アパレル、美容と、これまで一括りにすれば「人と関わる」仕事をずっと選んできました。
ただ、その頃の職場は現場や営業部と呼ばれるところ。
お客様と向き合い、商品やサービスを売り、会社の利益をつくるのは自分たちだという感覚が強くありました。
対して、人事を含む本社や本部と呼ばれるひとたちの仕事は、当時のわたしにはよく見えていませんでした。
かなり乱暴な言い方ですが、
「自分たちの利益でお給料をもらっている事務員」
くらいにしか思っていなかったんです。
人事を見る目が変わった日
そんな見方が変わったのは、会社で大きな問題が起きたときでした。
お客様からの信用を失い、各店では原因とは無関係なスタッフたちまで対応に追われることに。
自分たちは直接何もしていない。
それでも、お客様からすれば同じ会社の人間です。
「ご心配をお掛けし、申し訳ございません」
日々の営業を続けながら、何度もそう頭を下げる。
突然増えたイレギュラー対応は、現場スタッフの心のスタミナを着実に削っていきました。
そんななか、本社から「人事部が各店舗を訪問して回る」と通達がありました。
そのとき思ったのは、
「なんでこのタイミングで、さらに手間を増やすんだ」
でした。
ところが実際にお店に来た人事の方がまずなさったのは、スタッフ一人ひとりに声を掛け、頭を下げることでした。
負担を掛けて申し訳ない。
それでも営業を続けてくれてありがとう。
一人で何店舗も回らなければならないなか、スタッフの業務がひと段落するのを待って、「今、何に困っている?」と話を聞く。
フォローが必要なお客様が来店されていれば、お見送りにも立ち会って、一緒に頭を下げる。
苦しいときに、同じ目線に立ってくれる人がいる。
その心強さに、涙が零れそうだったことを今でも覚えています。
人事の仕事は、「誰かの味方になること」ではなかった
今振り返ると、その方はただ従業員に寄り添っていたわけではなかったと思います。
ごめんなさい。
迷惑を掛けました。
会社が悪いです。
そんなネガティブな事実や感情だけを拾いに来たのではありませんでした。
愚痴のようになる私たちの話を聞きながら、そのなかにある「それでも明日から来ないとは言っていない」「今もこの仕事やお店を大切に思っている」という部分を見つけ、言葉にしてくれた。
必要な謝罪はする。
でも同時に、
「大変ななか、それでも踏ん張ってくれてありがとう」
を伝えてくれる。
だから話し終えたあとは、「落ち着くまで、わたしたちも頑張らないとね」と自然に思えました。
その人事の方だって、問題の直接的な原因とは無関係です。
それでも会社を背負い、従業員と会社の接点として責任を全うしようとしている。
そこで初めて、わたしは「人事の仕事の重さ」を目の当たりにしました。
人事になった今は、あの方がしていたことを少し違う角度から見ています。
従業員の気持ちに寄り添うことだけが、人事の仕事ではない。
かといって、会社の決定をただ伝えることでもない。
人に働きかけることもあれば、制度や環境を変えることもある。コストの問題として考えることもある。
そんな「多方向への同時アプローチ」ができることこそ、管理系人材としての真骨頂だと思っています。
「制度がない」で終わらせたくなかった
最初に営業職などの採用を担当していた頃、社内には「時短正社員」という制度がありませんでした。
営業職をやるなら、フルタイムが前提。
せっかく会社に興味を持ってもらえても、「営業にチャレンジしたい」と思っても、勤務時間が合わなければ「難しい」と伝えるしかありませんでした。
ちょうどその頃、子育てをしながら仕事を探している友人がいました。
以前も営業職に就いたものの、子育てのために早く上がることで周囲から後ろ指をさされ、居心地の悪さから退職したばかり。
友人同士の何気ない近況トークでした。
でも、企業で採用人事をしている自分が目の前にいるのに、何もできない。
それが、どうにも歯がゆかった。
だから、休日に上司へ電話を掛けました。
「営業職を希望していて、会社にも興味を持ってくれている。でも、働く時間だけがネックなんです」
翌週には上司を交えてランチをし、その後、営業部の責任者へ「短時間社員を検討できないか」と提案が送られました。
友人は無事に入社。
「働ける時間が短いからこそ、その時間の密度を上げる」
そんなスタンスで営業に取り組み、インセンティブだけで何十万円と獲得するほど活躍しました。
その実例を時短勤務希望の候補者へ伝えていくうちに、気づけば社内には「短時間正社員制度」が根付いていました。
もちろん、わたし一人で実現したわけではありません。
だからこそ、
「どうなってほしいのか」を実直に考える。
それが、わたしにできることなのだと思います。
会社か、個人か。その二択ではなく
とはいえ、働きたい人がいるなら会社が何でも合わせればいい、とは思っていません。
友人のケースが成立したのには、理由があります。
法人営業という仕事の特性上、夕方遅くまで残ることよりも、朝からしっかり稼働して実績を出せるかの方が重要でした。
本人にも、
「時間が短い分、業務の密度を上げて、仕事の質ではフルタイムに見劣りしないものを提供する」
という覚悟があった。
会社だけが譲歩したわけでも、本人だけが我慢したわけでもない。
双方にとって成立する条件があったから、Win-Winになったケースです。
だから、本人の覚悟が感じられるなら、一度譲歩してみる価値はある。
一方で、譲歩して得をするのが本人だけなら慎重に考えます。
これは採用以外でも同じです。
会社として必要な判断なら、誰かがつらい思いをするとしても伝えなければならないことはあります。
ただし、その原因が会社や責任者の不手際なら、「組織だから仕方ない」では終わらせない。
何を反省し、再発防止のために何をするのかまで確認して伝える。
個人と会社、どちらか一方だけに都合のいい答えではなく、「どうすれば成立するのか」を考える。
振り返れば、あの日店舗へ来てくれた人事の方から感じたものも、そこだったのかもしれません。
「何もない」と思って社会に出た
そもそも、わたし自身はたいしたものを持って社会に出た人間ではありません。
高校卒で、別に難関校でも何でもない。
せっかく情報処理系の学部だったのに、ちゃんと学びもせずバイト三昧で卒業したので、知識もスキルも身につきませんでした。
何もない。
何もできない。
そんな自分が唯一「経験があります」と言えたのが、高校3年間続けた飲食店での接客でした。
だから、人と関わる仕事を選んだ。
人が大好きだったからでも、接客の才能があると思っていたからでもありません。
ただ、それしか「やったことがある」と言えるものがなかったんです。
そう考えると、今のわたしがやっていることの大半は、当時はやったことすらありませんでした。
「今できること」だけでその先を決めていたら、ここには来ていなかった。
結局、そういうことなんだと思います。
できるかどうか、よりも
だから、「やってみたいけれど、できるか分からない」と感じるときには、一度「できそうかどうか」という尺度を脇に置いてみてほしいと思っています。
代わりに考えてほしいのは、「やりたいかどうか」です。
やったことのない物事ができるかどうかなんて、一流企業のエースでも、有名大学の首席でも確証はないはずです。
持っている知識や経験によって、成功率は変わる。
でも、やったことがない以上、保証がないのは全員同じです。
一方で、絶対にできない人というのは分かる気がします。
自分のなかに「やりたい」がない人です。
経験は、はじめれば積むことができる。
実績だって、繰り返すなかで挙がるようになる。
でも、最初の一歩を踏み出し、思うようにいかないときにも続けることだけは、誰かに代わってもらえません。
だから、できるかどうか不安に感じるときほど、
「できたときの自分に、憧れられるか」
で考えてみてほしいと、わたしは思います。