名医の予言から30年。映像が「魔法」ではなくなった今、私がアップデートし続ける理由。
【大きく切るのが正義だった時代】
私が病院取材を始めた90年代、手術といえば「大きく切ること」が当たり前でした。 医師たちはインタビューで「目に見えるがんは全て取り除きました」と誇らしげに語り、それが最善だと信じられていた時代です。
しかし、その代償として術後のQOL(生活の質)が著しく損なわれる現実も、私は同時に見てきました。命を救うための「完璧さ」が、必ずしもその人の「幸せ」に直結しないという葛藤。これが、私の表現者としての原点になりました。
【技術の民主化と名医の言葉】
やがて「腹腔鏡」や「内視鏡」が進歩し、手術はいかに体にダメージを与えないかという「低侵襲」の時代へ突入します。大学病院が熾烈な技術競争を繰り広げる中、ある画期的な術式を生み出した医師が私に言いました。
「僕の方法なら胃をほとんど残せるし、何より標準的なものになる。〇〇先生の方法は素晴らしいけれど、習得に時間がかかるんじゃないかな」
その言葉には、優れた技術とは一部の天才の特権ではなく、「誰もが使える道具」になって初めて世界を救うのだという信念がありました。
【映像の世界も、今まさに同じ場所へ】
映像制作も、かつては数年の修行を積んだプロだけの聖域でした。 しかし今はスマホが進化し、誰もが手軽に撮り、アプリでナレーションもテロップも入れ、完パケまで作れる時代です。映像はもはや特別な魔法ではなくなりました。
そんな激変期に、30年現場に立ち続けてきた私がアップデートすべきものは何なのか? これが、今の私の最大の課題です。
【私が行き着いた「アップデート」の答え】
最新のアプリを使いこなす指先か、AIには描けない派手なエフェクトか。 私が行き着いた答えは、技術の誇示ではなく、「編集(メス)を入れる際の『覚悟』のアップデート」でした。
誰でも切れるようになったからこそ、「なぜここで切るのか」「その1秒が、見る人の読後感をどう変えるか」を、あの医療現場で学んだ「QOL」の視点で見つめ直すこと。
道具がどれほど進化しても、最後に残るのは「この表現で、誰の心が軽くなるのか」という、極めてアナログで温かい問いかけです。私は今日も、最新のデバイスとCapCutを手に、30年前よりもずっと軽やかな気持ちで、その「新しい標準」を探しています。