四季×技法──画材の手触りが導く、ひとりの心の一年
四季×技法──画材の手触りが導く、ひとりの心の一年
春──水彩の“滲み”と“グラデーション”が、新しい心をひらく
春の最初のクラスで、
彼女が選んだのは透明水彩。
パレットに置かれたウルトラマリンとローズマダー。
そこにたっぷりと水を含ませた筆を落とすと、
色は瞬く間に水面のように広がり、
中心から外側へ、柔らかなグラデーションをつくった。
紙はコットン100%の水彩紙。
乾くまでのわずかな時間、
色は自由奔放に形を変える。
彼女はその動きを、
ただ見つめるしかなかった。
「……勝手に春みたいに広がりますね」
彼女の声に、
冬に固まっていた心の氷がわずかに溶ける気配があった。
水彩の滲みは、
思い通りに操れない。
けれど、思ってもみなかった形が生まれる。
まるで春が
「あなたが止まっていた間も、
世界はちゃんと動いていたよ」と
そっと教えてくれるようだった。
夏──アクリルの“厚塗り”、ペインティングナイフの“削り”で感情を解き放つ
夏の光が窓から射し込む頃、
彼女はアクリルを選んだ。
水彩より速く乾き、
一度置いた色はしっかりと留まる絵具だ。
筆にたっぷり絵具を含ませ、
紙に押しつけるように塗り込むと、
アクリル独特の“盛り上がり”が生まれる。
「わ……こんなに厚みが出るんですね」
驚きながらも、
彼女は次第に大胆になっていった。
さらにペインティングナイフを手に取り、
乾ききる前の絵具を軽く削ると、
下の層の色が不規則な線となって顔を覗かせた。
黄色の上から塗ったオレンジ、
そのオレンジの奥でまだ息をしている青。
“夏の層”が重なり合い、
強い光のように画面が脈打つ。
「気持ちまで動かされる感じがします」
夏の技法は、
迷いよりも勢いを優先させる。
厚塗りは迷いを押し込み、
削りは溜め込んでいた感情を
ひとすじの衝動として浮き上がらせる。
心が、その強さに少し救われる季節だった。
秋──パステルの“重ね塗り”と“擦り込み”で、深い心の層を掘り当てる
秋になると、
彼女はソフトパステルを手に取った。
まず黄土色を側面で大きく塗りつぶす。
次にテラコッタ色を上から重ね、
指先でやさしく円を描くように擦り込む。
パステルは、
擦るほどに紙の凹凸に入り込み、
柔らかく深い層をつくる。
「指で描くって、不思議ですね。
なんだか心に直接触っているみたい。」
秋の画材は、
色を“置く”のではなく、
色を“馴染ませる”。
さらに彼女は、
削り器具(こすり棒)でハイライト部分を少しだけ削った。
その瞬間、
柔らかな暗がりの中に
小さな光がにじみ出た。
重ねる、
馴染ませる、
削る。
その繰り返しは、
まるで秋が
落葉の下から小さな光や記憶を
探し当てていく作業そのものだった。
冬──鉛筆の“ハッチング”と“ブレンディング”で、静かな光に触れる
冬、彼女は色を手放し、
鉛筆だけで描くことにした。
HBで軽く下書きをし、
2B、4B、時には6Bで影をつけていく。
細かな斜線(ハッチング)を何層も重ねると、
影はどこか温度を帯び、
ただの黒ではない“静けさ”へと姿を変える。
「影にも、いろんな“明るさ”があるんですね」
そう言って、
彼女は練り消しでそっと光の部分を引き出した。
鉛筆の濃淡に触れれば触れるほど、
冬の空気のように透き通った画面が生まれていく。
さらに指先や擦筆(ブルンドスティック)を使って
陰影を滑らかにブレンドすると、
深く沈んだ冬の世界の奥に
微かな光が浮かび上がっていった。
冬は色を捨てる季節ではない。
色の“根”を感じる季節だ。
彼女の鉛筆画は、
静けさの底で確かに息づいていた。
そして新しい春──四季の技法をひとつにつなぐ
一年がめぐったころ、
彼女は迷わずこう言った。
「今日は、全部の画材を使ってみたいです。」
春の滲み、
夏の厚み、
秋の深さ、
冬の静けさ。
それらをひとつの画面に集め、
最初に水彩で広がる下地をつくり、
乾いた上からアクリルを薄く重ね、
秋のパステルで色をやわらかく包み、
最後に鉛筆で輪郭に優しい影をつけた。
四季の技法が “喧嘩” せずに
なぜか一枚の絵としてまとまっていく。
それは、
彼女自身が四季すべてを通り抜け、
その経験を抱きしめたからこそ描ける画面だった。
彼女は微笑んで言った。
「どの季節の私も、全部ここにいる気がします。」
その言葉と絵を前に、
教室の空気は
ふわりと新しい春の光に満たされた。