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人とのつながり

 初めての海外は高校2年生の頃、農業研修旅行として訪れたニュージーランドだった。自信のない英語と知らないところに行く不安もあったものの、なんでもやってみる、とりあえず英語を使ってみるというルールを課し、ホストファミリーの手伝いなどを介してたくさんの経験を得た。実感したことは何でもやってみることの大事さと、興味を持つと相手はとても素敵な笑顔をくれるということだった。その後も海外への興味も絶えずあり、大学3年の夏休みに専攻ユニットの研修旅行でタイへ行き、農業関連施設や大学を訪問し、プレゼンを行ったり、カンボジアの小さな村で算数などを教える短期ボランティアに参加した。どちらも有名な観光地ではない地域で現地の生活を垣間見ることができ、そこに住む人々の文化や生活に触れる楽しさや日本のそれと比較することで得られる発見に多くの刺激を受けた。

 特にカンボジアでの経験は自分にとって最も大きいものであった。その短期ボランティアのメインサイトである村はいくつかの家が日本のボランティアのためにホストファミリーとしての役割を担っており、小さいながらも小売店などもあった。滞在中はちょうど雨期で、活動先である小学校へ向かう道はぬかるんでいた。気を遣ってくれたコーディネーターさんが子どもたちと一緒に砂利を敷いてくれ、ボランティアたちは安全に通えるようになった。しかし小学校の主役である子供たちは、砂利を一生懸命敷いていた子供たちは裸足で学校へ行く子供たちばかりだった。ステイ先ではご飯もたくさんふるまわれ最初はそのおもてなしに感動したものの、ふと感じたのは「この村の人々はNGOが撤退したらどうなってしまうのだろう。」、「役に立ちたくてやってきたのに、してもらうことばかりだ。」という違和感だった。この出来事からカンボジアを去るまで、視点が大きく変わり、ボランティアとはどういった立場であるべきか、貢献するとはどういうことかという事ばかり考えるようになった。日本に帰ってから、もっと現地の人と近い距離で、腰を据えてボランティアをしてみたい、もしできるなら自分が勉強してきた農業や畜産で貢献したい。と考えるようになり、卒業後の進路として青年海外協力隊を考えるようになった。

 協力隊として南米のパラグアイへ派遣され、活動していく中でいろいろな壁にぶつかった。むしろうまくいかないことばかりでへこんでいた。しかし、そういった課題を解決することができたのは決して一人だけの力ではなく、誰かとのつながりや協力があったからこそであった。協力隊になり、異国で生活することで人とのつながりや誰かと協力することの大事さ、やりがいを感じた。また自分が外国人として生活するのは初めてのことでそれによって、いわれのないことで傷つけられたり嫌な気持ちになることの方が多かった。そうして初めて外国人という立場で生活している人たちは想像以上に大変で辛い思いをしているのだろうなと実感した。傷つける人々もいたが、優しくしてくれたり理解を示し、良き相談相手になってくれる人ももちろんいた。そういった人々の存在はとても大きく、その優しさや言葉に触れるたびに力をもらい、気持ちを切り替えて活動に取り組むことができた。その上彼らのアドバイスを自分の活動に落とし込んでみたことで成功を収めることができたこともあった。自分を支えてくれる人をはじめ協力してくれる酪農家さんたちと一つの目標に向かって働いたり相談しあったりすることはとても有意義な経験であった。いつ協力隊での思い出を振り返ってもまず頭に浮かぶのは活動の成功体験や工夫したことの積み重ねよりも、誰かと触れ合っていた時間やその輪が拡がっていったときのことばかりだ。それ以来、私は人とのつながりを実感できる仕事、日本にやってくる人々との関わることのできる仕事を就きたいと思うようになった。外国人として長い間異国で暮らした自分だからこそ理解できることはたくさんあると思う。そしてその経験こそが自分の強みでありそしてゆくゆくは自分でシェアハウスを開き、日本で働く、あるいは勉強している外国人の人々を対象に交流の場を提供することが夢だ。日本にいる外国人にとっての私をパラグアイで支えてくれた人たちのようになれたら、と考えている。

 上記のことを鑑みて、おもてなしの基本、サービスの基本を学び、日本人のニーズと外国人のニーズの違いを知る必要があると考え、宿泊業への就職を考えている。

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