞めようかなっていう迷いがある状態で耐えられる仕事の強度ではなかったので、めちゃくちゃしんどかったのを覚えてます。当時は、今の仕事を続けたい、という気持ちもあったので、正直、最後は押し切られるように決めたっていう感じです。
MoGを“スケーラブル“に
―入られた当初は何をされていましたか?
当時のvery50は、大手の企業を対象にした研修に希望を見出している時期で、アジアの途上国で活躍できる幹部を育成するといった文脈で、いくつか研修を主催してたんです。元々大学生とか社会人の個人顧客を主な対象として活動していたんですが、マネタイズ的な面からもto Bに力を入れているような時期で。そこをやりながら、個人向けのプログラムも継続していくっていう体制を取り出していたような時期でした。
それらの研修やプログラム全てを菅谷が1人で回してる状況だったので、そこに入っていった2人目ってもう、菅谷がやること以外全部やる、みたいな感じでした。
―最初の壁は何でしたか?
MoGを僕が引率するということです。MoGは、アジアの企業家たちがいて、大学生や社会人がいて、この2つをうまくマッチングさせる潤滑剤としてファシリテーターがいる、というのが基本構造なんですが、このファシリテーターをできる人が菅谷以外にほとんどいないっていうのが当時のvery50周りでの共通認識だったんです。まず経営者と経営について語れる知見があること、かつ社会課題に興味があって、教育に興味があること。この3つを満たしてる人でないと引率はできないっていうのが言われていて。なので、菅谷を慕っていた人たちも、いいプログラムではあるけど、“スケーラブル”ではないから、もうこれに夢を見るのはやめた方がいいんじゃないかっていうのを言っていた。それがあって、僕の前に勤めていた人も辞めていっていた状況でした。
僕は性格的に無理だよねって言われるとちょっと燃える、みたいなところもあったし、不可能と言われることが可能になったらおもしろいなっていうのは強く感じて、意識していました。
―実際に今引率されているわけですが、それまでの道のりは?
まず引率については、社長とバチバチやり合えるかみたいなところがポイントだったんですが、結果的に、very50には僕と菅谷しかいなかったので、自分がvery50を経営するようなマインドセットを持てたということで、ある程度の規模の会社の社長であれば、同じ目線で話せるようになったというのがありました。その上で、同じ目線になれれば、経営に関する豊富な経験がなくてもMoGとして成立させられるということが、やってみて分かったっていう感じでした。
当時は、落下しながら飛行機を組み立てるみたいな感覚で、もう全然見通しなんか立ってないけどやってみるかみたいな感じでやってみたら、意外となんとかなったっていうのが最初の年でした。
“解くべき難しい課題”に取り組み続ける
―その後はどのように事業を拡大してきましたか?
対象を大学生から高校生に広げて、個人向けだけでなく学校のプログラムの一環となるようなMoGも実施するようになりました。ありがたいことに、より多くの人にMoGに参加してもらえるようになったのですが、実施形態が変わったことで訪問先や実施期間への制約が大きくなり、現地の社会起業家の方とのスケジュールやリソース面でのすり合わせが難しい場面が出てきました。
―どのように解決されましたか?
価値の比重をより引率側に置こうということでかなり工夫しました。例えば、今のMoGのハイライトの1つがメンター(※大学生の引率者)たちからのメッセージカード。これは参加した生徒1人1人に送られるものなんですが、すさまじい文章量なんですよ。それだけメンターは生徒1人1人をしっかり見ているし、そのことがメッセージを通じて伝わると、生徒たちの達成感も高まるというところでかなり重要視して続けています。
あとは、社会人フェロー(※社会人の引率者)という仕組みを導入したことも、一つ、大きな変化だったと思います。それまで各プロジェクトに必ずスタッフを配置するという体制だったところに、フェローの方にもスタッフの役割を担ってもらうことによって、プロジェクトの数を増やせるようになりました。
ただ、やっぱり対象を拡大するごとに壁は現れるので、ステップバイステップでクリアしていくって感じですね。最近だと、学校・学年単位でMoGを運営する際の生徒間のモチベーションの差が課題になっています。一昨年から、各生徒のアウトプットをデイリーで評価してコインに換金するという仕組みを導入するなど、ゲーム要素を加えてみています。現在、そのためのアプリを作っていて、うまく機能する仕組みとして継続できればと思っています。
―在籍10年。望さんのモチベーションは何ですか?
そうですね、やっぱりみんなが不可能だって言っていたのが、実現されていっているというのは一つ大きいですね。事業が大きくなると、難しい課題にぶつかる、それを超えようとがむしゃらにやっていたら、なんだかんだ超えられる、みたいなことを繰り返している。実際、海外に連れていくことの、コンテンツとしての能動性ってそんなに高くないと思うんですよ。海外に行けば色々刺激は受ける。けど、その中で僕たちが実現しているのは、大切にしたいコミュニティに出会う、世代を超えた繋がりをつくる、自分のパッションをぶつける、ロールモデルを見つける、という機会の提供で、語学を習得する、とかとは一つ次元が違うことだと思っています。それを、半分、仕組みで量産できているというのは、すごく誇らしく思いますね。
もう1つすごく大きいのは、チームですね。最初菅谷しかいなかったvery50にこんなにすごいメンバーが集まってくれている。いつか来てくれたら嬉しいな、でもそんなことあるのかなって思ってたような人が少しずつ増えてきてくれていることは、かなりの原動力ですね。
僕のメンターみたいな人がいるんですが、その人に言われて意識しているのは「優秀な人は解くべき難しい課題に飢えている」ということで、さほど楽しくないけど解くべき課題っていうのは会社が与えてくれるけど、「素敵だよね、これやるべきだよね」って思えて、かつ難易度が高いっていう課題は、なかなか転がってない。なので、very50のショーウィンドウには難しい問題がちゃんと並んでるようにしようっていうのは常に思ってます。
人の人生が変わるような熱量を外部から届ける。これはすごく難しいお題だと思っています。この課題に一緒に取り組みたい、と思っていただける方がこれからもいろんな形で、増え続けていってくれると嬉しいなと思っています。