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怒り。

【今の人類が拒否反応を示すかもしれない、
でも100年後の人類にとっては当たり前になっている可能性のある、あなたの現状の世界に対する”怒り”はなんですか。】



※家入一真さんのツイートからこの寺子屋に申し込みましたが、改めて考えたくなったのでnoteに書いてみます。

僕の怒りは今の世界や社会に対してです。
人間が人間らしく生きにくい事。
そしてそうやって生きようとする人に風向きが強い事。
諦め、心に蓋をして生きた人が、場合によっては死を選んだり病に倒れてしまうという事。
こんな悲しい事はない。
そうならない為には、自分の人生を自分で選ぶ事が出来て、それぞれの場所で自分らしく自然体で生きていけるという事が必要なのに、本当は簡単にできるはずなのに出来ない現状。
歴史上で誰かが作った目には見えないルール。
そんな社会的マジョリティな空気感に怒りを覚えます。

しかし、厳密に言うとこの感情は「怒り」ではなく「悔しさ」です。

その問題に対して、何も行動が出来ていない自分にとても悔しさ(怒り)を感じています。
愚痴は誰でも吐ける、嘆く事も簡単に出来る、だけど僕は実際に行動をしたい。そう思っているからこそ、「悔しい」と思います。
それが大人として、次の世代の子ども達に対しての責任だと思うし、実行しない限り、世の中に貢献しない限りは、W杯で本田選手が活躍しだしたとたんに手のひら返しをするようなカッコ悪い大人と一緒だと思う。

力に対して力で反発するのではなく、優しく社会を変える為に《行動》をして提示をしたい。

もう一つは「差別」です。

これも怒りというよりかは「悔しさ」を感じます。

人を肩書きや年齢、障害やいじめもそう。

芸能関係の忖度もここに入るかも。

人としての想いや心を無視し表面的なところで判断をし、自分の保身や利益の為に可能性を狭めたり人生の希望を暗く閉ざすような事。

それを受けたり見てきた中で、反論できる力がなかった事や、救えなかった事が心から悔しい。

だから、僕が目指す世界はボーダレスな社会。

僕は温厚でマイペースなタイプなので「怒り」という感情はあまり湧いてこないけど、「悔しさ」という感情はことあるごとに生まれてきます。

特に、「誰かの想いが踏みにじられたり」「仲間を馬鹿にされたり」すると「なんとかしたい。」という心が動きます。

具体的な手段はまだありませんが、僕が目指す起業(や事業)の根底にはこの「悔しさ(怒り)」があり、それを解決する事で、社会に貢献したいという気持ちがあるのだと思います。

それを踏まえて僕の今の目標はこうしています。

「一人一人が自分の人生を自然体で生きていける社会をつくり、美しい世界に塗り替える。」

こと。

この悔しさを乗り越える為に、今を生きています。

僕の怒りは「この世の中」「ふがいない自分自身の現状」です。

「この世に生まれてきて、このまま何も残せずに死んでいくのは悔しい。とにかく悔しい。」

ご覧いただきありがとうございました!!