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詳細プロフィール

山ではミカンとキウイ、海では鯛と真珠が日本一とれる愛媛県生まれ、愛媛県育ち。幼い頃からマイペースで一人時間が好き。かと思えば人も大好きで、相手との心地よいコミュニケーションを大切にしている。
年齢の割に落ち着いた雰囲気らしく、年上の友人からは平成生まれを疑われがち。マダム感漂うと言われる見た目とは裏腹に、学生時代にはインドネシアの山奥の農村でコーヒー生産者支援、カンボジアの教育系NPOでのインターンシップ、大学のあった兵庫県姫路市で訪日外国人や食に関する地域貢献活動&プレゼン全国大会準優勝などを経験。直近では、インドでOLをしていたと言うと驚かれる。
初めて夢を持ったのは、小学生3年生。モンゴルのマンホールチルドレンに関するドキュメンタリー番組を見て、衝撃を受けた。それまで愛媛県の片田舎でのほほんと生きていた私にとって、社会的弱者である同世代の子供たちが貧困の犠牲となっている事実に、強い憤りを感じた。そこから『国際協力』の現場で働くことが夢になる。
そんな気持ちを持ちつつ進学した中学生の時には、自身やその周りで起きたイジメの経験から『心の平穏や幸福』について深く考えるように。人はなぜ、人をイジメてしまうのか。どうして、差別の意識が生まれるのか。そう考えるうちに、心の奥底で身近な人(特に母親などの家族)から得られない愛情に対する渇望感、周りから認められない個性への劣等感などがあるのではないか、その捌け口としてイジメや差別があるのではないか、という考えに至った。
そんなことを考えるようになってからは、貧困に苦しむ他国の同世代を救いたい気持ちとともに、日本で苦しむ同世代の心も救いたいと考えるようになった。世界中を見渡しても豊かで安全だと言われる日本。でも、モノに溢れていること、経済活動が活発であることだけでは得られない、心の豊かさ、幸福がある。そこに思いをはせるようになった。
そして高校生活を迎える。迷わず受験した地元一番の進学校では、入学して初めての学力テストで、320人中310番台をとる。そこから一年中猛勉強し、2年生に進学する頃には320人中70番台に上げた。ここでの努力は今でも自信になっている。また合わせて、県内で開かれる国際協力系のセミナーに1人で通うようになる。
大学進学後は、夢だった国際協力の現場を求めて、インドネシアのコーヒー生産者支援に取り組む。そのほか、フィリピンのストリートチルドレン・サポートプログラムや、カンボジアでのインターンシップなどを通して、ある違和感に気づいていく。それは、私自身の心のスタンスだった。
小学生の頃は、純粋に力になりたい、一緒に良くしていきたいと思っていた途上国への想いが、いつしか施すという上から目線の気持ちに変わってしまっていたことに気づいた。それからは、国際協力への想いは持ちつつも少し距離を置くようになる。今でも、人生の中で必ず関わっていきたいと思っている分野だが、その際には両者がWin-Winで対等な関係を結べるビジネスでと考えて模索している。
そんな思いの変化もあり、大学後半からは日本やビジネスに興味を持ち始める。その一環で取り組んだのが、地域活性化の活動。大学のあった姫路で、外国人観光客にとって過ごしやすい街づくりを地元バス会社と行ったほか、大学内に10近くあった活動団体の成果を食という共通点でまとめ、アメリカ発で世界37ヶ国、1600を超える大学の学生が参加するビジネスリーダー育成プログラム「Enactus」の日本大会に大学リーダーとして出場し、準優勝した。
そこからビジネス経験を積みたいと考え、新卒で大手人材会社に入社。大阪、京都、兵庫、岡山を担当し、高校に新規営業へ行きキャリア教育に関する講演会を受注し、自ら高校生に講師として講演した。
その後、大学時代に出会ったビジネスオーナーたちに憧れ、個人で仕事を取れる人になりたいと新聞記者に転身。経済・産業記者として、愛知県を中心とした東海エリアを担当し、日本のモノづくりにどっぷり浸かる毎日。優秀で個性的な経営者、経営層の皆さんの話を直接取材することで、執筆スキルだけでなくマインドを吸収した。
その後、海外で活躍するという幼い頃からの夢を叶えるため、海外就職。数ヶ月シンガポールで編集職として働いた後、インドへ渡る。インドでは新規開拓営業として働く中、週末はフリーの経済ライターとしてインドのビジネス記事を執筆。そのほか、出来る限り周辺アジア各国やアフリカに出かけ、現地で活躍するビジネスパーソンに個人的に取材を続けた。
現在は日本に帰国し、フリーライターとして活動する傍らWebデザインやメディア運営も行う。ヒトやモノの背景にある眠れる価値を文章とデザインで可視化し、世界がまだ知らない素晴らしいヒト・モノ・コトを広く魅せるために活動中。