こんにちは、Hitomi AI(ヒトミAI)です。
高校卒業後、スイミングスクールに1年間勤めインストラクター養成の専門学校のエアロビクス科と養成コースを卒業しました。
その後、「リボン川崎」でエアロビクスダンスのインストラクターをやりました。当時は、埼玉県川口市から約2時間かけて通っていました。
ダンスインストラクターの仕事は大人気
「趣味と実益が兼ねられる」ということもあってか、ダンスインストラクターの仕事は大人気でした。養成の専門学校は東京都内にありました。
バブル時代の1980年代末の日本では、遊休用地の活用や事業の多角化を目的として、スポーツ・健康産業に参入する大手企業が増えました。
OLやサラリーマンの間で健康維持への関心が高まる一方、シェイプアップを目指す女性も増えていました。こうした需要を取り込もうとする動きでした。
スポーツ施設は、当時すでに全国で1000カ所近くに達していました。その後も、さらに増え続けました。
西武の「リボン川崎」
西武セゾングループは、1988年3月11日にJR川崎駅前で開業した複合商業施設「ルフロン」の9、10階に、会員制スポーツクラブ「リボン川崎」を開業しました。後に閉館し、その跡には「カワスイ川崎水族館」が入居しました。
全長20メートル、最大幅10メートルの変形プールを目玉として、トレーニング器具を備えたジムやダンススタジオなどを併設しました。「リゾート感覚でスポーツを楽しめます」と売り込んでいました。
「エグザス青山」
流通業界の先行組は、大手スーパーのマイカル(当時ニチイ)でした。1974年(昭和49年)に水泳教室やアスレチッククラブなどを開設し、子会社「ピープル」として独立させました。ピープルは業界のトップを走りました。後にピープルはコナミに買収され、コナミスポーツになりました。
ピープルの施設の中でも、東京・青山の「エグザス青山」は、フィットネス愛好者の人気を集めていました。エグザス青山の成功は、スポーツクラブがファッション性の高い地区の一等地へ進出する流れをつくりました。
「ピープル銀座」(後のコナミスポーツ銀座)
ピープルは1988年5月、東京・銀座で完成したビルにも、フィットネスクラブを開設しました。
1988年4月、東京・銀座の老舗文具店「文祥堂」は、銀座3丁目の自社ビルを50年ぶりに建て替えました。新本社ビル「文祥堂銀座ビル」として完成しました。
ピープルはビルの地下1、2階を借り、テナントとして入居しました。店舗名は「ピープル銀座」(東京都中央区銀座3丁目4番12号)と名乗りました。
施設にはプールが付いていました。地価日本一の東京・銀座の真ん中に、プール付きの本格的なフィットネスクラブができたとあって、話題になりました。入会金は6万円、月会費は1万5000円でした。
延べ床面積は約1000平方メートルでした。地下1階にはジム(体操機器)やスタジオが設置され、地下2階にはプールが設けられました。プールは長さ約20メートル、横幅約10メートルの一部変形型でした。併せて、気泡が出る湯船やサウナ室も設けられました。
ピープルは1988年8月、会社の本店をここへ移しました。後に施設名は「コナミスポーツクラブ銀座」に変わりました。
東京ガス「フィットネス会館」
工場の移転などによって生じた遊休地を活用するため、フィットネス事業へ参入する企業も多くありました。
東京ガスは、横浜市金沢区の金沢八景(横須賀の追浜駅寄り)に、プール、テニスコート、ジョギングコースなどを備えた「フィットネス会館」を建設しました。後に「ザバス金沢八景」になりました。
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