プロデューサの資質
敬愛するスマイルズ遠藤社長のお言葉で、仕事観を表した言葉があります。"仕事とは、しかるべきボールを持って、走って、しかるべきところにドカンと置くこと"
この例えをよく考えると奥が深い。
まず「このボールをあそこに置いてね」という明確な指示があるのは仕事超初級。もちろんボールの大きさや置く過程の難易度にはグラデーションがあるとは思いますが、結論「具体的な指示がある」という段階で「仕事」としては「初級」だと思います。ある程度の人として誠実さがあれば誰でも程々の所まではイケます。
仕事のレベルが上がってくると、だんだん「具体的指示」がなくなってきます。最終的にはボールすら渡されませんし、何処に置くかの指定もなくなります。しかもその「結果」が問われます。自分の経験上、ココが仕事人としての分かれ目です。ソレを「楽しい」と思えるか「ストレス」と感じてしまうか。
特にベンチャー企業だと、ごく早い段階で「ボールすら来ない」という状況が来ます。なんとなくアノ辺にあるハズのボールを、なんとなくアノ辺に置けばいいのかも!?後はボールを探しまわる。何かを掴んで必死に走る。ココかも?という場所に恐る恐る置く。しかし結果はハズレ、また一からやり直し。毎日クタクタです。不安で夜も寝れません。でもまた明日には新しいボール探しをしなくちゃいけません。
このストレスで半分以上の人が脱落するような気がします。
厳しい話ですが、仕事を始めた人が全員マネージャーになれるわけではない、というのはこの辺りに大きく起因します。コレは僕の業界における「プロデューサーの資質」という所にも似ていると思います。
最近は部下に任せることが多くなりましたが、ピーク時は一年で100人前後の方の採用面接を面接官として対応していました。
ほとんどのディレクター募集の方は、「最終的には上流工程が対応できるプロデューサーを目指しています。」と言われます。志は悪くないですが、その意味を本当に理解している人は少ないです。
「上流工程」等というとなんだかカッコいい響きがありますが、構築作業の泥臭さ以上に大変な仕事です。ナニが一番大変かというと「曖昧さとの闘い」です。ファクト(事実)は無限にあり、どれを取捨選択してどんな打ち手を打つか?それを己で決めなければならない。
また、その「決め」をクライアントに「エクセレント!」と言わしめるモノでないとダメ。ものすごいプレッシャーです。戦略立案の為のフレームワークもたくさんあり、当然道具として使いこなしていく訳ですが、最後に上流行程を司る人間を支える根幹は「究極の主体性」に他ありません。
自分でボールを探して掴み、ココだ!と思えるところにドカン!と置く。ボールもらうのを待ってたり、何処に置けばいいか人に言われるまでウロウロしているようではプロデューサーは勤まりません。コレは若いうちから、間違ったボールを持って間違った場所に置いちゃう失敗もたくさん繰り返しながら、あくまでも「主体的にヤル」ことにチャレンジし続けた人でないとその資質は育まれません。
では、なぜこんなしんどいことを、何のためにヤルのか?
ソレは主体的にヤリきったことが上手く作用したときに得られる「達成感」というご褒美があるからです。「達成感」等という月並みな言葉が歯がゆいぐらい、当人でしか理解しようがないエクセレント。その私的快感の度合いは、主体性の比率と正比例します。
この「達成感」を手に入れると様々な副産物が生まれます。それは自信だったり、パッションだったり、厳しさだったり、優しさだったり、謙虚さだったり、タフさだったり。
これが「仕事人が成長」する、ということの本質なのかもしれません。
カリキュラムに沿った「教育」も重要ですが、それは何から学べばよいかが分からないド新人の為のモノです。しかも「成長」の直接的要因には成り得ません。座学によって得た知識やフレームは、現場(戦場ともいう)使われて初めてスキルとして昇華されます。現場で使えない(使ってない)モノはタダの雑学です。ド新人でなければ、現場で必要に迫られたモノを判断し、誰に指示されるでもなく、自ら学習して当たり前です。
仕事は、近所を1週回る、というレベルからトライアスロン級まであります。
言うまでもなく、トライアスロン後の方が得れる私的快感は莫大です。莫大な私的快感が個人の仕事人としての成長を加速させます。
「ヤングライオンにハードなトライアスロンのゴールテープを切らせてあげる。」
結果的に、これしか自分の考える「人材育成」方法はないな、と改めて思っています。
(2014/04/07 記)