ボーダーを越える。
先日インターンをさせていただいているsoarさんの取材で「インクルーシブ学童」をされている現場に行きました。
簡単に言うと〈障害のある子もない子も、一緒の環境で過ごす。〉
そんな環境です。
【線を引く事。】
きっと、障害の有無や国籍や年齢などで線引きをする事は、社会として円滑に進みやすくするために必要な事だったと思います。
それは今も、これからも、きっとたくさんあるのだと思います。
だけど、余計な偏見や価値観が生まれてしまったりする事で、今「生きにくさ」を感じている人が生まれてしまっている現状もあるのだと思います。
線を引く事で、〈あっち〉と〈そっち〉の区別が差別に繋がってしまったりして、自然が不自然な形に変わってしまう。
【子どもたちから学ぶ事。】
でも子どもたちにはそれが無い。
いや、人によってはある子もいると思う。
でも、少なからずここに通っている子からはそれを感じない。
あくまで一人の人間として、ひとつの個性として、ただただ当たり前な時間が流れていた。
でも、それが普通なんだ。
〈あっち〉とか〈そっち〉とかの線や壁なんて無い。
みんな同じ人間なんだから。
【凹凸を整える。壁を溶かす。】
別に自分がとんでもなく差別された事があるわけでもないんだけど、そんな〈ごちゃまぜ〉な場所や〈社会的な線引きよりも、目には見えない想い〉を大切にしている環境が好きだ。
そんな場所を作り価値観を届ける事ができれば、きっと社会が優しくなり、人が人らしく心から湧き上がるような希望が溢れて未来が明るくなるはず。
そう感じるから。
「夢がある人が頑張っているのも最高!応援する!だけど、夢がないあなたもそのままでいいよ!大丈夫!」
「障害のあるなし?生まれた国の問題?年齢?・・・それで可能性が薄まったりするってなんなんだろう??」
「みんな違って、みんな良いよね。」
取材中にお話を伺いながら、子どもたちの姿を見ながら、そんな事を考えていたら不思議とジーンとしてきた。
あらゆる意味で、
〈ボーダレスな社会を作るために⚪︎⚪︎する。 〉
〈優しい社会をつくるために⚪︎⚪︎する。〉
〈ユーモア溢れる社会にするために⚪︎⚪︎する。〉
この辺、自分で自分にもう少し問い詰めていこう。
なぜ?なぜ?なぜ?
って。
夢に向かって生きている人も、夢が無くて自信を失っている人も、目に見える障害を持っている人も、口に出来ない悩みを持っている人も、同じ世界で同じ社会で生きる事。大なり小なりみんな不自由さはあったとしても、『それは別にいらなくない?』って壁は溶かしたい。まずは、みんな違ってみんな良い。
— 前田彰@仕事旅行中✈️ (@akira_m_2416) October 5, 2018
昨日インクルーシブ教育(障害の有無に関わらず共に学ぶ環境)に出会った。思い返したらずっとそんな環境に興味があったような気がする。必要以上に出来た目には見えない凹凸を整えたり、無意識な壁を溶かしたり、そういう環境を作る事で社会は優しくなるのかもしれない。幾つになっても子どもが先生。 pic.twitter.com/rCxqlAwCky
— 前田彰@仕事旅行中✈️ (@akira_m_2416) October 5, 2018