高校三年間の軌跡といま。マイ・イノヴェイション。
機械工学志望だった頃って自分が作った、組んだロボットを
「1Fに持っていきたい!それ以外考えられへん!」って感じで。
原子力も考えてたけどその時は
「東電しかねえ」
「海芝浦最高!わだみさ最高!鶴見線ユーザーなんぞ!」
って感じで。
今は「デザインしたい!」
「わからないから楽しい」
「もしかしたら1Fにも持っていけるかも」
「浜通り関係ってこんなにもあるのか」
「新しい業界メイキングできる?」
機械工学科や原子力を悪く言いたいわけじゃない。
今の欄にある
「もしかしたら1Fにも持っていけるかも」
「浜通り関係ってこんなにもあるのか」はそもそも原子力に関心がないと行きたいって思うことはなかった。
「もしかしたら1Fにも持っていけるかも」は機械工学時代の夢をまた違う形でしたい、後方支援をしたいということから。
「新しい業界メイキングできる?」は万博開催中っていうのもあるけど原子力業界の創世記をしらべてみたことも一因にはある。もっとほかにもあるけども。
「海芝浦最高!わだみさ最高!鶴見線ユーザーなんぞ!」
はなかなか黒歴史に近いけど、体力をつけようと思って嫌いな体育を頑張ろうって思うようになったし、
「和田岬の方に行きたいんです。」と言って会えた方たちや
いただいた言葉、現場勤務についてやコミュニケーションの方法を学んだ。
コミュニケーションの方法は「もっと聞きたかった」「この情報が欲しかった」ってなる中で頑張って短時間で引き出す方法を考えてみたりした。
いろいろなところに当たったら身に着けられるスキルって無限だって思って。体のキャパの方も考える必要があるけど。
高校入るまでって話そうとすると声が出ない、涙が出てくるみたいな感じで。
現場なんて考えられへん人間だった。
オフィスでやっていったら、それなりの人生を送って死んだらいいと思ってた。
でも実際を見て実際に近く考えることのできる人間になることができた。
美浜の三号機Turbine室。
ここに入った瞬間、「ここや!ここや!行きたかったところは!!」って思った。
熱さと暑さと篤さと厚さが身体にしみ込んだ。
夢ってかなわないから夢、謎の儚さがあるから夢なんだろうなって。
夢破れた回数なんて、夢を持った回数が何回かある。
何回か破れちゃったり覚めちゃったりする中でまた別のことをしたいとか、出会いがあってここまで来たわけだ。
今の大学に受かったときも急に思い出した。
「そういえば2013年に初めて東芝に行きたかった理由ってこれ(CTなどを作ること)だったな。」と。今の大学に受からなかったら思い出すこともなかったことだ。
原風景を思い出しながら今日もメーカー希望という札を下げ、日経を読み、授業も真面目に受ける。
でも別の景色も見たいと思って専攻と関係ないほかのところに当たってる。
フル単をとっているからしんどい。でも数年後の姿がやっと見えるようになったから数年後のイメージに向けて東奔西走している。