はじめに
学生の約半分が国際学生という、日本の中でも特殊な「APU(立命館アジア太平洋大学)」で2年半を過ごした。 キャンパスには多様な言語と文化が飛び交い、日常的に異文化対話が行われる。一見すると十分すぎるほど国際的な環境だった。
しかし、どこかでずっと違和感があった。
「どれだけ国際色豊かでも、ここは『日本の土台』の上にある」
日本の安全で効率的な常識の上で満足している自分に危機感を覚え、私は大学を休学し、ニュージーランド(NZ)へ渡航することを決意した。
なぜ「語学留学」や「ワーホリ」ではなく「WWOOF」だったのか
多くの学生が選ぶ語学留学やワーキングホリデーには惹かれなかった。既存のレールに乗り、安全圏で英語を学ぶのではなく、「最大限自分の能力を活かし、ローカルの暮らしに溶け込む一次体験」がしたかったからだ。
そこで選んだのが、有機農家などの家庭に滞在して労働を提供するWWOOF(World Wide Opportunities on Organic Farms)という仕組みだった。大学のサークルで野菜作りをしていた経験も活かせるし、何より教科書やネットには載っていない「その土地のリアル」に触れられると考えた。
【NZでの学びと直面したリアル】
・先住民族マオリのコミュニティに滞在し、伝統料理(ハンギ)の準備を手伝う現場へ
・観光学を学ぶ学生として、伝統文化の観光資源化と彼らが抱える経済格差の葛藤を体感
・バックパッカーズで世界中の若者と対話、ネットでは得られない生の声(一次情報)を獲得
マオリの人々と強い訛りのある英語で働き、彼らの葛藤や社会構造の不備を肌で感じた時間は、大学の講義以上に刺激的だった。
想定外の連発。貯金が減り続ける恐怖と「詰めの甘さ」
しかし、現実は甘くない。
渡航前にアルバイトで資金を十分に貯め、WWOOFで生活費を抑える計算をしていたが、歴史的な円安とNZの想像を超える物価高が直撃した。
日本の常識や感覚が一切通用しない環境。「無駄なく効率的に判断できる」と思い込んでいた自分の見通しの甘さから、無駄なお金や時間を費やす場面も多かった。減り続ける口座残高を見つめながら、自分の戦略の甘さを突きつけられた。
さらに、もう一つの違和感が襲ってきた。 現場での農作業は指示に従うだけの時間が多く、自分の主体性が削られていく感覚があったのだ。
予定を切り上げ2ヶ月で帰国するという意思ある決断
当初の計画は「NZに3ヶ月、イタリアに3ヶ月」の計6ヶ月間だった。
しかし、私はNZ滞在2ヶ月の時点で、当初の計画を捨てて帰国する(損切りする)決断を下した。
理由は明確だ。
- 「農」の本質的な課題解決の学びは、指示待ちのNZよりも、日本の現場にこそあると悟ったから
- 目的と手段がズレた環境にダラダラ留まることは、自分の主体性を殺す最大のリスキーな判断だと感じたから
見知らぬ土地で、正解のない選択を迫られ、その結果の責任をすべて自分で負う。 予定通りの半年間を過ごすことよりも、「違和感を察知し、現状を分析して即座に軌道修正する」ことこそが、海外に飛び出して得た最大の収穫だった。そして、帰国し岡山の限界集落に行くことを決断した。
失敗しないことより修正できること
NZに行く前は、できるだけ失敗しないように計画することが重要だと思っていた。もちろん、事前に調べることは重要だ。でも、現地に行かなければ分からないこともある。
そのとき重要なのは、最初の計画をどれだけ守れるかではなく、
「なんか違う」と感じたときに、その原因を考えて、次の行動を変えられるか。
NZで2ヶ月過ごして帰国したことは、当初の計画だけを見れば失敗だった。でも、私はこの経験を通して、計画を守ることよりも、現実に合わせて計画そのものを更新することの重要性を学んだ。
その後、岡山で小さな事業を始めたり、海外企業から仕事を受注したりしたのも、この経験が一つのきっかけになっている。
海外に行って英語を学んだ。それだけではない。
自分で立てた仮説を現実にぶつけ、違えば修正する。
この感覚を身につけたことが、2ヶ月間のNZ滞在で得た一番大きなものだった。
これが今の自分につながっている
NZに行ったことで、「海外に住んでみたい」という気持ちだけが残ったわけではない。むしろ、自分が何を面白いと思うのかが少し明確になった。現地で生活し、仕組みを観察し、うまくいっていないところを見つける。
そして、自分なりに考えて試してみる。今も、私が何かを始めるときの基本的な考え方は、このときからあまり変わっていない。