エントロピーは「多い」のか「高い」のか
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エントロピーという言葉は、どうにも掴みどころがありません。前回「世界はのっぺりしたがっている」と書きましたが、書いた本人がまだエントロピーを掴みきれていない。「乱雑さの指標」と説明されることが多いのですが、それだけだと「散らかった部屋」くらいのイメージで止まってしまいます。僕もずっとそうでした。
その理解が少しだけ動いたのは、ある日、ごく素朴な疑問がふと浮かんだときのことです。
「エントロピーが高い」「エントロピーが低い」この言い方、なぜ「多い」「少ない」ではないのだろう。
調べてみると、答えはシンプルでした。「多い」「少ない」は、数えられるもの、そこに存在する実体に使う言葉です。リンゴの数、お金の額、水の量。一方で「高い」「低い」は、温度、圧力、密度のように、ある系の「状態」を示すスケール上の位置に使います。
エントロピーは物質ではなく、状態の度合いなので「高い」「低い」がしっくりくる。
もうひとつ気になったことは、「エントロピー増大の法則」という定型句が示すように、エントロピーは「増大」する、ということ。「上昇」じゃダメなのか?と。
調べてみると、上下するものには「上昇」、一方向に不可逆的に進むものには「増大」、じわじわ積もるなら「増加」・・・と日本語の細やかさに驚きました。
エントロピーは戻ることのない一方向の流れなので「増大」が選ばれていました。
理念やタグラインを言語化するとき、似た意味の言葉が並ぶ瞬間があります。「挑戦」と「開拓」、「信頼」と「誠実」、「成長」と「進化」。辞書的にはほぼ同義でも、それぞれが喚起する動きのイメージはまったく違います。「挑戦」は壁に向かっていく動き。「開拓」は未踏の地を切り拓く動き。読み手はその言葉を見た瞬間、自分の身体的な経験と照らし合わせて、動きの方向や質感を無意識に読み取っています。
ここを丁寧にやらないと、間違った偏りが生まれます。間違った偏りでは、人の行動を引き寄せるまでに至らず、結局のところ「偏っていない」のと同じことになってしまいます。
前回、世界がのっぺりに向かっているなら「偏っていること自体に途方もない価値がある」と書きました。今回私が学んだことは、
偏りの質は言葉の粒度で決まる
ということです。エントロピーの文脈で言えば、何もしなければすべては均一に薄まっていく。区別がなくなり、どこを切り取っても同じになる。その流れに抗って意味のある偏りを作るには、言葉の一つひとつに正確な重さを載せなければなりません。「高い」と「多い」の違い、「増大」と「上昇」の違い。その粒度の選択が、偏りの質を決めているような気がしています。
一語の選択が、受け手の頭の中にどんな映像を立ち上げるかを決めている。受け手の中にある「すでに偏っている領域」を見つけ出し、そこに正確に接続する。それが、言葉に重みを持たせるということなのだと思います。
エントロピーの「高い」と「多い」を間違えても、日常会話では困りません。しかし、理念の一語を間違えると、組織の向かう方向が変わります。言葉の粒度に対する感受性は、きっと、そういう場面でこそ試されるものなのだと思っています。