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母子家庭について

自分は4歳の頃から母子家庭で育ち今日まで6歳上の兄、4歳上の姉、俺の三人を女手ひとつで育ててくれました。

そもそもどうして離婚になったかというと親父は仕事は元々できる人で、どちらかというと経営者向きだったそうです。

しかしギャンブル依存症というのを患って居て、お袋の親(自分の祖父)や親父の周りの知人にも借金をしてたそうです。

ギャンブルに懲りない親父をお袋は離婚を言ったそうです。

お袋が包丁で親父と喧嘩しあってる光景を今でも鮮明に覚えてます。

そのあと恐怖の中、俺は親父の足を噛み親父が家を出てった瞬間も今でも覚えてます。

そんな感じで離婚してあれから23年経ち去年の10月にある夫婦から兄貴宛にfacebookのメッセージを通じて連絡が来ました。

兄貴も最初は詐欺にあってるんじゃないかと思ったそうですが話を聞いてると、その夫婦は親父の職場の同期でした。

何を兄貴に伝えたかったのかというとメッセージを送った日の時点で親父は、すい臓がんの末期で余命1ヶ月と宣告されて居て死ぬ前に俺たち三人に会いたいっていう話でした。

これが高校生の俺だったら何を今更って思ってたかもしれないですが大人になった俺たちも親父が亡くなる前に一度会いたいって気持ちで11月7日に会いました。

お袋側の気持ちもあって会うのに抵抗はありましたが一生会えないと後悔すると思い会いました。

23年ぶりに見た親父・・・

めっちゃおじいさんになってた。。。

俺が見た親父はまだ32歳だった頃の親父。

23年の年月が経つとこうなるんだなと思い衝撃的でした。

末期ガンだったので携帯用酸素ボンベもしてて苦しそうでした。

ギャンブル依存症で家族も失い自分の親族も絶縁されたみたいです。

話すときも敬語になっちゃったし何ていうか振り返ると悲しくなります。

親父も離婚後、彼女は居たものの再婚する気持ちがなかったそうです。

信じたいけど信じれない。。。

多分ギャンブル依存症が治ってなかったから再婚できなかったんだと思います。

その後11月16日に息を引き取りました。

姉はその後もラインを親父としてたらしく別れた後に姉に親父に会いたいと伝言を頼んだら親父も会いたいって言ってもらえたから、、、

親父もなんだかんだで良い死に方になったかなと思います。

享年55歳でした。

親父は貯金もなかったので果たして真相は闇の中ですが、火葬費や散骨代も会社が出してくれたそうです。

もう離婚して一切関わりがないので、そういうことは話し合いで会社に全てお任せすることにしました。

だから親父は墓もない。

火葬されるときも家族にも見守られることもなくあの世に行きました。

何が言いたいかというと母子家庭になった理由と、ギャンブルは家族もバラバラにする凄いやつだなって思いました。

そして自分もさえダメにする。

俺にとって親父は何もしてもらったことなかったけど、お袋と結婚して俺を産んでくれたことや保育園行くときに原付で二人乗りで送ってくれたことや、そういうのだけでも感謝しようかなって思います。

それとお袋には内緒にしますが毎年11月16日は大磯の海に花束でも葬るつもりで居ます。

俺が生きてる間に親父にできることは、これしかない。

親父は社会の常識からすればクズだったかもしれないですが親父には変わりない俺の最高の親父です。


綺麗事で納めてるけど、そうやってかないと人生進まない気がして。