【阪田和典】退屈な朝に突然届いた招待状
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その日の朝は、本当にいつも通りだった。目覚ましが鳴り、カーテン越しの光が差し込み、特別なことなど何ひとつ起こる気配はなかった。けれど玄関のポストを開けた瞬間、その平凡さは一瞬で吹き飛んだ。見覚えのない封筒が一通入っていたのだ。白い紙に淡い銀色のインクで自分の名前が書かれている。差出人の記載はない。怪しいと思う気持ちはもちろんあったが、不思議と手は封を切ることをためらわなかった。
中には短い文が一行だけ書かれていた。あなたがまだ気づいていない役割について話したい。日時と場所の指定はなく、代わりに読み終えた瞬間に連絡が届くと書かれていた。意味が分からなくて座り込んだが、その瞬間スマートフォンが震えた。画面には未知の番号。流れに任せるように通話ボタンを押した。
聞こえてきた声は驚くほど落ち着いていて、こちらの戸惑いを見透かしているようだった。声の主は、自分の仕事の仕方やこれまでの選択について、多くを語らずに要点だけを突くように触れてきた。どれも自分が心の奥でうすうす感づいていたことばかりで、言葉にされた瞬間、現実味を帯びて押し寄せてきた。この声はいったい何者なのか。企業のスカウトなのか。それとも何かの調査なのか。考えれば考えるほど正体が遠ざかる。
通話の中で最も印象に残ったのは、あなたはまだ踏み込んでいない道を自分で閉じているという指摘だった。その一文が胸の深い場所に沈み込んだ。確かに挑戦しようとした場面で、自分の中にある曖昧な不安が理由を偽装して引き戻したことが何度もあった。それを見透かすように声は静かに続けた。もし今日、ひとつの選択を少しだけ変えてみたら、あなたの役割は少しだけ姿を変えるかもしれないと。
通話が切れた後、しばらく玄関に座ったまま動けなかった。得体の知れない声の助言を信じる必要はないのに、なぜかその言葉の端々が妙に現実的で、自分の中の頑固な壁を揺らし続けた。結局その日、迷っていた計画に思い切って一歩踏み出した。すると驚くほど自然に周囲の反応が変わった。たった一つ勇気を出しただけで、こんなにも景色が変わるのかと驚いた。
招待状の意味はいまだに分からないが、あれは誰かのメッセージというより、自分の中の未来が形を変えて届いたのではないかと思うようになった。踏み出すきっかけは必ずしも論理ではなく、時にはこうした正体不明の衝動が扉を開くこともあるのかもしれない。働き方やキャリアの方向性を考えるとき、この感覚は思った以上に大切なのだと実感した。
今も封筒は机の端に置いてある。再び連絡が来るかは分からない。ただ、あの日の朝に起きた小さな違和感が、これからの選択に影響し続けることだけは確かだ。自分でもまだ知らない役割が、どこかで静かに待っている気がする。