信州帰省フェス個人的運営日誌(下)

「信州帰省フェス個人的運営日誌」。前回の投稿は2017年1月22日。もう半年以上の時間が流れた。



当時の日誌を見ると「副実行委員長」となっているが、なんやかんやあって今は「実行委員長」として信州帰省フェス運営をすることになっているし、している。いつの間にか。

思った以上にタスクが多すぎて、当初はボチボチつけていこうと思ったこの日誌も、5月ごろには存在すら忘れていた。

いつの間にか実行委員長になっていた自分は、最年少で経験不足ながら「最後まで走り抜ける」という信念だけは守ろうと頑張ってきた。そもそも、実行委員長になる前、周囲の役員に、モチベーションが一番ある人が実行委員長になるべきでは?という軸から推薦されるという形で今に至っている。小中高で会長になって、「もう長はこりごりだ」と思ったはずなのに、なんでなんだろう…。自分はアホで、人の頼みに弱いなあとつくづく感じる。

自分は賢くないので、対費用効果を上手に考えられない。他の人からすれば、信州帰省フェス運営に注力するよりも日々の学業に力を入れて秀をとったり、サークル活動に専念したほうが楽しく生産的な日々を送れると考えて、判断したうえで運営から手を引いたりしたのかもしれない。

「頼まれたから、やる」。言い換えれば「頼まれると断れない」。そんな性を持つ自分は決して世の中を上手に渡っていくことはできないだろう。頼まれたからやる、のではなく、やりたいからやる、という生き方にシフトしていきたい。

今回も、なりふり構わず仕事を引き受けてしまい大変な思いをして苦労に追われることは何回もあった。けれど、その中で多くの学び、多くの発見があったことも事実だ。自分の性についても、相手にとっても自分にとっても結果が悪くなる頼みについては、判断して適度に断れる力もついてきたように思う。

この半年、信州帰省フェス運営をしていて、他では味わえない経験は数多とあった。まず、週3で行われるステージ・マーケット・全体のMTG。大学生活になって、大学から帰ってきて週3で夜の約2時間以上をMTGに費やすとは考えていなかった。決してコレがあることを事前に知っていたら運営はやらなかっただろう。

事前に知っていたら逃げていた苦労が多くあった」。これは今回、信州帰省フェス運営をやっていて良かったなと思える大きな部分だ。ヒトは苦労から逃げようとする。楽な方へと自然に体が動く。自分も例外ではない。その中で、大学生活という貴重な時間を無駄にすることなく濃厚な「苦労」を自分に与えて成長できたことは限りなく大きな収穫であったように思える。

「苦労」の中でも、サークルの温泉同好会で、年1の年度初め旅行で、群馬の水上温泉郷の旅館に泊まっているとき、友人がみな部屋で盛り上がっているのに自分だけMTGの曜日という理由で席を外し、1人でオンラインMTGをするなど、19歳の心の内には苦しい経験もあったが、そうした苦しさよりも「考える苦しさ」を味わえたのがよかったと思う。

これまで生徒会等の企画運営でも、直感的に「これいいね!」で企画を通すことも多かったが、今回、信州帰省フェス運営では「何故?」や「どういう意図で?」を運営の先輩から問いかけられる機会が多く、これまでの企画の進め方をガラリと覆された。

「何故?」と問いかけられて詰まってしまう発想には、いつも軸(コンセプト)がなかったし、「どういう意図で?」と問いかけられても答えられない質問には必ずボロがあった。気軽に提案できなかったり、質問できないのは自分にとってはストレスだったけれど、このストレスは自分に必要なストレスだと振り返ってみて強く感じる。

批判するときには必ず「何故」を考え、代替案を用意してMTGを滞らせないように意識したり、意見を募る時には必ず「例」を用意するようにして発言の糸口を全員に見えやすいようにしたりした。果たして、自分の能力不足でそれが叶っていたかは分からないが、それが叶うようにあろうと努力したことだけは言えると思う。だからといって、叶っていなかったことの言い訳には全くならないけれど。

そうした部分もあって自分の未熟さも思い知ることができた。意外と精神的に打たれよわかったり、MTGに週3で参加できるスタミナが切れて「つらいな~」と思いながらMTGに参加してしまったり、モチベーションから切り離されて、心が弱くなっていた日々もあった。

それは他の運営も同じだったようで、副実行委員長の1人が6月下旬ごろに「私なんかが…」と自分の仕事への姿勢に感じた情けなさを泣きながら執行部に告白したことがあった。自分から見れば全く力不足ということはないし、自分のことを考えれば役不足とさえ思ってしまうのだが、主観と客観では大きな差があることも考えさせられた。

大学の経営学概論でスパンオブコントロール(SOC)の考え方を習った。1人の管理者が管理・監督できる範囲は5~6人らしい。信州帰省フェス運営はコアメン全体で30人弱。マーケットチームは16人、ステージチーム10人ほど。執行部は6人。上記のように主観と客観の大きな違いがある中で、執行部メンバーのモチベーションを管理するだけでも非常に難しい、と感じるばかりの日々だった。

入った当初は、(これは自分の勝手な想像なので致し方ないが)もっとフェス運営の組織は強靭で、リーダーシップがある人が何人もいて、プランも下地ながらにでも緻密に建てられているかと思ったけれど、現実はそう甘くはなかった。

去年、途中で運営からソソソ~ッと抜けていた先輩から話は聞いていたが、やはり少人数でかつ皆「学生」という日々の学業やテスト・レポートを背負ったうえでやる大掛かりなフェス運営には罅割れが多すぎた。そして、その運営体制を見て1人2人と手を引くもの、言い換えれば「手を抜くもの」が現れて、負の連鎖は加速していく。

少人数のベンチャー企業にも同じことが言えるのかもしれない。ビジョンやミッション、社会的意義(俺、いまこんなに世の中で役に立っているんだ!)だったり新規性(今まで世の中にないものを生み出してる!楽しい!)も大事かもしれないが、それぞれの意思が尊重された空間、モチベーション維持への工夫が運営にとって、これほどまでに重要なのかと痛感させられる日々を送ってきた。

期日までにアポをとったり、広報したり、企画を決めなければいけない中で、メンバーのモチベーション管理は確実に2の次になっていった。それでもここまで運営ができたのは、活動メンバーの個人個人のモチベーション管理能力があってこそ、特に、役割の多い執行部は個人個人のモチベーション管理能力が鍛えられたと思う。

今まで「苦労」や「鍛えられたこと」を中心に信州帰省フェス運営を振り返ってきたが、純粋にその分「収穫」も多かった。まず、人脈が増えた。苦労したメンバー同士こそ、今後の交流で何かを頼んだり頼まれたりするときに特別な関係に成りえるはずだ。名刺を交換しただけで終わる浅い関係でなく、そうした深い人脈が何人か出来たのが良かったと思う。

それ以外にもTSBの取材を受けたり、ラジオに出演したり、徳谷柿次郎さんのWSを運営したり、長野市や東京でMTGしたり、全国学生サミットに出たり、上場企業のエムケー精工さんと打ち合わせして社内を見学させてもらったり、出演アーティストを考えたり、SNS広報にお金をかけたりと、自分からした「ふつう」では出来ない体験を数多くする機会を頂いた。

それによって自分の「ふつう」の価値観がズレたことも確かだし、視野が広がって自分の将来が良くも悪くも大きくズレたことも確かだと思う。個人比的に「金額」の規模が大きいイベントだけあって、「お金」に対する価値観は特に変わった。

ここ半年間、学生しながら信州帰省フェス運営をしてみてビフォーアフターをするとしたら「価値観」は大きく変わったと思う。そして苦労の蓄積による「努力値」的なものも増えて、その分しっかりと老けたとも思う。

信州帰省フェス本番まで残り10日。ラストスパートだ。陸上の400mで言ったら、残り50mと言ったところだろうか。スタミナも筋力ももう限界に近いが、あとは気力で身体を動かして、終わった後「あそこでもうちょい出せたな~」という不完全燃焼感・悔いを残さないように最後まで走り抜けるだけ。

本当の400mだったら、走り終わった後3時間は動けないし、下手をすると吐く。けれど、運営はそうじゃないからありがたい。信州帰省フェス2017、みんなが一足早い夏休みを満喫している中、自分はビラ配って会場設営して、企画の最終調整してと、手足から脳まで全身動かして8月16日まで駆け抜けたい。そういう意味では「運営」は脳もフル回転させる団体戦の全身スポーツといえるのかもしれない。

「信州帰省フェス実行委員長」という役目を仲間とともに最後までやり遂げて、一週間後の8月24日、20歳の誕生日に、実家で信州の美味い酒を親父と飲みたい。今はそれだけ思う。

(下)完。


追記:

信州帰省フェスが終わっての、キャプションまとめ

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