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僕が小説をどう考えているか

僕が仕事をするにあたって、これだけは絶対に守っていることは「書きたくないものは、書かない」です。

これは純文学の傾向でもあるのですけど、依頼に合わせて書くということがそもそもほとんどない。書きたいことを勝手に書いて、それを出版社の編集者が待つ。

書いていくなかで、世の中とリンクするものを入れていこうとか、そういうことも考えない。もう本当に純粋に書きたいものを書く。

マーケティング的なものの限界ってあると思うんです。たくさんの資本が絡む物語や芸術は、関わった人の資本を回収するために、ある一定の支持を得ないといけない。だから、映像作品など、わかりやすい起承転結に基づいて、人気の俳優を出し、誰にでもわかるストーリーにするのは理解できるんです。

でも、それをわざわざ小説でやらなくてもいいんじゃないかと僕は思うんです。印刷にかかるお金なんて実際のところたいした額じゃなく、かかるコストのほとんどは、作家に支払われる原稿料に印税、そして出版社社員に対する人件費。他の娯楽メディアに比べればお金はかかっていない。莫大な資本が絡むわけでもないから、万人受けを狙う必要はない。だから、そういったところでは表現の多様性のほうが大事じゃないかなと思うんです。

テレビ局が作るような邦画の決まりきったストーリーにうんざりしたり、お腹いっぱいになったりした人が、たまに小説を読んでみて、違う感情や感想を抱いたりする最後の砦としての場所として、小説はあるべきなんじゃないかと僕は思うんです。だから、むしろ、マーケティングとは逆です。でないと、小説が書かれる意味はないと思います。

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